14 ついにお城へ登城です⁉ その1


「おはようございます。……龍翔様?」


 王都の高級宿に泊まった翌朝。起きてすぐ、いつものように衝立ついたての向こうへ回り込んだ明珠は、少年姿の龍翔を見て、首を傾げた。


 少年龍翔の愛らしい面輪には、顔立ちに似合わぬ厳しい表情が浮かんでいる。


「どうかなさったんですか?」

 おずおずと問うと、挨拶を返した龍翔がゆるりとかぶりを振った。


「……今日、ついに王城に戻るかと思うと、少し、気負ってしまってな」

「王城って、さぞかし立派なところなんでしょうねぇ」


 明珠達が昨日、王都の門をくぐったのは、日が落ちる少し前だった。


 夕暮れの薄闇の中、生まれて初めて見た王都は、さすが大国・龍華国の中心だけあって、立派な建物が立ち並ぶ素晴らしい街並みだった。


 乾晶の街を見た時も驚いたものだが、もっとずっときらびやかで立派だ。


 まもなく日が暮れるというのに、店先のあちらこちらに灯火がともされた往来はにぎやかで、明珠は思わず、「今日ってお祭りか何かなんですか?」と尋ねて、龍翔に苦笑されてしまった。王都では、このくらいの人混みはごくごく当たり前なのだという。


 第二皇子という身分にふさわしく、王都で一、二を争うほどの高級宿に泊まった龍翔は、今日は朝から王城に登城する予定なのだが。


(昨日、街並みの向こうに見えた、立派な王城……。あそこで、龍翔様にお仕えするなんて……)


 一夜明けた今でさえ、明珠は実感が伴わない。まるで、覚めない夢の中に迷い込んでいるような心地がする。


「まあ、見た目だけなら華やかな場所だがな。一皮むけば、権力争いに取りつかれた魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする伏魔殿だ」


 明珠の言葉に、龍翔が嫌悪を隠さず吐き捨てる。

 と、龍翔が気遣うようなまなざしを明珠に向けた。


「すまぬ。お前を怖がらせるつもりはないのだ。ただ、王城では、わたしの足を引っ張ろうとする者が、どこでどう現れるか知れたものではない。すでに季白から重々言い含められているだろうが、十分に気をつけてくれ」


「は、はいっ!」

 夕べ、明珠に注意事項を伝えていた時の季白の剣幕を思い出し、明珠はぴしりと背筋を伸ばす。


 龍翔が安心させるように笑みを浮かべた。


「大丈夫だ。お前を危険な目に遭わせるようなことは、決してせぬ。張宇達もついているのだ。不安に思うことは何もない」


 明珠の前に立った少年姿の龍翔が、黒曜石の瞳で真っ直ぐに明珠を見上げる。


「何があろうと、お前はわたしが守る」


「あ、ありがとうございます……っ」

 龍翔の優しさに、胸が熱くなる。


「私、龍翔様の足手まといにならないように、しっかり頑張りますから!」


 ぐっ、と拳を握りしめて気合いを入れると、龍翔が柔らかに微笑む。


「お前がついていてくれるのなら、頼もしいことこの上ない。わたしが「龍翔」として王城へ戻れるのもすべて、お前のおかげだからな」


 一歩、明珠との距離を詰めた龍翔が、「龍玉を」と促す。


「は、はい」


 明珠が右手で守り袋を握って目を閉じると、少年龍翔が背伸びをする気配がした。


 唇に柔らかなものがふれる。


 目を閉じていても、龍翔が青年姿に変じたのが、頬にふれた手の大きさで知れた。

 優しく頬を包む手のひらがくすぐったくて、反射的に身を引きそうになる。


 と、引き留めるように龍翔の腕が腰に回った。そのまま、ぐいっと引き寄せられる。


「っ⁉」


 咄嗟とっさに出した左手に当たったのは、夜着の上からでもわかる鍛えられた胸板だ。

 密着した分、深くなったくちづけに、心臓がますます跳ねる。


 ただでさえ心臓が騒いでいたところに追い打ちをかけられ、羞恥心が限界に達する。


「んん……っ」


 手のひらで龍翔の胸を押し返すと、ゆっくりと腕が緩んだ。

 ふらついた身体を龍翔の腕に支えられる。


「す、すまん。王城へ行くかと思うと……」


「……? 王城では術を使われるのですか?」

 小首をかしげると、龍翔の口のが苦く歪む。


「さすがに、登城した今日で何かあるとは思いたくないのだがな……。しかし、油断はできん」


 厳しい顔で告げた龍翔を不安にかられて見上げると、明珠の視線に気づいた龍翔が苦笑した。


「そんな顔をするな。わたしには季白も張宇もついているから大丈夫だ。周康もな。それより、お前こそ気をつけるのだぞ? たとえ安理であっても、あまり気を許すな」


「ええっ⁉ 安理さんにもですか⁉」

 思いもしなかった忠告に、すっとんきょうな声が出る。


「さんざん釘を刺しておいたからな。さすがにふざけたことはせんと思うが……。安理が何かよからぬことをしたら、これで刺してもよいぞ? わたしが許す」


 物騒極まりない言葉を呟いて、龍翔が懐から差し出したのは、『破蟲の小刀』だ。明珠は思わず龍翔から飛びのいた。


「こっ、こんな貴重なお品、手にできませんっ‼ 心臓に悪すぎますっ! それに、これは龍翔様の身をお守りするためのものじゃないですかっ⁉」


 ぶんぶんと首を横に振って、必死に固辞する。龍翔が困ったように眉を寄せた。


「だが、陛下のおわす龍正殿りゅうせいでんには、小刀と言えど、刃物を持って入るわけにはいかぬのだ。むろん、随行する季白達もな。かといって、安理は何をしでかすかわからんゆえ預けられん。となれば明珠、あと預けられるのはお前だけなのだ」


「うぅ……っ」

 龍翔に真摯に頼まれては、明珠に嫌と言えるはずがない。


「龍翔様がそこまでおっしゃるなら預かりますけど……っ。で、でも龍翔様がお帰りになられるまでの少しの間だけですよ⁉ それに、預けるのは今じゃなくて、出る直前にしてくださいっ!」


 少しでも預かる時間を減らそうと、明珠は必死の抵抗を試みた。


  ◇ ◇ ◇


「ふわ~っ!」


 朝食の後、荷物をまとめて隣室に移った明珠は、季白達の姿を見て、思わず歓声を上げた。


「季白さんも張宇さんも周康さんも……っ! すごくすごくご立派ですっ‼」


 今日、王城へ登城する龍翔達は、そのまま皇帝陛下に乾晶からの帰還の報告をするのだという。


 龍翔の随伴を命じられた季白、張宇、周康の三人は、明珠が初めて目にする絹の立派な衣をまとい、黒い冠をかぶっていた。全員、どこからどう見ても貴族の若様だ。


 三人ともただでさえ顔立ちが整っているので、着飾って並んだ姿は、非常に目立つ。さぞかし女性達の視線を集めることだろう。


「お三方とも、ご立派で素敵です!」

 笑顔で告げると、


「え~っ、オレは~?」

 と安理の声が聞こえてきた。


 姿が見ないと思ったら、衝立の向こうにいるらしい、


「オレだって、衣や装飾品を整えたら、それなりになるんスよ~」

 衝立の向こうから聞こえてくる安理の不満そうな声に、


「もちろん安理さんだって格好いいのは――」

 「知っています」と続けようとして。


「――っ‼」


 安理に続いて、衝立のこちら側へ出てきた龍翔の姿を見た途端、声が途切れる。


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