13 これってお仕置きなんですか⁉ その3


「季白、どうしたんだ? 安理も。疲れ果てた顔をして……」


 隣室の明珠にたらいの湯を持って行き、戻ってきた張宇は、従者用の部屋の大きな卓の上にぐでっ、と突っ伏す同僚二人を見て、眉をひそめた。


 ちなみに龍翔は今、周康と風呂へ行っている。

 ふだんなら季白と安理も一緒に行動するのだが、夕べの一件で怒り心頭の龍翔は、今朝、「今日は一日、季白と安理をいないものとして扱う」と宣言し、その言葉通り、話すのはもちろん、視線さえ向けていない、らしい。


 御者を務めている張宇は、昼食の時くらいしか一緒にいなかったので、実際に目にしたのはその時だけだが。


 確かに、御者台にいても、車内から聞こえてくる声は、明珠に講義してやる龍翔の楽しそうな声と、それに答える明珠の声ばかりだった。


 ……時折、こらえきれないとばかりに笑いを噛み殺す、安理の奇声も届いたが。


 椅子に座り、机に寄りかかった二人の表情は、いつになく疲れ果てている。


 龍翔に無視されたことが、それほどこたえているのかと、張宇は少しだけ、同情した。


 が、夕べ、遼淵とぐるになって、二人が企んだことは、許せることではない。

 未遂で済んだからよかったものの、もし、龍翔と明珠が傷つく羽目になっていたら、季白と安理といえど、張宇は叩っ斬っていただろう。


「いい薬になっただろう。これにりたら、もう二度と、あんな馬鹿なことは考えないことだな」


 ほんの少し、気の毒に思いつつも、ここはちゃんと釘を刺しておかねばと、心を鬼にして冷たく告げる。季白が、「くうぅっ」と苦しげに呻いた。


「一日中、龍翔様にお声をかけていただけないばかりか、龍翔様があの小娘をかまわれるお姿を見せつけられるとは……っ! さらには口出すすることも叶わず……っ! ですが、明言された通り、わたくしや安理を一顧だにしない厳しい姿勢! 情に流されない冷徹さは、さすが、龍翔様でございますっ‼」


「あー……うん。龍翔様が何をなさろうと、お前を喜ばせる結果にしかならないのはわかったから……」


 季白は何をどうひっくり返しても、こういう奴だった、と張宇は同情したことを、ほんの少しだけ悔やむ。季白に対しては、いらぬ心配だった。


 龍翔に心酔している季白は、どんな仕打ちをされても、めげぬ鋼の精神を持っているらしい。


「それにしても、腹立たしいのはあの小娘ですよっ‼ あれほど龍翔様にご厚意を示されながら、すぐ逃げ腰になるあのていたらくっ! まあ、龍翔様のあまりの素晴らしさに、己の卑小さを感じて消え入りたくなる気持ちはわかりますが‼ 卑小なら卑小なりに、己の全身全霊をもって、龍翔様にすべてを捧げればよいものをっ‼」


「……おい」


 ぎりぎりと歯ぎしりしながら明珠への怒りを爆発させる季白に、張宇は思わず低い声になる。


 張宇とて、季白と同じく、全身全霊を龍翔に捧げる覚悟くらい、とっくの昔にできているが、だからといって、それは他者に強要するものではない。


「ぶっひゃっひゃ! 季白サンってばりないっスね~! でも、アレだからこそ、龍翔サマと明順チャンは面白いんじゃないっスか~♪ いや、オレも、目の前で超爆笑したい光景が繰り広げられているのに、笑うことすら許されないって、何の拷問かと思いましたケドね⁉ いや~、龍翔サマ、容赦がないっス~♪」


 昼間、笑えなかった代わりとばかりに、けらけら笑いながら、安理が口をはさむ。


「アレって、龍翔サマの牽制けんせいなんすかね~? これほど明順チャンを大事にしてるんだから、今後、手を出したらただではいかんぞ、ってね♪ いや~、ご自分の楽しみと、オレと季白サンへのお仕置きを同時にこなされるなんて、龍翔サマってばさすがっス~♪」


「……そういえば、さっき湯を持って行ってやった時、明珠も妙にぐったりしていたが……」


 思い返しながら呟くと、安理が「ぶぷ――っ!」と吹き出した。


「だって明順チャン、龍翔サマにかまわれ倒されて遠慮しまくって、へろへろになってたっスからね! いや~っ、面白い見物だった!」


「わたしは面白くなどありませんよ!」

 季白が目を怒らせる。


「まったく、あの小娘は、餌をもらった野良犬でもあるまいし、おどおどと……っ! せめて、あの小娘に、もう少し色気というものがあったら……っ!」


 張宇が咎めるより早く、安理が「えー、でも~」と、楽しげに口を開く。


「着飾った明珠チャンはかなりのものだったでしょ? 季白サンだって、今朝は一瞬、ほうけた顔をしていたじゃないっスか~。オレ、昨日着付けられた明珠チャンを見た時、これは遼淵サマ、本気で龍翔サマを落としにかかってるな! って確信しましたもん‼」


 安理の言葉に、季白がはなはだ不本意そうに溜息をつく。


「確かに、着飾れば見違える点については、同意しましょう。ですがっ‼ 中身が伴わなければ意味がありませんっ‼」


「えー、大事じゃないっスか、見た目も! 季白サンだって、中身はともかく、その見てくれだからモテるんでしょー?」


 安理が失礼極まりないことをさらりと口にする。


「オレは中身も見た目もそろってるのが好みかな~♪ 薄物を一枚ずつ……っていいっスよね~♪ あ、でも、男装の美少女ってのも、それはそれで倒錯的で……」


「安理」

 きしし、と笑う安理によからぬものを感じ、思わず呼ばう。


 張宇自身が驚くほど、出た声は低く、鋭い。

 安理が「ひえっ」と小さく叫んで首をすくめた。


「違うっス! えーと、オレが言いたかったのは、龍翔サマも夕べは絶対、明珠チャンによろめいてたハズなんスよ! だって――」


 安理がものすごく楽しそうな、同時にものすごく人の悪そうな笑みを浮かべる。


「明珠チャンの首にはっきりとあったでしょ? くちづけの、ア・ト♪」


「「っ⁉」」

 張宇と季白が同時に息を飲む。


「……見間違いじゃないのか?」

 おずおずと張宇が問うと、安理が不満そうに唇をとがらせた。


「オレが見間違うワケないっスよ~っ! 信じられないんなら確かめてみます? 今ちょうど――」


「おいっ!」

 とんでもないことを言いだす安理に、思わず目を怒らせる。


「本気でお前を斬らないといけないようだな」


 腰にいた『蟲封じの剣』に手をかけると、安理がぶんぶんと首を横に振る。


「ちょっ⁉ 冗談っスよ! 明珠チャンの風呂なんて覗いたら、張宇サンだけじゃなく龍翔サマにもすり潰されるってわかってるっス!」


「しかし――」

 眉間に深いしわを刻み、固い声を出したのは季白だ。


「龍翔様が今朝、少年のお姿でいらっしゃったということは、ろくに《気》のやりとりをしていないということでしょう⁉ だというのに、くちづけのあととは、いったい夕べは何があったのです⁉ まさか、遼淵様の推測が外れて解呪の条件が違ったなどということは……っ⁉」


 わなわなと震える季白に、安理が肩をすくめる。


「えー、オレに聞かれても困るっス~。……本人に聞いたらいいんじゃないっスかね?」


 きしし、と笑って安理が振り返ったところで、扉が開いた。

 入ってきたのは、周康を後ろに従えた風呂上がりの龍翔だ。


 安理のにやけた顔を目にした龍翔が、眉をしかめる。が、まだ無視を続行するつもりか、口に出しては何も言わない。


 かまわず詰め寄ったのは、切羽詰まった表情の季白だ。


「龍翔様っ! 解呪の条件について、何か変化などはございませんかっ⁉」


「変わってなどいないが……。急にどうした?」

 季白の剣幕をただごとではないと感じ取ったらしい。龍翔が訪ね返す。


「ですが、夕べ――」


 季白が言いかけた途端、龍翔が目をすがめる。

 刃のような威圧感に、全員が息を飲む。背筋が粟立つような、苛烈な怒気。


「まだ、蒸し返すか。何もなかったと言っただろう? それとも――」

 黒曜石の瞳が、炯々けいけいと鋭く輝く。


「次は、己の命をかけて、悪だくみを行うか?」


「悪だくみだなどと!」

 季白が傷ついたように悲愴な声を上げる。


「ですが……っ!」

 ひたり、と季白が龍翔を見つめる。


「龍翔様の禁呪を解くためならば、この季白、命など惜しくはございません! たとえ、龍翔様に疎まれ、憎まれようとも、龍翔様の大願のためなら、この身など……っ!」


「もうよい」

 小さく吐息した龍翔が、静かな声音で季白の言葉を遮る。


「お前の忠誠心はわかっておる。全身全霊をもって、わたしに仕えてくれているのもな。お前は、わたしの大切な従者の一人だ」


「龍翔様……っ!」

 季白が感極まった声を洩らす。


「だが季白。お前は、わたしが大願を叶えたとして、その裏で大切な従者を傷つけたことを悔やまぬ人でなしだと考えているのか?」


「滅相もございません! 龍翔様の真心を疑ったことなど、一度たりともございません!」


 季白がちぎれんばかりに首を横に振る。龍翔がわずかに口元を緩めた。


「ならば、わかるだろう? 仕えている期間の長短はあれど、明順もわたしの大切な従者の一人だ。わたしは、己の従者を踏みにじってまで、望みを叶えようとは思わぬ。たとえ、く道が茨の道であろうともな」


「あのような小娘にまでお慈悲をたまわられるとは……っ! 龍翔様の寛大なお心に感服いたします!」


 感動のあまり、季白の身も声音も打ち震えている。

 張宇は季白が崇拝のあまり泣き出すのではないかと、半ば本気で心配した。


「ならば季白。頼むからもう、遼淵などの甘言に惑わされてくれるなよ。……わたしの心の平穏のためにも」


「り、龍翔様がそうおっしゃられるのでしたら……」


 まだ少し、不承不承という様子を見せながらも、季白が答える。

 満足そうに頷いた龍翔は、次いで安理を振り返った。


「というわけだ。明後日、登城する際は、仕方なくお前に明順を預けるが……」


 龍翔のまなざしが凄みを帯びる。

 自分が睨みつけられているわけでもないのに、張宇の背中が思わず震えた。


「次、明順でふざけてみろ。今度こそ、首と胴を斬り離してやるからな?」


「や、やだなぁ、龍翔サマ。信用してくださいっスよ~」

 口調は軽いものの、安理の顔色は微妙に青い。


「さすがにこのオレでもね? 純真無垢な明順チャンを泣かせたら、目覚めが悪いってゆーか……」


「あんなことをしでかしておいて、どの口が言う⁉」


「いやー、アレはあんまり明順チャンが可愛かったから……ちょっとした出来心?」


 安理がこてん、と首をかしげる。龍翔の視線の圧が高まった。


 安理の態度いかんによっては、龍翔にとりなしてもよいかと張宇は思っていたのだが……。


 もう少し、安理は龍翔に釘を刺されていた方がいいかもしれないと、張宇は心中で吐息した。


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