13 これってお仕置きなんですか⁉ その2



「せ、晟藍国せいらんこくでしたっけ……?」

「正解だ」


 先ほど、龍翔に教えてもらったことを思い返しながら明珠が答えると、笑顔で龍翔が頷いた。


 同時に、口元に差し出されたのは、一口大の焼き菓子だ。

 明珠が手を伸ばして受け取ろうとすると、ひょい、と龍翔の手が逃げる。


「そうではないだろう?」

 黒曜石の瞳をきらめかせる龍翔は、すこぶる楽しげだ。


「で、でも……っ」


「ん? 食べたくないのか? これが気に入らぬというのなら別の……」


「い、いただきます! いただきますからっ! 別の包みを開けたら、もったいないじゃないですか!」


 観念して、明珠は口を開ける。

 龍翔が指につまんだ焼き菓子を、そっと明珠の口へ押し入れた。指先が唇をかすめて、心臓が跳ねる。


 唇を閉じると、ほろりと口の中で菓子が崩れる。おいしい。おいしいのだが。


(き、緊張しすぎて、ゆっくり味わえない……っ!)


 「褒美があった方が、やる気が出るだろう?」と龍翔が言い出したのは、講義を始めてすぐだった。


 龍華国の主要な都市や、隣国についての龍翔の講義は、季白の講義と同じくらいわかりやすく――ただ、耳に心地よい声は、うっかりすると声の響きに聞き惚れてしまって、集中していないと、内容を聞き流しそうになる。


 ふだんの講義も、ぼうっとしていると、途端に季白の叱責が飛んでくるので、少しも気が抜けないのだが、龍翔の講義は、季白とは別の意味で緊張する。


 季白と違って、向かいではなく隣だというのが、よくないのかもしれない。


 明珠の膝の上に広げた季白特製の巻物を龍翔が指し示す時に、ふわりと漂う香のよい薫りだの、耳のすぐ近くで響く心地よい声だの、褒める時に頭を撫でる優しい指先だの……。


 尊敬する主人に、これほど親身に教えてもらっているのだから、しっかりきっちり、一言も洩らさず聞かねばと、ふだん以上に気を張り詰めてしまう。


 さとい龍翔は、明珠の緊張に気づいたのだろう。


「よし。教えた内容について、わたしが問題を出すから、それにちゃんと答えられたら、菓子をやろう。単純に講義を聞くよりも、褒美があった方が張り合いが出るだろう? 息抜きにもなるのではないか?」


 と提案してくれた。

 確かに、おいしいお菓子を食べられるのは嬉しい。


 龍翔が出す問題は、ちゃんと講義を聞いていればすぐに答えられる簡単なものばかりで、これは問題にかこつけて、明珠にお菓子をやるのが目的ではないかと思うほどだ。だが。


「あのっ、いただければ、自分で食べますから! どうして「あーん」って食べさせるんですか⁉」


 明珠に手渡してくれたらいいものの、龍翔はかたくなに手ずから明珠に食べさせようとする。小さい子どもでもないのに、恥ずかしいからやめてほしい。


 龍翔が食べさせるたびに、季白から射抜くような視線が突き刺さるし、安理が必死に笑いをこらえる音が聞こえるし、周康は何とも言えない微妙な表情で顔を背けているし、いたたまれないこと、この上ない。


「なぜと問われても。決まっておろう?」


 明珠の必死の問いかけに、龍翔がさも当然とばかりに笑う。


「わたしが食べさせた方が、楽しい」

「私は楽しくありませんっ! むしろ、心臓に悪いです!」


 言い返すと、龍翔が哀しげに眉を下げる。


「そうか……。お前に、意に染まぬことをいていたか……?」


「えっ、あの……」

 大きな犬がくぅん、としょげ返ったような哀しげな表情に、罪悪感が刺激される。


「お前の嫌がることはしたくない。……それほど、嫌か?」


 不安をたたえた黒曜石の瞳で顔をのぞきこまれたら、明珠に突っぱねられるはずもなく。


「そのお顔はずるいです! どうしても嫌ってわけじゃありませんけど……」

「なら、よいだろう?」


 微笑んだ龍翔が、もう一つ、菓子を明珠の口に押し入れる。


「むぐっ。どうして入れられるんですか⁉ 問題も解いていないのに……」


 むぐむぐと食べつつ抗議すると、龍翔が柔らかに微笑む。


「ああ、すまん。美味しそうに食べるお前が愛らしくて、つい、もう一つやりたくなった」


「っ⁉」


 美女さえ霞むような美貌の主が、いったい何を言いだすのか。本当に、龍翔の言動は明珠には読めないことばかりだ。


「龍翔様! お菓子を食べてばかりじゃ進みませんから! 次、次に行きましょう! もっとお教えくださいっ!」


 このままでは、恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ。それなら、まだ講義を受けている方がましな気がする。

 必死で促すと龍翔が苦笑した。


「まったく、お前は真面目だな。もう少しのんびりしても、ばちは当たらぬぞ?」


 「だが」と、龍翔がにこやかに明珠に笑いかける。


「何であれ、お前に頼られるのは悪くない気分だな」


 龍翔が身を寄せてくる。ふわりと香がたゆたい、明珠の心臓がぱくり、と跳ねる。


 巻物の内容を確認しているだけ。そうわかっているのに。


(緊張しすぎて、龍翔様って心臓に悪すぎる……っ!)

 明珠は心中で悲鳴を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る