7 泣かせたりしないよ、ワタシは その2
「何? ということは、嫁ぐのは……」
「うん。本人の希望と年の差を考えて、
「そうか、初華が……」
龍翔は深く息を吐き出す。
龍翔より一つ年下で今年二十歳の初華姫は、母親違いの妹だが、年が近いこともあり、また、初華自身の明るい人柄もあって、兄弟姉妹の中では、一番仲が良い。
もう一人の異母妹、
隣国とはいえ、王都から遠く離れた異国の地に、龍華国皇女の肩書を背負って嫁ぐのは、荷が重かろう。
「それにしても、『
口を挟んだのは季白だ。遼淵が肩をすくめる。
「まあ、王も王妃も暗殺されて、生き残ったのはたった八歳の少年一人だからねぇ。そりゃあ、龍華国の後ろ盾は、喉から手が出るほど欲しいだろうさ。『花降り婚』の見返りに、何を差し出したかまでは、ワタシは知らないけど。でもまあ、相手が八歳の少年なら、こちらの都合がいいように動かせるだろうしね♪」
遼淵がにこやかに喉を鳴らす。
「震雷国との間に、緩衝国も残しておきたいところだし、まあ、龍華国にとっても、そう悪い話じゃないから受けることにしたらしいよ。なんといっても、交易で豊かな晟藍国の富は、俗人には魅力的だからねぇ~♪」
「しかし、まさか『花降り婚』が行われるとは……。現皇帝陛下の御代では、初めてのことでしょう? 三十年ぶりくらいになるのでは?」
感心したように告げた季白に、見た目はともかく、実年齢はこの中で最年長の遼淵が頷く。
「ああ、前皇帝陛下はなかなか子沢山だったからねぇ。何度か『花降り婚』が行われていたみたいだけど。現皇帝陛下の御代では、今回が最初で最後の『花降り婚』になるかな?」
「しかし……。王と王妃が暗殺されたなどと。それほど国情が不安定な国へ初華を嫁がせるなど……」
大切な妹の身を案じ、顔をしかめる。
晟藍国の政情にはくわしくないが、王族が暗殺されるなど、ただ事ではない。
「ワタシも興味はないからねぇ。晟藍国の内情なんて、知らないけど、でもまあ、だからこその初華姫の人選だろう? 《龍》の力こそ、顕現しなかったけど、《
龍翔は遼淵の言葉を苦々しい気持ちで聞く。
『花降り婚』。それは、龍華国にだけに伝わる特殊な婚姻だ。
そもそも、龍華国では、皇女達は基本的に結婚できない。
《龍》の血脈を皇家以外に出さず、独占する。そのためだけに。
ほとんどの皇女達は、生まれてから死ぬまで、華やかで
まれに、政治的な理由から、高官やその子息が
生まれた子どもは、《龍》の力が発現しようとしまいと、全員、皇家へ引き取られる。
が、『花降り婚』は違う。
《龍》の血脈をその身に宿す皇女が、他国の王族や貴族に嫁ぐのだ。
――嫁いでも清いまま、決して子を
龍華国の皇女として嫁ぐのだ。もちろん、その地位は正妃である。
が、子を
龍翔が伝え聞いた話では、子を生さぬという盟約があろうとも、そこは男女。子ができてしまった例もあるらしいが……。子どもは龍華国に引き取られ、盟約を破った国は、多額の賠償を負わされたという。
それでも、他国が『花降り婚』を求める理由は、大国・龍華国の皇女を正妃として迎えるということは、その国の背後には龍華国がついていると
龍華国の干渉を招くとわかっていて手を出す国は、なかなかない。
こうした事情を鑑みるに、今回の晟藍国からの請願は、『花降り婚』にうってつけといえる。
わずか八歳の少年王にしてみれば、龍華国の後ろ盾は、喉から手が出るほどほしいだろう。おそらく、真に欲っしているのは、少年自身より、彼を取り巻く後見人達なのだろうが。
それに、八歳の少年ならば、まだ子を生すこともできない。
十一歳の優華姫ではなく、十二歳も年の差のある二十歳の初華姫が選ばれた理由も、少年が年頃の青年になった時に、初華姫が花の盛りを過ぎようとするからだ。
(これは……。王城に戻った際には、一度、初華に会いに行く必要があるな……)
国の決定に異を唱えることはできないが、せめて兄として、嫁ぐ妹に思うところがあるのなら、聞いてやりたい。
快活で華やかな妹の笑顔を思い描きながら考えていると、龍翔を見て、遼淵がにこやかに笑う
「まっ、さすがに皇女が嫁ぐっていうのに、差し添え人もなしで行かせるわけにはいかないからね♪ 何十年ぶりかの『花降り婚』だもん。ここぞとばかりに、龍華国の権威を見せつけて、晟藍国を意のままにしたいっていうのが、高官達の狙いみたいだからねぇ~」
「……なるほど」
遼淵が言わんとすることを察して、龍翔は苦笑する。
「差し添え人に指名されるのは、わたしというわけだな。確かに、初華の付き添いとなれば、生半可な地位では務まらぬ。わたしをできるだけ王都から遠ざけておきたい連中にしてみれば、これ以上ない口実というわけか」
「龍翔様は、乾晶の騒動を鎮めてきたばかりだというのに! 間を置かず、次は南方の晟藍国へ赴けとは!」
龍翔の代わりとばかりに、季白が憤然と声を上げる。龍翔は忠臣を見やって、穏やかに微笑んだ。
「よい、季白。禁呪を完全に解けていない身では、常に人目のある王城より、外の方が気も楽だ。それに……。初華が嫁ぐ晟藍国の内情は、この目で確かめておきたいからな。渡りに船だ」
「さすが龍翔様! 寛大なお心でございます!」
季白が感極まったように言い、
「初華姫とは、一番仲がよろしゅうございますからね。龍翔様が差し添え人となられれば、初華姫もさぞかしお喜びになられることでしょう」
張宇が人の好い笑顔を見せる。
「乾晶の次は晟藍国か。王城へ戻ったら、また旅支度だな」
「お任せください」
龍翔の言葉に、季白が即答する。
「うむ、任せた。で、遼淵。わたしに伝えておきたいことは、初華のことだけか?」
龍翔の問いに、遼淵は「んー」と珍しく迷うような表情を見せた。
「報告、っていうほど、わかったことはないんだけどねえ。むしろ、わからないことがわかったというか」
謎の言葉をつぶやいた遼淵が、眉間に縦じわを刻んで龍翔を見る。
「
「何か掴めたのか?」
勢い込んで尋ねた龍翔に、ぐでっ、と椅子の背もたれに身を投げ出した遼淵が、両手のひらを上に向ける。
「これがさ、もーさっぱり! 麗珠がどこでどうやって龍玉を手に入れたのか……。麗珠が出奔する前に親しくしていた弟子達に、片端から聞いてみたんだけどね。誰一人として、龍玉の存在なんて、一欠片も知らないんだよ――っ‼ まあ、麗珠はつきあいは広かったけど、特定の人物と深くは……っていうか、それでいうと、一番、深いつきあいがあったのは、間違いなくワタシなんだけどね? でもワタシ自身、麗珠があんなモノを持っていたなんて、一言すら聞いてなかったしねぇ……」
「そりゃー、遼淵サマに渡したら、何とかに刃物……いや、何でもないっス」
ぽそっ、と呟いた安理が、遼淵ににこやかな笑顔を向けられて、あわててぷるぷると首を横に振る。
「出奔してから手に入れたって可能性も、もちろんあるんだけど。でも、あんなモノ、そうそう手に入る代物じゃないんだよ。手に入るんなら、絶対にワタシが手に入れてるからねっ‼」
妙に自信満々に断言した遼淵が、吐息とともにこぼす。
「と、なると……。あと、可能性があるのは、後宮くらいなんだよねぇ……」
「後宮、か……」
呟き返した龍翔に、遼淵がこっくりと頷く。
「ま、あくまで可能性なんだけどね? ほら、麗珠は腕が良くて女性だからさ……。出奔する前に数年間なんか、ほとんど「後宮付き」と言っていいくらいだったんだよね~。あそこだけは、さすがのワタシでも、《
遼淵が嫌そうに顔をしかめてこぼす。
後宮。たった一人のための、
当然ながら後宮は、皇帝を除いて男子禁制だ。
妃達に仕えるのは、ほとんどが宮女達だが、医官や大工など、専門技術を持つ者、力仕事をする者など、男性が必要となる場合も多い。
後宮に勤める男性官吏は「宦官」と呼ばれるが、宦官となる男達は、《宦吏蟲》と呼ばれる蟲を必ず体に入れなければならない。
《宦吏蟲》を入れられた男は、男性としての機能を失い、子を生せない身体になる。退職する際には《宦吏蟲》を出すが、長く勤めていた者は、そのまま男としての機能が戻らないこともあるという。
それでも、高貴な妃の側近くに仕え、力を持つ妃に気に入られれば、富と権力の甘い汁を吸える宦官になりたいと願う者は、後を絶たないという。毎年、行われる採用試験には、募集人員の何倍もの応募があるらしい。
ちなみに、《宦吏蟲》を扱えるのは、宮廷術師である蚕家でも、術師としての位が高い何人かだけだ。
蚕家が龍華国の建国以来の名家と言われる所以の一つは、そこにもあるのだろう。
「麗珠が後宮付きになっていた間に、第一皇子に愛しの君、それに初華姫まで生まれているだろう? 市井で手に入れたっていうより、妃の誰かから
「なるほど……。妃様からの下賜品でございますか……。確かに、個人的な謝礼ということでしたら、知る者も少ないのかもしれません。ですが、龍玉などという希少な品を、おいそれと下賜するでしょうか?」
季白の疑問に、遼淵が「んー?」と首をかしげる。
「術師でもない常人には、不思議な模様の入った水晶玉にしか見えないと思うよ、アレ。術師でも、龍玉に《龍》の気が秘められていると気づける者が、果たして何人いるのか……。明珠の解呪の特性あってこその代物だからねえ、
「そういうことでしたら、本来の価値よりも軽く扱われても仕方がないのかもしれませんね」
季白が納得したように頷く。
が、引っかかるものを感じて、龍翔は口を開いた。
「解呪の特性がなければ、無用の長物である龍玉を得たのが、解呪の特性を持つ麗珠殿か……。もし下賜された物だとしたら、麗珠殿はそれと知って、龍玉を望んだのだろうか……?」
独り言のような龍翔の問いかけに、全員が顔を見合わせる。
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