7 泣かせたりしないよ、ワタシは その3


「……偶然なのだとしたら、出来すぎのような気がいたしますね……」

 遠慮がちに口を開いたのは張宇だ。


「つまり、解呪の特性を持った麗珠サンは、価値をわかった上で、龍玉を求めたってことっスか?」


 安理がどこかわくわくした口調で張宇に続く。龍翔は顔をしかめて安理に答えた。


「しかし、龍玉だけあっても仕方なかろう。明珠が試してみたが、《龍》をぶことはできなかったぞ? まあ、明珠と麗珠殿では、術師としての腕前に差があるので、絶対に喚べぬという保証はないが……」


「だよねぇ。《龍》の気だけあっても、それを使えなきゃ、意味がないよねぇ……。ほんっと、ワタシに教えてくれてたら、イロイロと実験したのにさーっ!」


 遼淵が悔しそうに口をとがらせ、周康が微妙に青い顔で、

「遼淵様、それは……」

 と、恐ろしげに呟く。


「それに明珠の話では、麗珠殿は死の間際まで龍玉を隠し持ち、明珠にも、決して人目にふれさせぬよう、厳しく言い遺したという。むしろ、危険やもしれぬものを、密かに隠そうとしたのやもしれん」


 遼淵の子を身ごもりながら、生まれてくる我が子を蚕家の家督争いに巻き込まぬために出奔したという話から連想される麗珠の人となりは、権力や富を求める強欲さとは真逆だ。


 おぼろげな記憶しか残っていないが、龍翔自身、幼い頃、母の元へ来る麗珠と何度も会った記憶がある。


 美しい女人といえば、皇帝にかしずく妃達しか知らなかった幼い龍翔は、妃にも劣らぬほどに美しいにも関わらず、術師として自由に後宮を出入りする麗珠に、かごの鳥ではない女人もいるのだと、心から驚いたものだ。


 交わした会話の内容さえ覚えていないが、龍翔にとって、麗珠は母のような慈愛を感じさせる人だった。


「まっ、龍玉が後宮由来の品っていうのも、あくまでワタシの推測に過ぎないしね!」


 重い空気を打ち払うように、遼淵がぱんっと手を打ち合わせる。


「その可能性もあると考えて、調査してるんだけど……。ほんっと、閉鎖的なんだよねー、後宮アソコ


 ぐでっ、と卓に突っ伏した遼淵が、ほとほと困り果てた様子で吐息する。周康が、師が肘で茶器をひっくり返さぬよう、そっと器を移動させた。


「ね~、愛しの君~。なんとかなんないの、アソコの閉鎖的な空気。調べるのも一苦労なんだけど」


「わたしに言われたところで、変わるわけがないだろう。ただ……。接点はあまりないとはいえ、王城付きも後宮付きも、ともに宮女だからな。王城に戻ったら、わたしの宮付きの者に相談してみよう。だが、過度な期待はするなよ?」


 脳裏に浮かぶのは、龍翔の宮付きの三人の侍女達の顔だ。とうに五十歳を越え、海千山千の彼女達ならば、龍翔が知らぬ裏技を知っている可能性は、十分にある。


(しかし……。戻った時に、明珠と禁呪のことを、三人になんと伝えるべきか……)


 王都を出てから禁呪をかけられたため、三人の侍女達は、龍翔が禁呪をかけられたことを知らない。


 長年、龍翔に仕える彼女達が、龍翔を裏切ることなどないだろうが、禁呪について知る者は、出来る限り少ない方がよい。


(「明順」の身元は、張宇の遠縁という建前にするものの……)


 侍女頭である梅宇ばいうは、張宇の父の姉、張宇にとっては伯母にあたる。梅宇にかかれば、「明順」などという親戚はいないと、一瞬でばれるだろう。


(梅宇には、事情を説明しておかねばな。明珠のためにも)


 男装し、性別を偽っている明珠には、不便ばかりかけている。相談できる侍女がいるといないのでは、雲泥の差だろう。


(明珠の性格だ。目の敵にされるようなことは、間違ってもあるまいが……)


 梅宇も、他の二人、梓秋ししゅう梓冬しとうの姉妹も、まるで息子か孫にでも対するように、龍翔には甘い。


 母の死とともに張宇の家に引き取られた頃を知っているせいか、彼女達にとって、龍翔はいつまでも、「お可愛らしい龍翔坊ちゃま」らしい。もう成人して何年も経つ身なのに、と逆に心配になるほどだ。


「んじゃまあ、龍玉の出所については、麗珠が手に入れた経緯も含めて、今後も調べるってことで! あ、愛しの君も、何かわかったら教えてよ? ワタシに直接でも、周康経由でも、どちらでもいいからさ」


 考えに沈んでいた龍翔を、遼淵の声が引き戻す。名前を出された周康が居住まいを正した。


「で。あと、伝えておかなきゃいけないことは……。そういえば、乾晶にくだんの術師が現れたっていうのに、逃げられたらしいね?」


 あっけらかんとした遼淵の言葉に、龍翔以下、全員が苦い顔になる。


「手傷は負わせられたのだがな……。返す返すも、あの時、砂波国さはこくが攻め入ってこなければ……っ」


 今さら言ってもどうにもならぬと知りつつも、惜しいと思わずにはいられない。


 左腕と血だまりを残して消えた敵の術師の行方は、今もようとして知れない。


 くらい闇の奥で息をひそめ、こちらが隙を見せた途端、牙をむいて襲いかかってくる術師には、言いようのない不気味さを感じる。


「この間、《渡風蟲とふうちゅう》で送ってくれた血については、調べてるところだよ。こっちでも、血に含まれた《気》から、何とか捕まえられないかと、弟子達にも追わせているんだけどねぇ……。今のところ、さっぱりだよ」


 遼淵も肩をすくめて嘆息する。


「蚕家の力をもってしても捕らえられぬとは……。敵はかなりの腕前と思われますが、遼淵殿は、敵の正体にお心当たりはないのですか?」


 眉をひそめながら季白が問う。


「そりゃあ、蚕家の職分には、禁呪を使う不埒者ふらちものを捕らえるっていうのもあるけどさ」


 にぃ、と遼淵が唇の両端を吊り上げる。


「正直なとこ、捕まるような間抜けなんて、禁呪使いの中でも下っ端だけさ~。考えてもごらんよ。相手はこっちが知らない術を使うんだよ? そりゃあ、蚕家の長~い歴史の中で暴いた禁呪だって数多いけどさ~。まだまだ、ワタシでさえ知らない禁呪だって多いのさ。ましてや、《龍》の気を封じる禁呪なんて……っ!」


 遼淵が恋する乙女のように、うっとりと呟く。


「何としても、捕まえて会いたいなぁ♪ ほんと、捕まえるためなら、宮中勤めの術師を動員して、守りを手薄にしたっていいくらいだよねっ♪」


 笑顔でとんでもないことを言いだす遼淵に、周康達が顔を青くする。が、忠言して止められる遼淵ではないと全員が知っているため、口を開く者は誰もいない。


 と、遠慮がちに扉が叩かれる。


「遼淵様。ご入浴とお食事の支度が整いましたが、いかがいたしましょう?」

 顔を出したのは秀洞だ。


「龍翔殿下もお付きの方々も、長旅でお疲れでございましょう?」


「蚕家のメシなら、豪華に決まってるっスよね~♪ たっのしみ~♪ あ、失礼。ちょっとかわやに……」


 大きく伸びをした安理が、秀洞のわきを通って、そそくさと廊下に出ていく。いい加減、遼淵との会話から逃げ出したくなったのかもしれない。


 安理を皮切りに、他の者も席を立つ。

 龍翔が廊下に出たところで。


「あっ、愛しの君はこっちだよ♪ 入浴の後に、ワタシの食事につきあってくれるかい?」

 と、遼淵に引き留められた。


「わたしだけ食事が別なのか?」

 何やら企みの気配を感じ取り、眉を寄せると、遼淵がにこやかに笑って答える。


「いやーっ、せっかくの機会だし、明珠と水入らずでご飯を食べつつ、麗珠や龍玉のことを聞こうと思ったんだけどね? なんでか秀洞が強硬に反対するんだよ! ようやく再会した娘を失いたくないんだったら、愛しの君も同席させた方がいいって!」


 遼淵が秀洞を見やると、蚕家の家令であり、遼淵の異母兄である秀洞は、顔立ちだけなら遼淵とよく似た面輪に、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。

 遼淵が若作りなせいで、下手をすると兄弟ではなく、親子のようにも見えてしまう。


「その……。同席された方が、龍翔殿下のご心配も軽くなろうかと思い、進言させていただいたのでございますが……」


「いい判断だ、秀洞。……遼淵一人に任せたら、ろくなことにならんからな……」

 龍翔の言葉に、遼淵が子どもみたいに唇をとがらせる。


「えーっ、ひどいよ~っ! 明珠からちょーっとあれこれ聞きだしたいだけじゃないか! 龍玉のこととか‼」


「信用されたいなら、まずは、何より己の好奇心を優先させる性格をなんとかしろっ!」


 たとえ明珠が許しても、龍翔は、かつて遼淵が、「娘のことなどどうでもいい」と言い捨て、明珠を泣かせたことを、たやすく許す気はない。


 声を荒げた龍翔に、遼淵は無邪気なほどの笑顔で小首をかしげる。


「えっ? だって、自分の好奇心が最優先に決まってるじゃないか‼」


「「……」」

 嘆息したのは龍翔が秀洞か。


「……遼淵。言っておくが、今度、明珠を泣かすような真似をしてみろ。お前が明珠の父親といえど、容赦せぬからな」


 遼淵には何を言っても無駄と知りつつ、それでも睨みつけて釘を刺すと、案の定、遼淵はまったくこたえた様子もなく、すこぶる楽しげに唇を吊り上げた。


「え~、嫌だなぁ~。明珠を泣かせたりしないよ、ワタシは♪」


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