5 不埒で不遜な従者達? その2


 楽しそうに口元を歪めて、安理が季白を見やる。


「でも、対するのが龍翔サマってのが、相手が悪すぎるっスよ~。明珠チャンと遊びたいのはやまやまっスけど、オレまだ死にたくないっス~。龍翔サマや張宇サンに叩っ斬られるのは御免っス」


 安理がやれやれとばかりに、吐息する。


「相手が龍翔サマってのが、ある意味、厄介なんスよねぇ~。周康サンをはじめとして、おびえちゃって、恋敵こいがたきになりゃしない」


「恋敵などではありません! とんでもないっ!」


 周康は泡を食って否定する。

 脳裏をよぎったのは、龍翔ににらまれた時の、背筋が凍るような恐怖だ。


 刃のような黒曜石の瞳に射抜かれた途端、明珠の婿むこに収まろうと考えていた周康の野望は、洗い桶の水をぶっかけられた蝋燭ろうそくの火のように、消し飛んだ。


 だというのに、龍翔だけではなく、季白にまで睨まれてはたまらない。

 周康の反論に、安理が大きく吐息した。


「そう、これなんスよねぇ……。龍翔サマの高すぎる御身分のせいか、誰も恋敵にならないんスよ……。龍翔サマに対抗できるだけの力を持った恋敵でも現れたら、もっとオモシロ……違った。龍翔サマだって、あせって明珠チャンに手を出す気になるかもしれないんスけどね~♪」


「龍翔様の御威光の前には、何者であろうとひれ伏さずにいられないのは道理! さすが龍翔様でございます‼」


 切れ長の目をきらめかせ、季白が妄信的ともいえる主人への賛美を口にする。

 確かに、実際に龍翔の威圧感を目の当たりにした周康には、さほど妄言とは思えないが。


「だーかーらぁー。今回はそれが問題なんスってば~」

 安理が唇を歪めて苦笑いする。


「いや、オレは明珠チャンに手を出すのも、やぶさかじゃないんスけどね? でも、オレじゃあ、いつものおふざけって思われるのが関の山っぽいし……。あ、これが人徳ってヤツ?」


戯言たわごとをぬかしていないで、日頃の行いを反省しなさい!」


 目を怒らせ、ぴしゃりと告げた季白が、不意に顔をしかめる。


「……龍翔様のお怒りを受けても、務めを遂行できる者……。本来ならば、張宇が適任なのですが……。この件に関してだけは、駄目ですね。張宇は小娘に甘すぎます」


「ってゆーか、頼んだ時点で、張宇サンの剣のさびにされるっスよ?」


 安理が遠慮なく季白に突っ込む。季白の眉間のしわが、さらに深くなった。


「では……。はなはだ不快極まりませんが、わたしが小娘に手を出すしかないですか……。龍翔様の御為おんためでなければ、絶対! 何があろうと! 金輪際! 御免こうむりますがっ‼」


 整った顔を歪めに歪めて吐き捨てた季白は、心の底から嫌そうだ。


「なぜわたしが、腹立たしさしか感じぬ小娘などに……っ‼ しかし、これが龍翔様の禁呪を解くためならば、不肖この季白、どのような汚れ仕事であろうと、完遂してみせますともっ‼」


「ぶぷ――っ! ぶっひゃひゃひゃひゃ……っ‼ やべっ、笑い過ぎて、本気で腹が裂ける……っ‼ さすが季白サン! もーっ、その忠誠心、尊敬するしかないっス‼」


 目に涙を浮かべて馬鹿笑いする安理が、「で?」とわくわくした顔で季白を見やる。


「明珠チャンに手を出すって、具体的には、ナニをどーするつもりなんスか?」


 あっけらかんと尋ねる安理に、周康は内心、ひやひやする。

 可能ならば、今すぐ耳をふさいでここから出ていきたい。


 明珠に手を出す悪だくみを、龍翔に隠れて話し合っているなど……。もしばれたら、どれほどの怒りを買うことか。

 企みの内容いかんによっては、己の保身のために、ひそかに龍翔に注進することも視野に入れようと考えていると。


「もちろん、やることは決まっています!」


 季白が座った目で、ぐっ、と拳を握りしめる。


「あの小娘にはいい加減、己がどれほどの栄誉に浴しているか、骨のずいまで叩き込む必要がありますっ! 龍翔様がよいとおっしゃるからといって、いつまでもそのご寛容かんように甘えさせるわけにはいきません! 自分がどれほど重要な役目を負っているのか理解すれば、龍翔様のお役に立てる喜びの前に、羞恥心など、消し飛ぶことでしょうっ‼」


「ぶぷ―――っ‼ ちょっ、季白サン……っ‼」

 安理が何度目になるかわからぬ馬鹿笑いをする。


「そっち⁉ そっちなのっ⁉ 忠義心の前には、羞恥心も消し飛ぶって……っ‼ そりゃ、季白サンはそうかもしれないっスけど……っ‼」


 笑い転げながら、安理が突っ込む。


「それは、龍翔サマの求められてる方向と、大いにズレてる気が……っ!」


「何を言うのです⁉ 要は、龍翔様と小娘が、床を共にすればよいのですよ! もし小娘が泣き言をいうようなら、わたしが男女のむつみごとについて一通り教授してやった上で、寝台に放り込んでやりますよっ!」


「ぶっひゃひゃひゃひゃっ! 何スかその、色気の欠片もない床入りっ! それ、逆にやる気をいじゃうんじゃ……っ! まあ、そもそも、龍翔サマが、そんな暴挙をお許しになるはずがないっスけど……っ!」


 ひぃひぃと苦しげに身をよじりながら、安理がうんうんと頷く。


「とりあえず、季白サンには、つやめいたやりとりは不可能だってことがわかったっス! 季白サンで龍翔サマの嫉妬をかきたてられたら、それはそれで面白い見ものでしょーけど……」


 安理が大きく吐息する。


「こりゃあ、今夜の遼淵サマの策に、すがってみるしかないっスかねぇ……」


「いったい、遼淵様と、どんなやりとりをしているのです?」


 遼淵と一行の連絡係は周康が請け負っている。

 蚕家に立ち寄ることが決まってからのここ数日、季白は《渡風蟲とふうちゅう》を使って、龍翔に隠れて、頻繁に遼淵と文のやり取りをしている。


 いつもちゃんと封がされているので、周康は送るだけで、手紙の中身は一切知らない。

 だが、今までのやり取りから推測するに、ろくな内容ではなさそうだ。


 遼淵が己の好奇心を満たすためなら、多少、倫理や道徳に反していようが、躊躇ためらいもなく行う人物であることを、周康は身に染みて知っている。


 いったい、遼淵は何を企んでいるのだろうか。


「今日、龍翔殿下と明珠お嬢様が別行動をなさっているのは、そのためですか?」


 おずおずと問うと、季白が不愉快そうに眉を寄せた。


「いいえ。龍翔様から相談されたのですよ。明珠のために、今朝は別行動をしたいと。まあ、こちらとしても渡りに船でしたから、了承いたしましたが。……まったく、龍翔様はあの小娘に甘すぎます……っ!」


 険しい顔で愚痴ぐちをこぼした季白が、意識を切り替えるように、一つ大きく息を吐く。


 見る者の心を凍らせるような冷徹な笑みを浮かべ。


「龍翔様のおかげで、我々にもあれこれ画策する時間ができたのは確か。急げば、龍翔様達に先んじて、夕刻前に蚕家に着くでしょうからね。遺漏いろうのないよう、じっくりと遼淵様と打ち合わせようではありませんか」


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