第5話

 複製体は実験台の上を両手で激しく叩いた


「……何故?」

「ふん……、あの時……私が人工子宮槽から出て来た時、Drは私の体を一通りチェックし終えるや、突然、何を思ったのか彼は私の首を絞め始めたのだ」


 複製体は激しくわなないた。その様はまるで子供が得も知れぬ何かに怯えているそれに良く似ていた。


「それで……お前も抵抗して彼の首に手を掛けたと言うのか?」

「ああ。しかし、私の力が勝ってDrを殺してしまったのだ……。私は暫く動揺していたが、事の重大さに気付き、慌てて彼の衣服を剥いで着衣し、Drに成り済ましていたのだ……」

「……正当防衛……か」


 J・Bはそう呟き、そして小首を傾げて訝った。


「……しかし……勝つとは……?」

「今の私の言葉を信じようが信じまいが、それは君達の勝手だ」


 複製体は失笑した。


「――否、所詮、作りものの言葉なぞ信じられないだろうよ。当然だ、Dr・アベルの行っていた研究の造物……クローン技術で生産した文字通りの消耗品の兵隊・・その試作品の……人殺しの道具として生み出されたものの言葉など」

「信じていますよ。少なくとも、私は」


 J・Bは微笑んだ。偽りの無い、心地よい温かみを持った笑みだった。


「……?」


 複製体はそんな美丈夫の心中を掴み倦ねて動揺を覚えた。


「Drの複製体である貴方は、即ちもう一人のDr・アベルでもあるのです。――無理にケインでいる必要は無いのですよ」


 複製体はJ・Bのその言葉に飽気に取られてしまった。


「CIAは、貴方が複製体のDrであっても構わない方針です。

 只、貴方が研究を続けられるかどうか、その意志を知りたいだけなのです」


 それを聞いた複製体は、ふと、天井を見上げた。

 何処か遠くの彼方を見る様な、悲しげな眼差しであった。


「……J・B君。CIAは……否、『ヒト』という生き物は、『命』というものを一体どう思っているのかね?」


 複製体は静かに呟いた。


「……答か?……答は……既に出ているのだぞ……!」


 複製体の重い響きが室内に鎮座する。

 同時に、J・Bの表情が曇り始めた。美丈夫の悲しげな貌は、何故か不思議と今に始まったものではなく、今まで隠し通していた様な、そんな遣り切れなさが漂っていた。

 静寂が暫し室内を支配した。


 複製体が突然、実験台の上のベレッタを掴んでJ・Bにその銃口を向ける。

 J・Bはそれを目の当たりにしながらも、しかし、回避せずに静かに佇んでいた。

 何故なら、この美丈夫が前にするDrは、眩暈によってその銃口の照準が定まっていなかったのである。

 だが、複製体は、J・Bを撃たねばならなかった。

 ベレッタの引き金に複製体の震える指が掛かった。

 パン。ベレッタが火を吹いた。

 だが、銃弾は、哀しげな貌を浮かべて微動だにせず佇む美丈夫の頬をなめる様に駆け抜け、彼の背後の壁に着弾した。

 同時に、J・Bの小指が僅かに動く。

 ヒュン。

 淡い一本の閃光の軌跡が、複製体の右脇腹から左肩を刹那に駆け抜けた。

 その軌跡に沿って血煙が吹き上がり、静寂な虚空に紅い霧が舞う。

 複製体は天井を仰ぎ見て、その場にへたり込んだ。

 その場に前のめりに倒れ込もうとする複製体の身体を、J・Bは駆け寄って抱き留める

 複製体は既に絶命していた。

 実に穏やかな安堵の笑みを浮かべて。

 J・Bは沈黙していた。だが、その場に他に誰か居たならば、その者は美丈夫の肩が静かにわなないている事を認めただろう。

 J・Bは無言のまま、複製体の亡骸をその場に横臥させ、その冷たくなった両手を胸の上で組ませて暫く黙祷した。


「……贖罪……か……」


 J・Bは苦々しげに呟くと、徐に立ち上がって亡骸に背を向けた。

 J・Bは逃げる様に足早に歩く。

 もし、今止まってしまったら、彼に何もしてやれなかった己の弱さと遣り切れない悲しみに負けて、そこから一歩も動けなくなるのではないか、と思ったからである。

 J・Bは、早足のまま決して遅くなる事なく、闇の待つ廊下の奥へ消えて行った。


     *    *    *


 心地よい日差しの中、春のそよ風の舞う丘を降りた黒服のJ・Bは、道路に駐車して置いたポルシェに乗り込み、そしてシートの上に置いてあった聖書を手に取った。


「……Dr。貴方はアベルでもあり、ケインでもあった。――否、我々も皆……」


 J・Bはそう独り言ちし、車のキーを回してアイドリングを始めた。


「……それを判っていながら、何故、我々は

 あの兄弟の業を背負い続ける必要があるのだろうか……?」


 J・Bは暫く聖書の表紙を見詰め、やがて車中よりそれを放り投げた。

 蒼く萌える草原に、それは沈んだ。

 そよ風に、聖書が靡いてぱらぱらと捲れた

 J・Bはそれを見て嘆息する。


「……本当は、誰も何も判っていないのではないのか?だから、我々は貴方の様に贖罪し続けなければならないのだろうな……それが判るまで……」


 J・Bはドア越しに天を仰ぎ見た。

 かつて、Dr・アベルがそうした様に。

 J・Bはクラッチを入れて発車した。

 いつしか、鎮魂の鐘の音は風に流されて消えていた。



             完

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贖罪 arm1475 @arm1475

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