第29話 災禍の三鬼

「災禍の三鬼さんきという言葉は聞いたことがあるか? 元中げんちゅうに編纂された日本鬼史。そこに記された三体の鬼人は人間が封じることを諦めるほどの絶望を振り翳し、天災の一種として時の朝廷に位置付けられた。その内の一体が奥州の餓鬼だ」


 天狗の言葉に鷹丸は息を呑む。


「元中というと……確か、七十年ほど前の話ですよね? 天狗や餓鬼と同等の鬼がもう一体いるという事ですか……」


 それを聞いた天狗は少しの沈黙の後に笑う。


「神風と呼ばれていればそう思うのも無理はないか。 だがな、わしはその三鬼には入っておらん」


 豪快に笑う天狗の声を遮るように豊月が言葉を放つ。


「そんなわけがない! 餓鬼や天狗のような鬼があと二体もいるのなら、この日の本はめちゃくちゃになっているはずだ!」


「そうだろうな。だが、そうはなっていない。何故だか考えてみろ。何故、わしを含めて四鬼ではないのか。何故、その三鬼は災禍と形容されるのか」


 そして、天狗は鼻を鳴らすと豊月を見る。


「なぁ豊月よ。わしは年にどのくらいの人間を喰うと思う? 」


「お前はそこらの鬼人の何倍も強い……! 数百……いや下手をすれば千を超えても……」


 そんな豊月の答えに被せるように天狗は言う。


「一人か二人だ。だから、この国に安寧があり、この山の近辺に人が住める」


 その数字に目を丸くする鷹丸と豊月をよそに晴姫が口を開く。


「私は天狗あなたという存在をつい最近知りました。これまで一度も天狗が集落を襲ったというような話を聞いたことがありません。この関東に私はずっと住んでいるのにです」


 その言葉に豊月はハッとする。


「三鬼の情報も私は知らなかった……。奥州の餓鬼ですら、鷹丸の中にいた二十年ほどの月日で御伽噺のようになっていた……。つまり、残りの二鬼も長いこと暴れていない……?」


「ああ、そうだ。わしも含め、その二鬼は既に食欲が減退している。それは成長の限界にいるからだ。自然と、体がお前達人間を欲しなくなる。成長に使われるはずの源が腹の中に留まり続ける感覚はとても気持ちの悪いものでな、だから人を喰おうと思わない」


 その言葉に鷹丸は問う。


「それでは何故、天狗あなたは毎年人を喰うのです?」


「数十年もすれば飢えるからだ。その理由はわしにもわからない。不思議と腹が減り、人肉を渇望する……。だから、わしは腹が減らないように毎年少量を口にしているのだ」


 鷹丸は大きく息を吐いた。この言葉で、何故天狗が災禍と呼ばれないのかがわかったからだ。

 彼はゆっくりと口を開く。


「その二鬼は、長い年月をかけて空腹になるのを待っているのですね? また自身が満たされるために、数十年に一回という間隔で、数百を超える人々を喰らっているのですね?」


 天狗は低い声で「ああ」と肯定だけをする。


 数十年の月日があればこの日の本は大きく動く。争いや寿命で、災禍の鬼による惨劇を知る者は死んでいくし、語られた悲劇も昔話として風化する。天狗ですら自身の飢えの間隔を数十年と曖昧に語るのだから、きっとそこに一貫性はないのだろう。数十年と語り継いだところで、災禍の鬼の襲来は突発的に起こる。

 正しく災害であると鷹丸は思った。


「日本鬼史が編纂された同年。時の征夷大将軍は災禍の三鬼を封じるべく、とある組織を作り上げた。その名も天代宗てんだいしゅう。数百人で構成された武闘派封師の集団だ」


「天代宗!? それがこの餓鬼を封じる手がかりなのですか……!!」


「そうだ。奴らは三十年ほど前に三鬼の一角、富士の岳鬼がくきを封じている。天代宗にも甚大な被害が出たために、大規模な活動はそれ以降できていないが、今では戦力も回復しつつある」



 その天狗の言葉に豊月は疑問を呈した。


「富士!? それはあの富士の山か? 私が生まれる前だとしても、そんな話は誰からも聞いたことがないぞ!? 」


 豊月が指差す先には猛々しい富士山がある。相模国の者達は数え切れないほどその堂々とした山岳を見てきている。


「富士の山麓で天代宗は戦い、見事に災禍の鬼を封じてみせた。わしは空から見物をしていたのだから間違いない。それでは何故、その話が語り継がれていないのか? それは関東を治める大名達が、それを面白くないと思ったからだ。幕府が鎌倉にあった頃の残党達。彼奴らの目と鼻の先である富士の山で、京の者達が遣わした封師が偉業を成した。それを悔しく思い、あの煙、あの音、あの衝撃は富士の噴火であると民に流布した。それに朝廷は天代宗が留守の間は彼らの本山に兵を置いて寺を守護していたのだが、それを焼き討ちであるかのように関東の連中は流布した。そんなつまらないことが理由だ」


 豊月はまだ信じられないとばかりに、その瞳を揺らす。だが、それもすぐにやめて目を瞑ると、彼女は俯いた。

 そんな彼女の背中に晴姫は手を置くと、視線を天狗に移す。


「天代宗の本山はどこにあるのですか? 私達はそこに向かわなくてはなりません」


「本山は比叡山。寺の名は延暦寺だ。向かうならば京を目指すのが容易かろう。都からすぐのところにあるが、ここからは遠い。覚悟して向かえ」





 三人は天狗に背を向けて歩き出した。

 目指すのは比叡山延暦寺。餓鬼を封じるための道は明確に記された。

 獣道を歩むようであったこれまでとは違い、終点のある旅路。

 そんな前向きな状況とは打って変わって、鷹丸の視線は足元にある。


 石畳はいつのまにか、踏み固められた腐葉土に変わる。


「比叡山には向かいません」


 鷹丸はそう呟いた。

 驚く晴姫と豊月を彼はその視界に映すと言葉を続ける。


「私と晴姫様は鬼人に手も足も出ませんでした。豊月さんがいても私達は足手纏い。それが天狗との取引でわかりました。豊月さんが怪我を治す間に、せめて砲煌だけでも習得しておきたい……」


「私の怪我が治るまでって、骨が折れているんだ数ヶ月はかかるぞ?」


「急ぐ理由はありません。万全な状態で望まないと……」


「望まないと何だ?」


「いえ……二人が傷つくことに……」


 鷹丸の視線がまた足元に移る。

 晴姫の手を握る力が少しだけ緩まる。



 災禍の三鬼と食欲の減退について。天狗の話では語られなかったとある事柄が、鷹丸の頭の中で引っかかっていた。


 それは餓鬼について。鬼すらも喰らうほどの狂気、全てのものに向けられる暴力は正しく災禍だ。

 だが、他の二鬼とは明らかに異なっている。


 餓鬼は現れる度に人を喰らっている。


 人が喰えなければ、木や岩などのあらゆる物を捕食する。

 そこに他の二鬼のような食欲の減退などは決して感じさせない。


 天狗は確かに言った。

 にいるから食欲が減退するのだと。


 それでは餓鬼は、まだ成長の余地を残しているということになる。今以上の力を秘めているということになる。


 故に鷹丸は図らずも想像してしまうのだ。

 晴姫の煌を喰い破る餓鬼。

 血だらけで冷たくなった彼女の姿。


 自身が死ぬからこそ、その未来が近くなる。

 餓鬼に頼るからこそ、その絶望を呼び寄せる。


 いや、これまでの誤った判断の数だけその未来へと進んでいる。


 死ぬことが許されない。

 餓鬼を出すことは許されない。


 故に鷹丸は強くなることを提案した。

 確証のないこの考えの裏に潜む彼の感情が、晴姫と豊月にこれを伝えることを拒んでいる。



 餓鬼への恐れが、親しい人を自分から引き離すかもしれない。

 悪鬼の残虐が、自分を孤独にするかもしれない。


 あの苦しみをもう繰り返したくはない。

 それだけは絶対に嫌だ。

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