第27話 利と理

 あの隠れ里での戦いから数日が経った。


「見えました。大雄山だいゆうざんです」


 鷹丸はそう言って振り返る。栗毛色の馬に乗り、晴姫はその後ろで彼の胴に手を回している。そんな二人に続くのは騎乗する豊月や複数人の封師達。そして、里の者達が乗る複数の牛車が列を作っていた。


 一行の空気は重い。

 隠れ里での出来事から豊月は黙考することが多くなり、里の者達は心身の疲労と、この旅の目的地に沈んでいる。


 なぜ彼らも大雄山に向かっているのか。

 それは天狗からの命令があったからだ。


 豊月を隠れ里まで急行させた天狗からの報せ。

 鷹丸と晴姫の危機を知らせるその手紙は、からすの足に括り付けられていた。


『役人共が武装をして隠れ里へと向かった。障害であった大ミミズの鬼が封じられたからだ。二日もすれば到着する。鬼人の次は人間が来る。役人共を殺すか? 逃げるにしても手立てはあるか? その者達を大雄山に連れてこい。なんとかしてやる』


 このような文言に憤りを覚えた鷹丸達は、里の者達を途中で逃す算段でいた。大雄山に向かうまでの数日間で、その頃合いを図る。

 だが、不測の事態が彼らの考えにヒビを入れた。

 道中で立ち寄った町や村から必ず、食料や宿、馬や牛や次の町までの護衛など、ありとあらゆる支援を無償で提供される。

 皆不審に思い、その土地の有力者になぜかと問えば天狗の計らいだと返ってくる。

 そんな事態に里長は言った。


「私達が逃げるということは、これほどの影響力を持った存在の顔を潰すということです。それがどんな事態を引き起こすか、考えただけで恐ろしい……。大人しく大雄山に向かいましょう……」


 そんな経緯で今に至る。

 一行は既に山道に入っていた。

 鷹丸は空を見上げると、雲の少ない青空の中で数羽の烏が円を描いて飛んでいる。


 次第に道は傾斜を帯びて、木々が深くなっていく。晴天は枝葉に遮られるが、その木漏れ日が確かに進むべき道を示してくれていた。


 いくつもの石灯籠を通り過ぎ、いくつもの門を抜ける。

 すると、視界はパッと開けるのだ。

 辿り着いたのはお堂が建ち並ぶ寺。そのひとつひとつに重みがあり壮大で、晴天と深緑の山とで美しく調和する。

 その光景に自然と、里の者達からは感嘆の声が上がっていた。

 しかし、大きな二つの羽音がそれをすぐにかき消してしまう。


 天狗とカラス頭の鬼人が一行の前に降り立ったのだ。


「長旅ご苦労。長は誰か」


 その厳威げんいな老人を思わせる風格ある声に気圧されて、里長はゆっくりと前に出る。


「挨拶は省く。お前達と話がしたくてな」


 そんな天狗に晴姫が割って入った。


「貴方のせいで苦しんだ人達ですよ。初めに言うことがそれですか?」


 そんな言葉に天狗は自身の白髭を触る。


「わしが襲えとあの鬼に言ったわけではない。役人が向かうという情報もお前達に与えた。ここまでの道中、できる限りの支援もした。わしがなぜ謝意を持つ? よもや、防衛機能のない集落にいておいて、恒久的な安寧が得られるなどと思っているわけでもないだろうに」


 すると、里長が口を開く。


「晴姫様。お気遣いありがとうございます。ですが、天狗様のおっしゃる通りです。いつかは鬼に襲われていた。運良くここまで襲われずにいた。それは皆理解しています。それでもなお、私たちの心境は複雑です。数人の犠牲者を出しました。その中には子供も……」


「ならば、その犠牲を無駄にするべきではないな。お前達に提案がある」


 天狗は隠れ里の者達を見渡した。


「わしの侍従じじゅうになれ。この寺とその周辺の雑務をこなせ。そして、わしを天狗という存在として崇めよ」


 束の間の沈黙が流れた。

 その言葉の意味を理解するのに誰もが時間を要したのだ。

 少しして、鷹丸が口を開く。


「彼らは鬼に無理矢理従属させられていました。それは酷ではないでしょうか……?」


 その問いの答えを待たずして、里長が割って入る。


「それはつまり……私達を庇護するということですか?」


「ああ、仕事を全うし、わしを主と認めてさえいれば安寧を約束する」


 里長は困惑しながらも質問続ける。


「私達を喰うことはないと……?」


 天狗は髭を撫でながら話す。


「お前達が先の条件を満たし続けるならば、そうだと言っているのだ。お前達は、道中で乗った牛や馬を喰わなかったであろう? それと同じだ。喰う以上の利があればそれをするわけもない」


 答えを窮したように里長は民達の方を振り返る。また、しばしの沈黙が流れた。


「まぁ、困惑すらのも無理はないか。お前達が鬼人に操られているのを知って、思いついたのだからな」


 そう言って天狗はポツポツと話し始めた。


「わしは鬼という生物を超越した存在だ。生きてきた時間も、喰ってきた人の数も大多数の鬼とは天と地以上の差がある。故に、わしは鬼と称されることに嫌悪する。未熟な他奴らと一緒にして欲しくないからだ。わしという存在は天狗という唯一無二の種族であると世に示したい。だから、わしは相模国とも取引をする。この壮大な寺を住処とする」


 天狗は語る。鬼は人を服従させることはあれど、主従の関係を持つことはない。つまり、相互に利のある主従関係を継続すればするほど、自身は鬼ではないという証明になる。


「断れば、私達を殺しますか?」


 里の者の中から、一人の女が声を上げた。


「別に殺しはしない。断られたとして、不都合があるわけでもない。なんとかすると言った手前、相模国から出すくらいはしてやろう」


 そんな返答にまた、里の者達は顔を見合わせてしまう。

 天狗はため息を吐いた。


「カラス。此奴らにこの最乗寺を案内してやれ、答えは二日後にでも聞く。わかったな?」


 カラス頭の鬼人は里の者達と共に近くのお堂に消えていく。

 この一連の流れに空いた口が塞がらない鷹丸と豊月はその姿を呆然と眺めていた。

 そんな時、晴姫が天狗に問いかける。


「貴方は善なのですか? 悪なのですか?」


 彼女の困惑した様子に天狗は鼻を鳴らす。


「話を聞いていなかったのか? 利害の一致に善も悪もあるはずがない」


「この一連のことを言っているのではありません。貴方は傍若無人で他者を蔑ろにする。だから、恐れられている。なのに……」


 そこまで言って晴姫は言葉を詰まらせる。

 自身の感じたものを言葉にできずに拳を握る。彼女の脳裏には緑の鬼人の行いがあった。人を服従させ、虐げる。それは天狗も同じだ。しかし、何かが違う。


 そんな沈黙の中で、天狗は彼女に問い返した。


「晴姫。善とはなんだ? 悪とはなんだ?」


 それに晴姫はまた言葉を詰まらせる。


「では質問を変える。人を殺すことは悪か?」


「紛れもない悪です」


 彼女の答えを天狗は鼻で笑う。


「そうか、では鷹丸は悪人となる。それに戦をする武士も悪だ。賊から家族を守るために戦えば悪になる」


「それは……」


 天狗は質問を続ける。


「人から物を盗むのは悪か?」


「……悪です」


「空腹で今にも死にそうな時、他人の家の渋柿を盗み食うことは悪か」


 晴姫はハッと息を吸う。しかし、言葉はでない。そのまま彼女は黙ってしまう。


「では、空腹で今にも死にそうなに、他人の家に干してある渋柿を盗むことは悪か」


 法に則れば、それらは間違いなく悪だ。しかし、晴姫はそう断ずることができないでいる。それは法に背かなくては死んでしまう者に、死ねと言うことだからだ。そして、法だけを頼りに善悪を考えれば、あの隠れ里の者達も悪人だということになる。


「お前は善悪を軽々しく語るが、お前の中にその判断の基準がない。それに加えて、世の中のが見えてもいない。だから、言葉に詰まるのだ。だから、お前の言葉がわしに響かないのだ。誰しもが納得するような基準を持て。わしをも唸らせるようなを見出せ。そうして初めて、お前の言葉に価値が出る」


「……。私の言葉にがあれば、貴方は行動を改めるのですか?」


 その問いに天狗は弾むように笑う。


「当たり前だとも! より良いが、わしを更なる高潔な存在へと押し上げる。を説かれることは敗北ではない。喜ばしい成長の糧なのだ」


 晴姫は自身の胸に手を置くと、大きく息を吸う。


「わかりました。貴方が善となるような理を見つけます」


「期待しているぞ。もちろん、鷹丸と豊月。お前らそれを説いたって良い」


 天狗は二人に目を映すとまた笑う。


「いや、お前ら二人は自身の問題で手一杯か。では、鷹丸の問題解決の手がかりを話すとしよう。餓鬼を封じる手立て……。さて、どこから話すべきか」




 大雄山に陽光が差している。木々は輝き、地面は少しの熱を帯びていた。


 真上に昇る太陽は照らす。

 人々の影を背後へと追いやって、その姿を小さくさせる。


 前へ。

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