第26話 通り雨
この戦いは既に勝ち目の薄いものになっている。そのことに晴姫は気がついていた。
鬼人に攻撃を加えるには、多くの人々を倒さなくてはならない。傷つけたくない者達を再起不能にしなくてはならない。何度も何度もボロボロになりながらも立ち上がり続ける者達を力でねじ伏せる。例えそれで鬼人を封じることができたとしても、彼らの身体には重い損傷が残る。死人が出てもおかしくない。日常生活を満足に送れなくなる者も出るかもしれない。
そんな未来は彼女にとっての勝利ではなかった。
故に、彼らを傷つけることなく鬼人を封じる道筋を晴姫は探していた。そんな時にふと彼女は思う。もし豊月がこの場にいたら、彼女は一体どうするのだろうかと。
鬼との戦闘経験が豊富な彼女のことを晴姫は考える。するとすぐに、砲煌が頭に浮かんだ。
窪地の淵で豊月は多量の煌を集約させて砲煌を放った。近づくことを必要としない長距離の攻撃手段。
それの見様見真似。あの時の煌の動きを再現し、黄金を左手に集める。玉を作る。
晴姫は自身の左手に、煌の塊が出来上がっていることを感じていた。
「砲煌!!」
黄金の砲丸は瞬く間に加速し、鬼人に向かって放たれた。光が尾を引き、彗星の如き砲煌が更に更に加速する。それに伴って黄金の輝きも鋭くなっていく。
閃光が鬼人を貫いた。
「……!?」
かに思われた。しかし、その砲煌は空中で破裂する。音もなく、光の波動となって走り抜け、跡形もなく消えてしまった。
「そ、そんな!!」
晴姫が力なく左手を下ろすと鬼人の高らかな笑い声が聞こえ始める。
「なんだよ! 失敗じゃん!!」
そんな言葉が聞こえたかと思えば、ガクンと輿が揺れる。
突然、子供達が泣き喚き始めた。それだけではない。鷹丸と晴姫の周りにいた里の者達が次々と倒れ出したのだ。
地面へと崩れ落ちた彼らの表情は苦悶に満ちている。そしてすぐに、彼らは自身の身体にできた傷と痛みに悶え出したのだ。
「まさか、縛りが解けたのか? さっきの砲煌で?」
鷹丸は愕然とする。煌玉の破裂によって発生した光の波動が鬼人の術を打ち消したのだ。
「うるさいなぁ!! 泣くな!!」
鬼人の怒号が轟いた。
「あーもう! ムカつくなぁ!! 折角こいつらに術をかけたのに台無しじゃないか!! お前ら、次に余計なことをしてみろよ、このガキ共を殺すぞ!!」
子供達は歪んだ顔で輿を担ぎ直していた。恐怖と疲労でその体を震わせている。涙を堪えるように流している。
結局、事態は好転しなかった。
鬼人の縛りが解けたとしても意味はない。晴姫の砲煌が不発に終わった時点で、彼女の理想は打ち砕かれていた。
「おい!! 何寝てんだ!! 早くあの二人を捕えろ!! ガキ共を殺すぞ!!」
鬼人は里の者達に向かって怒鳴る。彼らの苦痛など知らないとばかりに大声を上げる。
里の者達のうち、数人がなんとか立ち上がると足を引きずり、よろけながらも鷹丸と晴姫に近づいてくる。
消え入りそうな声が二人の耳に届いた。
「勇敢なお二人に……このようなこと……申し訳ございません……。ですが、子供達の命が……。どうか……どうか……動かないで」
「晴姫様!!」
鷹丸は彼女の名前を叫んだ。
しかし、晴姫は地面に膝をついたまま動かない。俯いているため、鷹丸にはその表情を見ることはできないが、その拳は強く握られていた。
晴姫はいつだって理想を大切にしてきた。
例え成功の可能性が低くても、自分が一番良いと思える選択肢を選ぶ。時には自身を犠牲にし、時には己を信じて大胆な行動を取る。
自分を信じて、自分に期待をして、理想を掴み取ろうとする。
だが、彼女は敗れた。
もう、他者の犠牲なくしてあの鬼人は倒せない。
「晴姫様……?」
彼女のその姿を見て鷹丸はハッとする。
晴姫は山間の町での悲劇から、人々を守るために煌術を習うと決意した。犠牲を前提とすることは、人命よりも鬼の対処を優先するということ。それは、あの日の想いとこれまでの努力を無意味にするということだ。故に、晴姫は俯いたまま動けないでいる。
それに気づいてしまったら、鷹丸ももう動けない。
この場で自害をして餓鬼に全てを委ねても、里の者達は犠牲になる。山間の町と同じように、周囲が蹂躙されていく中、ただ茫然とすることしかできない悲劇を彼女に追体験させることになる。
それは、晴姫の決意を彼自身が踏み躙ることと同じことだ。
鷹丸の身体を複数の手が掴む。
弱い力の数々が、彼の身体を地面に伏せさせようとしていた。
そんな里の者達の捕縛を鷹丸は意にも介さない。それほどに、彼らは弱っている。
この詰みの状況に鷹丸は目を瞑った。
笑い声が聞こえる。
幼稚で、傲慢で、下衆な鬼人の高笑い。無力な我々を蔑むように、正義の心を痛みつけるように響く絶望の叫喚が、自然と鷹丸の両膝を地面につけさせる。
彼は抵抗を諦めた。
そんな時、ドサっと何かが落ちる音がした。
耳障りな笑い声が止んでいる。
鷹丸は咄嗟に目を開くと、鬼人が輿から転げ落ちていた。
緑色の肌と小さな身体。その子供のような細い右膝に黄金の塊がつき刺さっている。
「あ……ああ!!」
鬼人は目を見開き、顔を歪め自身のその膝に手を伸ばす。
その瞬間。
鬼人の右腕に杭とも呼べるような十を超える短い砲煌が、目にも止まらぬ速さで突き刺さった。
「成り立ての鬼人か……。雑魚だな」
そう言って小屋の影から現れた男に、鷹丸は目を丸くする。その者と鬼灯城ですれ違っていたからだ。
雨も降っていないのにボロボロの笠を被り、蓑を着込んでいる中年の男。顔は隠れ、口元の無精髭がかろうじて見える。
そんな男は、両手に短い鉄砲を持っていた。
「邪魔だガキ共」
男は周囲に一瞥すらしない。鬼に向かい真っ直ぐに、戸惑う子供達を押しのけて歩いていく。
そして、流れるように鬼人の左手と左足へと高速で黄金の杭を撃ち込んでいく。
鬼人は目に涙を浮かべ、動かない手足を引きずり、ジタバタと足掻いていた。
「なんだよ。さっきみたいに笑えよ」
男は冷たく言うと、二つの銃口を鬼人に向ける。まるで蛇に睨まれたカエルのように、その鬼は銃口から目を離せないでいた。パクパクと口を開けては必死に言葉を捻り出そうとしている。
「今のお前の顔、すごい笑えるぜ?」
蓑笠の男は鬼人の顔面に砲煌を放つ。執拗に周到に黄金の杭を撃ち続ける。
鬼人は瞬く間に真っ黒な石に変わった。
そんな鬼の成れの果てには興味が無いようで、男は懐に鉄砲をしまうと、山に向かい歩き始める。鷹丸や晴姫、里の者達を一度も見ることはなく、去っていく。
それはまるで、真夏の通り雨のように突然で、ひとときの激しさを与えては人々に戸惑いを残して去っていく。
その男の背中はどんどんと小さくなっていた。
「晴姫ー!! 鷹丸ー!!」
豊月の声がした。いくつもの馬蹄の音と共に鷹丸と晴姫の耳に届く。
その音は段々と近づいてくる。
鷹丸は振り向いた。
数頭の馬がこちらに駆けてくる。乗っているのは皆封師達で、豊月はそのうちの一人に同乗していた。
「晴姫! 鷹丸! 無事か!」
豊月は馬から飛び降りると、すぐさま二人に駆け寄った。
「豊月さん……? どうして……?」
「天狗から報せが届いたんだ! 鬼は!?」
鷹丸は山の方へと指を差す。
「あの人が……」
豊月の目に映る。笠を被り、蓑を着込んだ男の背中。だが、すぐに木々の影に隠れて見えなくなってしまう。
「そんな……そんな……」
豊月は自身の額に拳を当てる。
「
彼女の瞳は小さく揺れていた。
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