第25話 好奇と好機

 その鬼人はただの一匹の鬼であった。

 誰を真似たわけでもなく、人を喰べたいという欲求に従い、その欲求が満たされるためにものを考える。

 誰に言われたわけでもなく、生きていたいという本能に従い、その本能に導かれるようにものを考える。

 そうやって、着実に力を強めていた。


 そんなある日、なんの前触れもなく天狗が現れた。

 太陽を背に白翼を羽ばたかせ、冷たい視線を突き刺しては、鬼にはなんの覚えもない些細な出来事を糾弾し、それは大罪であると宣告をした。


 鬼は罰を言い渡される。とある人間達と戦えと。


 それに反抗や抗議など鬼にはできるはずもなかった。決して天狗には逆らうなと、その胸の内の本能が叫んでいる。


 故に、鬼は理不尽を受け入れ、その罪と罰を背負うこととなった。


 鬼は気づく。自身の本能は正しかったのだと。その数日後、これまでの自分には考えられない力が、姿形の変化とともに現れていた。

 生き長らえたことで数人の人を喰う機会に巡り合い、そして鬼人となったのだ。


 鬼人は初めて、己の意思で考える。そして、確かに感じていた。胸の内の本能が小さくなっている。己の中の欲求が発展している。


「天狗のようになりたい」


 強ければどんな理不尽も罷り通る。それを学んだ。絶対的な存在は何をしても良いのだと。

 自由に、好き勝手に、我儘に生きる。それが鬼人にとっての理想であった。


 彼の欲求は欲望に変わっていた。


「天狗の持っているものが欲しい! そして、天狗よりも強く!! 自由に!!」


 *


 一畳の畳の上で緑の鬼人は跳ねるように立ち上がると、その目を輝かせて笑った。

 天狗に戦えと言われた女の身体から、自身の常識を遥かに凌駕するほどの煌が溢れ出ていたのだ。

 本来なら恐るべき力。忌み嫌うべき黄金。

 しかし、鬼人の胸は高鳴っていた。


「お前は俺様のものだ!!」


 鬼人は人差し指を晴姫に向ける。


「この女を捕まえろ!!」



 鬼人の号令を聞いた鷹丸は、握っていた晴姫の手を離す。


「晴姫様。私が貴方の目になります。まずはこの場を制圧しましょう」


「わかりました!」


 鷹丸の瞳が細かに動く。

 二人は現在、鬼人と三十人ほどの民達に挟まれている状況である。彼らは点在する小屋によってできた複数の路地と一本の通りを埋めるように立っており、逃げ場はない。

 都合の良い点があるとすれば、里長の家があるため四方から攻撃を受ける心配がない事くらいだ。


 案の定、民達は真っ直ぐに晴姫を目指して駆け出している。


 鷹丸は晴姫から十歩離れると、通りから迫る大多数に向かって鉄槍を構えた。

 民達は彼と戦おうとする素振りすらない。誰かが青年の動きを阻害するだけで、容易く達成できる命令であるにもかかわらず、我先にと晴姫を目指している。


「晴姫様! 鬼人の"縛り"というもののせいか、動きがとても短調です!! 訓練通りに!!」


 鷹丸は槍を振るった。刃のついた穂ではなく石突いしづきで、バタバタと動く民達の足を攫う。


 その者が地面に叩きつけられるように、周囲を巻き込んで倒れるように、彼は無数の足にその槍を引っ掛けるのではなく、大きく掬い上げるように振るう。

 鷹丸の素早い足捌きと槍の長さが、次々と迫り来る者達を地面に伏せさせていた。だが、そんな鷹丸の脇を三人の男女が抜けていく。晴姫に向かって一目散に駆けていく。


 その姿を鷹丸はしっかりと瞳に映していた。


「晴姫様! 刺突転撃!!」


 そんな青年の言葉が晴姫の耳に届く。


 彼女は近づく三つの気配に向かって錫杖を構えた。一つが先行し、残りの二つがそれを追従するように迫り来る。


 シャンっと錫杖の音が鳴った。

 ゴエっとおかしな音が鳴る。

 晴姫はその石突いしづきを先頭の男の腹に突き刺していたのだ。かと思えば、彼女はその身を素早く翻しては腰を落とし、その勢いのままに続いて迫る女の足を錫杖で薙ぐ。勢いよく体勢を崩した女はそのまま、疼くまる一人目の男に激突して地面に倒れた。

 敵はあと一人。その気配は彼女の目の前にあった。それは、しゃがんでいた晴姫に敵が覆い被さろうとする間際。彼女は立ち上がる勢いのままに振りかぶり、男の顔面へと錫杖を叩きつけた。


 砂埃が舞う。シャンっと錫杖が鳴り響く。

 晴姫は流れるような動きによって、三人もの敵を撃ち倒してしまった。


「晴姫様! 流石です!」


 晴姫は鷹丸から戦い方を習っていた。それは彼女の錫杖を用いた棒術である。しかし、それもまだ日は浅い。旅をしながら、十分な修練の時間を確保することはできないだろうと理解していた鷹丸は、彼女のために型を作った。


 攻撃を一連の流れとし、決まりごととし、それに名前をつける。そうして、いくつかの型を作る。

 当然、武に身を置いて日の浅い晴姫に咄嗟の型の選択は難しい。故に、鷹丸が彼女の目となって状況を見極め、適切なものを指示するのだ。


 そこから数度、同じように晴姫の元に敵が迫る。その度に、鷹丸の指示のもと彼女はそれを撃退するのだ。

 だが、二人はジワジワと追い詰められていく。段々と鷹丸と晴姫の距離は近づいていた。


「鷹丸様! これは一体!?」


 民達はどんなに攻撃を受けようと、その身にいくつもの痣ができようと立ち上がり続けるのだ。フラフラと他者から見てもその体が悲鳴をあげているのがわかる。にもかかわらず、地面に伏した状態ではいてくれない。


「鬼人の命令によって強制されているのでしょう……。あの鬼人を倒すしか……」


 そんな困惑の最中、鬼人の声が響く。


「あーもう!! 縛り過ぎると融通がきかないなぁ!! あの男を先に殺せば良いだろ!!」


 一斉に数多の視線が晴姫から鷹丸に移る。

 その瞬間、フッと青年の表情が柔らかくなった。鬼人を倒す好機が舞い降りた。そう彼は思ったからだ。


 そもそもが、この盤面は詰みかけている。

 鬼人は輿こしに乗っているため二人よりも高所を取っている。それに加えて子供達という盾がある。そちらに気が向けば鬼人にやられ、鬼人に集中すれば子供達に捕らえられる。鬼人を封じるには晴姫の伝煌が必要で、鷹丸は彼女が鬼人に攻撃を加えるための障害を取り除く必要がある。しかし、立ち上がり続ける民達がそれを許さない。


 これは明らかに鬼人によって計算された配置であった。自身の有利を最大限押し付ける陣形。

 これを覆すには、里の民達を殺すしかない。彼らが鷹丸を標的とする間は晴姫に危害はない。故に好機なのだ。


 鷹丸の思考は既に打算で働いていた。

 晴姫の死と見ず知らずの里の者達の命。失うならばどちらが悲劇か。

 類稀なる才能を持った善良なる少女と、幸運にもここまで生き延びることができた縁坐えんざの咎人達。

 どちらを選ぼうと自身が傷つくことを鷹丸はわかっている。故に打算なのだ。民達を殺して、その命を背負って鬼人と戦う。あるいは必死とも言えるような状況で晴姫を一人、鬼人と戦わせる。

 どちらが自分にとってなのか。その答えは既に出ていた。

 そんな時、ふと鷹丸の脳裏に餓鬼の存在がよぎった。


 餓鬼に殺させても良いかもしれない。

 自分が直接手を下すのを晴姫様はどう思うだろうか? 無力な自分を責めないだろうか? 鬼人の命令で自分が死に、餓鬼が出てくる。それで大勢の犠牲が出るのは仕方のないことだ。不可抗力の死として、降りかかった不幸として、晴姫様も納得してくれるだろう。

 そんな渇いた思いが彼の全身へと伝わり、槍を握る手を少しだけ緩める。 

そんな瞬間。


「鷹丸様を殺してはいけません!!」


 晴姫は鬼人に向かい叫んでいた。


「鷹丸様の中には鬼がいます!! 彼を殺せば皆が死にますよ!!」


 やはり、鷹丸と晴姫の思いは噛み合わない。


「はぁ!? 鬼!? それがどうしたって言うんだよ」


「奥州の餓鬼……天狗と同等、いえそれよりも恐ろしい悪鬼です!!」


 その言葉を聞いた鬼人は目を丸くして立ち上がる。呆然と口を開け、鷹丸を見る。すると、ニンマリと笑った。


「はは、お前達二人を手に入れたら……俺様は最強じゃないか!!」


 緑色の腕を振り上げると鬼人は「二人を捕えろ」と叫ぶ。


 その刹那、晴姫はその左手を鬼人の方向へと突きだした。小さな拳が力強く握られていたかと思えば、そこに眩い黄金が集約されていく。


 瞬く間に、黄金の光は球状へと姿を変えた。豊月が見せたそれよりも二回りも大きな煌玉は、まるで雷をそのまま固めたかのように無数の細い光が次々と走っている。バチバチとした小さな閃光がいくつにも起こるその姿は、彼女が込めた煌の強さを物語っていた。


 鷹丸も鬼人も彼女が何をしようとしているのかを即座に理解する。


 晴姫は砲煌を放とうとしている。

 命令の切り替えによって生まれた、まさしく一閃とも呼べる隙の中で、彼女は黄金の砲丸を作り上げた。


 大きくも不細工で、破壊的なその煌玉に、鬼人は初めて恐怖に顔を歪ませた。

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