第22話 隠れ里へ
鳥の
パキッと枝が踏み折れる音がしたかと思えば、シャンっと錫杖が重なるように鳴り響く。
息を吸えば肺を満たすのは青々とした爽やかな香りで、息を吐けばその余韻が微かに残る。
左手で握る逞しい彼の手はとても暖かい。
晴姫は景色を眺めていた。
閉じられた瞼の奥で、何も映さない瞳の奥で、限りある想像を材料に作られた彼女にしか歩めない世界。
鷹丸の言葉に導かれて描かれたその景色に色はない。それでも、晴姫は色を感じている。
鷹丸と晴姫は細道を歩いている。あの窪地を通り過ぎ、木漏れ日が差す広葉樹林の中にいる。
細道は多少踏み固められた腐葉土に変わり、木々の間を縫うようにして二人は進む。
「風が強いですね……晴姫様。寒くはないですか?」
「大丈夫です! むしろ、涼しいくらいです」
時折、林の奥から強い風が吹くのはその先に山があるからだ。枝葉の隙間から覗くその深緑の頂は陽光に輝いている。
「山の香りが強くなってきましたね。木陰が多くてよかったです……ご遺体が傷みづらい……」
晴姫の言葉に鷹丸は「そうですね」と静かに答えた。
彼の背負う大きなつづら箱にはあの子が入っている。鷹丸にとっては軽いその重さが、前に進めと背中を押しているようで、ついつい彼の歩みに力が入ってしまう。
「豊月さんを町に残しておいて、良かったのでしょうか……?」
ふと、晴姫がそう呟いた。
「怪我もそうですが、豊月さんはこの子の死に強く責任を感じていました……。母親に会わせることはできないですよ……」
町長と話をしたその日には豊月は目を覚ましていた。腕の骨折と擦り傷。いくつもの打撲が目立ち、痛々しい傷を負ってはいたが、幸いにも歩けないほどの怪我ではない。
豊月も自身の怪我を茶化すように笑って見せた。鷹丸はその様子に安堵し、女の子の死を彼女に伝えるとその瞳はゆっくりと沈み、力無く目元を左手で抑えたかと思えば、肩を小刻みに震わせた。
その時に鷹丸は思ったのだ。あの子の死を嘆く母親の姿が、豊月にはどう映るだろうか。
子供を助けようと仲間を説得したのも、それを可能にする作戦を立てたのも、鬼を倒すべく主攻を担ったのも、あの子のためにその身を削ったのも全て豊月だった。
彼女に落ち度はない。にもかかわらず、それを豊月自身がきっと認めない。認められない。
もし、母親が深い悲しみに狂い、救えなかった我々を強く非難することがあれば、その言葉を彼女は真正面から受け止めてしまう。受け入れてしまう。
その理不尽の刃は嵐のように吹き荒れて、彼女の心をズタズタにしてしまう。
鷹丸にはそんな気がしてならなかった。
「それに、私達も少しは役に立たないと豊月さんに愛想を尽かされてしまいます」
そう言って鷹丸は微笑むと晴姫もフフフと笑った。
「そうですね! 豊月さんに惚れ直してもらえるように頑張りましょう!」
そうして、細道を進む二人の前に川が現れる。ゴロゴロと転がる岩々とひんやりとした空気。少し流れの早い清流の対岸に、また細道が伸びている。
元々この細道は狩人のためのもの。あの対岸にある道の先に隠れ里はない。それを二人は町長から聞いていた。
正しい道は上流に少し歩くと見える苔むした岩の数々。その美しい碧に隠れて立っている石造りの小さな祠を目印にして、その脇の大きな岩と岩の隙間に入っていく。
その隙間の先にあるのは薄暗い樹海。
幾つものが木々が苔の緑を着込んでいる。
歩いても歩いても変わらない景色。鷹丸が振り返れば、小さくなった岩々が座っていた。
二人は歩き続ける。
「お疲れではないですか?」
鷹丸がそう晴姫に尋ねたのは、地面が凸凹と歩きづらくなってきたからだ。石や木の根によって隆起した土。さらに苔によって滑りやすい。
「私は大丈夫です。それにしても、里は随分深いところにあるんですね」
「
「縁坐……。何も悪くない人達が罪を負うなんておかしいです……」
晴姫の手に少しだけ力が入る。彼女の見ることができない鷹丸の瞳が少しだけ揺らぐ。
「確かに不自然かもしれません。ですが、それが犯罪の抑止に繋がる」
「抑止……?」
「心に悪意が猛っても踏み留まれるんです。一人だけなら進める地獄への道も家族を連れては行けないでしょ?」
鷹丸の穏やかな声には微かな震えが隠れていた。それを押し殺して彼は更に語る。
「それでも、どうしようもないバカがいるんです。後先も、周囲のことも考えることができない愚か者が一時の感情に流されて不幸を振り撒いてしまう……」
その言葉に晴姫は口を開く。その言いかけた言葉は鷹丸の声で遮られた。
「晴姫様。どうやら着いたみたいです」
樹海が拓かれていた。いくつもの切り株とまだ開拓途中の不完全な畑。その奥には簡素な木製の柵に囲われた集落がある。
青々とした空が頭上にはあり、山が目前で聳えていた。
「この里に住むのは、家族に裏切られた人達です。警戒心をお忘れなきよう……」
こちらに気がついた農作業中の男が近づいてくる。だんだんとその姿が大きくなるにつれ、鷹丸の瞳に彼が映る。鍬を持つ手は震えていて、瞳孔は少しの潤みをもって揺れている。
鷹丸は穏やかに話す。つづら箱を見せる。
それだけでその男は鍬を捨てて、集落へと走っていく。そして、男はすぐに一人の老爺を連れて戻ってくると、その老爺にも鷹丸は事の顛末を話した。
大きく目を見開いて聞いていた老爺は次第に瞳を閉じて、深々と頭を下げる。
「この度はなんとお礼を申し上げたら良いか……。お二人を歓迎致します。どうぞこちらへ……」
老爺は隠れ里の長であった。集落の入り口へと導かれると、しばらくの沈黙の後で里長は口を開いた。
「葬式をしなくてはなりませんね。今日中に準備をして、なんとしても明日には行いましょう。ですから、お二人もどうか参列をお願いします……。そして、町長にどのような葬儀であったかを……お伝えください」
「そうですね……。その役目は私たちしかできないことです……。鷹丸様もよろしいですか?」
鷹丸が同意すると、里長は小さく息を吐く。
「それでは、その子はこの者に。本日は私の家でお休みください。できる限りのおもてなしをさせていただきます……」
「ありがとうございます。ですが、その前にこの子の母親にご挨拶をしても良いですか? 直接、話を聞きたいでしょうから」
鷹丸がそう言うと、少しの沈黙がまた流れた。
里長は開墾途中の畑の奥をじっと見つめている。鷹丸もその方角を見ると二つの人影がキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。
「……。あれが見えますか? あの子の両親です……」
山おろしの風が吹く。
その中に篠笛の音色が微かに潜んでいる。
「この子が行方不明になってから、ああして集落の周りを徘徊し続けています……。目は虚で、会話もままならない……。私らが二人に伝えます。あなた方の説明を理解できるほど、正気ではもうないのです……」
軽やかで弾むようなその音に鷹丸と晴姫は気づかない。そんな二人を笑うように風と音色は樹海へと消えていった。
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