第21話 罪人の里

 お焼香の香りがそっと部屋に漂っている。

 襖からは陽光が漏れて、暗い雰囲気の和室に精一杯の光を差していた。


 啜り泣く女性は二十代半ば。その横で拳を握りしめては項垂れる五十代ほどの男。どちらも丸く膨よかで、どちらも垂れた眉をしていた。

 その二人の前には、女の子が布団に寝かされている。陽光を浴びているのに、その肌は冷たい。

 その寝顔は白い布で隠されていた。


 しばらくして、男女は女の子に背を向ける。

 顔を上げた二人の視線の先には鷹丸と晴姫が慎ましく正座をしていた。


「この度はありがとうございました……」


 男はこの町の長である。そんな存在が掠れるような声で、心からの悲しみと感謝をその態度で示していた。畳に自身の額を押し付けては薄くなった頭頂部を若者に向ける。その横で同じように額を畳に付ける女性は彼の娘で、血の繋がりを強く感じさせるほど、顔のところどころが酷似していた。


 鷹丸が口を開く。


「そんな……助けられず申し訳ございませんでした」


「何をおっしゃいますか……危険を承知で鬼から救い出して下さった! この子を綺麗な姿で取り返して下さった……!」


 ポロポロと畳にシミができていく。

 目から溢れる涙を町長は必死に拭うのだが、なかなか涙は止まらない。


 少しして、そんな姿が落ち着きを見せる頃、鷹丸が口を開いた。


「あの子は長いこと鬼に囚われていたようです……。ご家族でしたらその……失礼ですが、失踪した事をお気付きにはならなかったのでしょうか?」


 鷹丸の問いに女性が答える。


「この子は姉の子です……。隣町に住んでいるので、まさかこのようなことになっているとは……。いつものように山菜を売りに来る途中だったのでしょう……」


 女性は小さな声でゆっくりと話す。


「あの子ひとりで山菜売りを?」


 晴姫の問いに女性はやはり蚊の鳴くような声で答える。


「いえ、いつも父親と一緒にです……。家族想いの優しい子で、家業の手伝いを率先して……」


 この町を目指す道中で親子は鬼に襲われた。そうであるならばきっと父親は既に死んでいる。

 山菜でいっぱいの袋を担ぐ親子。その道中の笑顔とその後の絶望に染まる顔が鷹丸には容易に想像できてしまう。


「あの……」


 そう女性が声をかけ、鷹丸の想像を遮った。


「どうして、皆様はあの土地に……? あそこには何もありませんが……」


「何もない? 」


 鷹丸は目を細めた。

 何もないのならなぜ、あの子がそこにいたのか。

 あの子が何もない場所で囚われていた事よりも旅人がその場所に赴いたことを訝しんでいる。

 自然と鷹丸の目にも相手への不信が宿る。


 その視線に当てられて町長が額に汗を滲ませながら口を開いた。


「何もないというのは言葉のあやですよ。あの先には山しかありません。山菜取りや狩などでなければ通らない場所です。地元の者からすれば不思議に思ってしまうのですよ」


 この親子はそう言いながらチラチラと目配せをしている。二人の額からは大粒の汗が滲み出ていた。


 そんな様子を見て鷹丸は二人に微笑みかけると「そうでしたか」と声を和らげる。大袈裟に警戒を解いて見せるのは、彼らが何かを隠していると確信したからだ。


行脚あんぎゃですよ。修行のために鬼を封じて回っているのです。昨日、この町の封師から近隣での鬼の被害は無いと聞いています。ですので、町から外れて鬼のいそうな辺鄙なところに行ったのです」


 鷹丸は当たり障りのない理由を話した。この二人があの子の死に向けた感情からは謀殺の類を感じない。あの場所自体に何か隠し事があるのだろうと彼は感じ取っていた。怪我をした豊月がいる中で厄介ごとに自ら足を踏み入れることは得策ではない。そう思った鷹丸はこれ以上の詮索をやめたのだ。


 しかし、そんな鷹丸の考えに気づかない晴姫が口を開く。


「あの子が住んでいた隣町は、ここからどれくらいの距離なのですか?」


「そ、その一刻半3時間ほどでしょうか……」


 晴姫はその答えに少し首を傾ける。神妙な面持ちで言葉をかけた。


「何日も娘と夫が帰らないのに、お姉様はお二人を訪ねて来なかった……。どうしてでしょう……?」


 町長と女性は慌てたように顔を見合わせていた。明らかに戸惑い、町長の額からは汗がポタポタと流れ落ちている。


「そ、それは……それは……」


 二人は言葉を詰まらせている。

 そんな様子が晴姫には見えずとも確かに伝わっていた。


 すると、陽光のような暖かい言葉が彼女の口からこぼれ落ちる。


「あの子をお母様に会わせてあげたいです……。まだ綺麗なうちに会ってほしい……」


 その言葉に鷹丸は優しい眼差しを晴姫に向ける。彼女の横顔は穏やかで、少しばかりの哀しさが覗いていた。

 その純然な想いは、眠るあの子だけではなくその家族にも向けられている。


 先ほどまで、慌てふためくだけだった二人は膝の上で拳を握り締め、いつのまにか静かに泣いている。


 その感情の起伏から、この二人は何かに苦しんでいるのだと鷹丸は感じた。


「お父様……」


 女性が町長を見ると、彼はどこか思い切るように息を吸った。


「ああ……私達もあの子を娘に合わせたい……。ですが、この町の者は娘の集落には行けないのです……」


 町長の言葉に晴姫が疑問を投げる。


「行けないというのは、何か争いごとでしょうか……?」


 町長は首を振る。

 すると、ボソッとその声を落として呟いた。


「隠れ里なのです……。そこはこの町でもほんの数人しか知りません。周囲にその存在を知られてはいけないのです……」


「それを私達に話して良かったのですか?」


 鷹丸がそう言った途端、町長は畳に額を擦り付ける。


「この子を隠れ里まで送ってはくださいませんか……!? 行脚としてなら、きっと誰にも怪しまれません!!」


 晴姫の顔が鷹丸に向いている。

 彼には彼女が言わんとしている事がわかっていた。だが、それに易々とは応えられない。


「私たちを殺しますか?」


 突拍子もないように思える、その一言だけを鷹丸はぶつけた。

 町長は目を丸くする。そして、すぐにその瞳は伏せられた。


「そんな……殺すなんて……。いえ、それほどの決断力が私にあれば良かったのかもしれませんね……」


 ポツリポツリと町長は隠れ里について話し始めた。



『この町の長は武蔵国への渡しをしている』

 そんな出どころのわからない噂が昔から流れていた。

 真偽など確かめず、藁にもすがる思いで様々な者達が訪れる。当然、渡しができるわけもなく罵声や懇願を浴びながら追い返すのが、常であった。次第に奉行人にも目をつけられる。町の無罪を証明するために訪れた罪人を奉行人に引き渡すようになったのは、先代の町長の時からであった。先代は厳格な人間で、どんな理由であっても冷徹に訪れる人々に対処していた。にもかかわらず、噂を聞いて訪れる者が減ることはない。

 それもそのはず、奉行所がこの町を逃亡人の終着とするように、あえて噂を広めていたのだ。


 先代は短命であった。四十も迎えずに病に罹り、あっさりとこの世を去った。冷徹の仮面を被り、人々を突き放したことへの心労が彼の寿命を削っていたのだ。


 その息子である現町長は十八で長の座を継いだ。当初は先代を真似て冷徹に人々に対処しており、また同様にその心を着実に削っていた。


 町長が二十四の頃、若い母と男児がこの町を訪れた。慣れたように、心を殺して客間に母子を招き入れるとお茶を出して話をする。理由を聞き出し、罪人であれば奉行人に引き渡すいつもの手順。


 案の定、その母子は罪人であった。

 罪状は【縁坐えんざ】。

 この母の夫が重い罪を犯し、その懲罰が血縁という理由だけで二人にまで及ぼされる。


 この母子に直接の罪はない。だが、傷つかなくてはならない。死ななくてはならない。

 ふと、若い町長は気づいてしまう。男児の怯えた目に自分自身が写っていた。


 因果があるとすれば血縁というだけ。それによって苦しんでいる。心が、命が侵されている。


 この役目に苦しむ自分を見ているようで、つい彼は母子を助けると言ってしまった。だが、武蔵国に逃す術など持ってはいない。

 故に苦肉の策として、友人である狩人の力を借りて、人が立ち寄ることのない山の麓に母子を住まわせることにした。二人のために小屋を建てたとき、二人の笑顔を見た時、彼の心は初めて救われた。


 以来、町長は人を助けるようになった。ほんの一握りの人だけを、助けるべき人間だけを山の麓に送る。


 その度に彼もまた救われていた。




「あれから二十年以上が経ち、集落と呼べるまでになったと聞いています……。私は最初の母子以来、山には立ち入っていませんが健全な生活ができていると言っていました。そのことは喜ばしい。喜ばしいのですが、あの山の隠れ里が知られてしまえば、噂が真実になってしまいます。里の者達は時効の者が多いでしょうが、私や家族は当然死罪でしょう」


 町長の瞳孔は小さく震えていた。

 鷹丸は小さく息を吐くと、そっと声をかける。


「あの時、助けなければ良かったと、後悔されているのですか?」


「まさか! この子の父は最初に助けた男児です。恋に落ちた二人が幸せになれるように、娘は死んだことにして隠れ里に送り出しました。こうして、山菜を売りに来るたびに孫の顔を見せてくれた……。彼も娘も懸命に恩を返してくれていたのですから……後悔なんて!!」


 町長の視線がまた、下を向く。


「いえ、孫の死に直面して彼らを助けた意義がわからなくなりました……。いや、はじめから私の行動に意義なんてものはなかったのかもしれません。救うべき人とそうでない人。分不相応に、私だけの尺度で人間を差別して、命を選別して、私自身の安らぎにしていた。今になって、私はそのことが恐ろしい……。私が多くの人の人生を歪めた、ただの罪人であったという事実が恐ろしい……」


 すると、女性がそっと町長の震えた肩を抱く。


「私達はこれ以上の罪に耐えられない……。だから、ここ最近は誰も隠れ里に送ってはいないのです……。そんな私達に口封じに殺人など、できるはずもない。隠れ里があると話した時点で、私たちはあなた方を信じるしかない……縋るしかないのです……」


 晴姫のありもしない視線が鷹丸に突き刺さる。

 彼は晴姫の手をそっと握ると「わかりました」と小さく呟いた。



「隠れ里の場所を教えてください。必ず、母親の元にあの子を届けます……!」


 力強く鷹丸の言葉が二人の耳に届くと、また町長と女性は額を畳に擦り付ける。


 晴姫はそんな二人に近づくと、頭を上げるようにと呟いた。そして、彼女は町長と女性の手を取ると、暖かく握る。


「私はお二人を尊敬します……。人々を救うこと、それは大変な勇気です。私の理想です。今はお辛いでしょうが、きっと誇れる日が来ます……。どんな理由であれ、人を救うことが罪であるはずがないのですから……」



 焼香の煙が揺れている。

 静かに静かに揺れている。

 襖から漏れる陽光が、冷たくなった幼い体を照らしている。


 背を向けていた彼女が生まれたきっかけは、その身体を向き直り、彼女の小さな手に優しく触れる。

 晴姫が送った暖かさが二人に加わり、二人の暖かさが女の子へ。


 季節は秋。

 昼間はまだ、暖かい。

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