第17話 砲撃

 砂煙が舞い上がっていた。



 鷹丸は咳き込むと、右腕でその目元を覆う。

 上空からは吹き飛んだ土砂が、雨粒のように降っていた。


「あの子は……鬼は何をした!?」


 鷹丸は辺りを見回すが、砂塵によって視界が悪い。鬼が近くにいるという状況にもかかわらず、身動きが取れないでいた。

 耳を澄ましても聞こえるのは土が落ちる音だけ。生物の気配を鷹丸は感じ取れない。


 警戒心だけが濃くなり、青年の鼓動が早くなる。だが、周囲に変化は見られなかった。


 そんな緊張の中で、段々と砂煙は薄くなり、その視界が晴れていく。



 鷹丸の目にやっと、異変がその姿を現した。



「なッ!?」


 そこは爆心地。

 女の子がいたはずの場所。


 得意げに笑う鬼の姿。


 などでは決してない。


 いつのまにかそこには、御神木のような大樹を思わせる茶色い巨柱が建っていたのだ。


 その光景に鷹丸の理解は追いつかない。ただただその巨大な柱を口を開けて眺めていた。


「鷹丸ッ!! 離れろ!!」


 青年を現実に戻したのは豊月の声であった。


 そしてすぐに、鷹丸の視界に三本の黄金の矢が映る。眼前の巨柱に突き刺さることでやっと、彼は事態を理解した。

 視線を柱の先へと移す。高く高く、顔を上げていく。

 太さの変わらない均一な柱の天辺は、太陽の輝きで直視できない。



 すると突然、柱が陰を作った。


 その天辺が曲がり、陽光を遮っては青年を見下ろしている。


 直径が一丈3メートルほどの円形の柱、その丸みを帯びた先端は花の蕾のように萎んでいた。


 かと思えば、その蕾がゆっくりと開かれる。

 それにつれてその中心には穴ができ、段々と大きくなっていく。広がり、広がり、広がり続ける。

 最終的には少しの縁を残して、その直径の殆どが真っ黒な穴に変わった。



 鷹丸はその光景に目を丸くした。

 反射的に青年はその物体に背を向けて走り出す。



 こんな事がありえるのか?


 鷹丸は心の中でそう叫んだ。


 あの真っ黒な穴の中で、彼の目が捉えたのはギザギザとした小さな白石。

 それがびっしりとその内側に敷き詰められていたのだ。


 それを見て鷹丸は瞬時に理解した。



 あれは口なのだと。




 奇怪な大口が落ちてくる。

 巨大な柱は柔軟に曲がり、畝りながら迫り来る。


 鷹丸をその巨影が追ってくる。あっという間に、奇怪な気配をその背後に感じると、青年は瞬時に飛び跳ね進行方向を大きく変える。


 激しい衝撃音と共に土飛沫が彼を追い抜いた。


 距離を取って鷹丸は振り返る。


 柱だったものは、その先端を地面へと突き刺していた。長い長い胴体はブヨブヨと波打ちながら蠢き、畝っている。


 その姿を形容するならミミズだ。鷹丸はそう思った。


「鷹丸様!! あの子の煌をまだ感じます!! あそこです!!」


 鷹丸は晴姫の声に振り向くと、彼女は一点を指し示していた。

 そこは爆心地。大ミミズの根元。

 鬼の体内で女の子はまだ生きている。晴姫はそう語ったのだ。


 度重なる想定外。だが、やる事は当初と何も変わらない。鬼を封じ、あの子を助ける。困惑の色が青年の瞳からは消えていた。


「わかりました! 豊月さん!!」


「ああ!! わかってる!!!」


 豊月は晴姫の横に立ち、鉄砲を構えている。

 光の矢を幾度となく放ち続けていた。

 ミミズのその巨体に刺さる砲煌は針のように細く小さく、弱々しく二人の目に映る。


 やはり、と言うべきか。あの光の矢は致命打になっていないと、鷹丸は感じ取った。それを証明するように、むくりと大ミミズは顔を上げると、ニタァと笑うかのようにその口角を下げる。



「鷹丸!! 私は一撃一撃の煌量を上げる!! 援護を!!」


 豊月は鷹丸の鉄槍を窪地へと放り投げた。

 女の子を抱えて罠を脱出するために置いてきた槍。傾斜の麓に突き刺さった武器を得るために鷹丸はまた走り出す。


 その一歩を踏み締めた瞬間。

 大ミミズもまた動き出した。


 蛇のように体をくねらせ、その大口で地面を抉りながら鷹丸に迫る。

 走る青年を大きく上回る移動速度。すぐにその背後を取り、襲いかかる。それを察知して彼が振り返れば、視界の大部分を覆うのは鬼の口腔であった。その真っ黒な洞穴は世界を喰らっているかのように、削れる大地を闇に引きずり込んでいる。


 そんな世界と闇の境界が青年に触れるかという瞬間。


 鷹丸は大地を力強く踏みつけて飛び上がった。

 大ミミズの上唇を足場として更に高く。


 青年の足元ではミミズの長い胴体が川のように流れていく。それを彼は一瞥すると、すぐに視線を別のものへと移していった。

 足元にある川の上流、あの茶色い胴体が伸びる先。それは女の子がいると晴姫が言ったミミズの根元である。


 その根元は変わらず、土に突き刺さったままであった。その姿を見て、鷹丸はハッと目を見開いた。


 青年は大地に颯爽と降り立つと、豊月に向かって叫ぶ。


「この窪地は鬼の行動範囲です!!」


 その一言で豊月には伝わった。

 鷹丸よりも高い位置にいるからこそ、彼女の目には映っている。この窪地の半径が、あのミミズが露出させている体長と近しいのだ。


 なぜ、その身体の全てを晒さない。

 なぜ、あえて行動に制限をかける。


 豊月は思考する。


 すると、一つの可能性がすぐに浮かび上がった。



 あの土の中にがあるのではないだろうか。



 豊月の構える鉄砲から煌が溢れ出る。通常の砲煌よりも多量な黄金。大きく、大きく大炎のように燃え上がるその光は、次第に丸みを帯びて収縮されていく。


 出来上がったのは黄金の鞠。銃口の前でその圧縮された煌玉こうぎょくが輝いている。



 豊月はゆっくりと、長く息を吐いた。

 それに合わせて煌玉はその形を変えていく。まるで弓を引くように引き絞られたその黄金は、太刀を思わせる光の刃になっていた。


 彼女の息が止まる。


 その瞬間、黄金の刃は放たれた。


 風を切り、黄金の尾を引きながら突き進む。

 真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに飛んでいくその刃は、大ミミズの根元に深く突き刺さった。


 巨大な体がビクンと跳ねる。

 大口を空に向けて痙攣し硬直するその姿は、豊月の予想が的中したことの証明であった。


「鷹丸!! 私の煌でこの反応。鬼人にまでは成っていないぞ!!」


 大ミミズの硬直の隙に鉄槍を手にした鷹丸は、窪地の縁に立つ豊月を見上げる。


「あの姿で鬼の段階という事ですか!? 」


「ああ!! だからこそ読めたぞ!! あの根元の先に身体がある!!」


「身体!? それって……」


 大ミミズはまた動き出した。

 不自然なことに襲いかかる対象は鷹丸で、豊月には見向きもしない。


 その突進に青年は跳躍や急な方向転換を繰り出しては回避する。だが、執拗に鷹丸の背を追い続けるのだ。


「なるほど……そういうことか」


 鷹丸は呟いた。


 この大ミミズは何を持って人間が罠に掛かった事を察知するのか。

 口しか存在しないその顔で、物事をどうやって知覚する。

 唯一存在が確認されている知覚器官は肌。つまり、触覚なのだが大地を抉りながら進むその姿に繊細な機能を感じ取れない。



 豊月はそんな事実から身体が土の中にあると言ったのだ。

 本来、鬼としてあるはずの手足や角、その他器官があの根元の下に隠されている。


 つまり、大ミミズのように動くあの巨体は肥大化した口なのだ。

 進化の過程で得た力。それによる不都合。

 長いその口のせいで小回りが効かず、自身の身体を守れない。背後からの攻撃にはあまりにも無防備。故に身体を地中に隠し、行動の制限を罠で補助する。


 では、土に埋まった状態でどう獲物の位置を感知しているのか。

 それは人間が大地を踏み締める事で伝わる微細な振動をあの根元の先で知覚している。あの大口が地面を抉るのは距離感を測るため、あるいは感知が精密ではないからか。


 故に鷹丸しか狙わない。いや、狙えない。

 豊月と鷹丸にはやっと、あの鬼のことわりが見えた。


「豊月さん!! 私は囮として、あの口を引きつけます!!」


「わかった!! 油断は禁物だからな!!」



 鷹丸は槍の柄を用いて、地面に突き立てると大きく跳ねる。迫り来る大口を回避する動きは洗練されつつあった。


 そして、豊月の威力を上げた砲煌が大ミミズを苦しめる。

 黄金の太刀が放たれるのは決まって、鷹丸が大口を回避するその瞬間。

 鬼は硬直し、動けない合間に青年はその体勢を整える。

 二人の連携が着実に鬼を追い詰めていた。



 それから数度、砲煌が突き刺さると大ミミズの行動に変化が現れる。


「なんだ?」


 その大口が鷹丸を追うのを辞めたのだ。

 ピタッと静止したかと思えば、紐を巻き取るように引っ込んでいく。


 その後の光景に鷹丸からは嘲笑が溢れた。


「それは悪手だろ」


 大ミミズは根元を覆うように一周分だけトグロを巻いたのだ。

 自身の弱点を守るため、これ以上の攻撃を喰らわないように、そんな思惑からの守りの一手。


 だが、それにより失ったのは攻撃範囲だ。

 鷹丸が囮になる必要はもうない。豊月の砲煌を一方的に撃ち続けることができる。



 罠も生き餌も失う鬼。逃げても破滅・戦っても破滅。そんな絶望に苛まれた結果の現実逃避が、あの行動なのであろう。


 鷹丸は大きく息を吐いた。


 大口はまた蕾のように閉じられている。

 まるで大ミミズは全てを諦めたかのように、その顔を青空に向けていた。

 空を眺め、まるで祈っているかのように動かない。


 その光景に青年は勝利を確信した。





 その時である。


 大ミミズの身体がドクドクと脈動を始めたのだ。蕾へと向かい波打っている。


 すると、蕾はまた開かれた。

 ニンマリと下品にその口を歪めている。

 大口が向く先は、豊月と晴姫。


 大きくミミズの身体が反っていく。トグロを視点に地面と水平になるまで倒しきると、ピタリと止まる。そして、海老反りのようにその中腹を頂点として山を作ったのだ。その山は軋むような音を立てはじめる。


 横から見れば弓形のような体勢。


 鷹丸にはその行動の意図がわからなかった。

 しかし、その精神は胸騒ぎとなって警鐘を鳴らす。それが、ふと頭の中にある小さな記憶を浮かび上がらせた。


 育った村、自身が仕えた武士の屋敷。小さい頃に一度だけ見たそれは、長いこと使われておらず土蔵の中で埃を被っていた。知識としてその使い方と仕組みを学んだが、今のいままで、それが役に立った事はない。


「晴姫様ッ!!!」


 鷹丸は慌てて叫んだが、もう遅い。

 あのミチミチと軋みながる反る身体は、前に戻ろうとする力と倒れようとする力が引っ張り合ってできたもの。それが膨大な力となって、大ミミズの中腹に留まっている。



 それが解放された。



 口のある先端が壮絶な勢いで起き上がると、その速度を維持して前に倒れる。柔らかに曲がりながら、最後に口のある先端に力が集まり大きく振られる。



 鷹丸が想起したもの、それは攻城兵器であった。

 太縄と木組みの車を組み合わせ、特異な動きを実現する。人では到底成し得ない岩を投げるという所業。人間の叡智が産んだその代物の名は


 投石機。


 大ミミズの口から放たれた目にも止まらぬ物体が、晴姫と豊月に襲いかかった。

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