第16話 皿と餌

 茅葺き屋根を想起する、二丈6メートルほどの傾斜面と半径が二町200メートルほどの平坦で広大な底。点々と雑草が生えているだけなその土地の中央に幼い女の子が倒れている。


 顔を見上げれば深緑に染まる小さな山が聳え、その麓には薄暗い森が広がっている。三人が進む細道はその森の奥へと続き、その道を外れれば、くるぶし程度の高さで生い茂る草原があるのみである。


 そんな大自然の入り口に、熟練の陶芸師が作る皿のように均一に凹んだ土地ができている。この不自然によって鷹丸と豊月はこれが罠だと理解できたのだ。




 にもかかわらず、鷹丸はその罠の縁に立っている。ゴロゴロとその足元にあった石が斜面を転がり、平坦に辿り着くが気にも留めない。

 彼は遠くに横たわる幼子を目に焼き付けていた。そして、大きく息を吸うと、スーッと小さく長く吐く。手足をブラブラと揺らし、極限まで筋肉を緩ませる。


「大丈夫です」


 その鷹丸の言葉を聞いた豊月はそっと、その筋肉質な背中に右手を添えた。


「頼んだ」


 その一言と背中に伝わる彼女の温度が、鷹丸の心を引き締める。


 この作戦の立案者は豊月で、最も危険を伴うのは鷹丸であった。

 自身の作戦で仲間を危険に晒す。にもかかわらず、彼女の一言は謝罪ではない。


「晴姫様! 鬼の気配の察知、お任せします!」


 豊月からの信頼と晴姫への信頼が、鷹丸の背中を強く押した。


 踏み出したその一歩が小さな土煙を上げる。青年は傾斜に身を委ね、その勢いを全て加速することに利用する。


 一心不乱の猛進。


 罠であることを忘れたような、そんな鷹丸の単独突撃で状況を開始する。


 豊月の立案したこの作戦の目的は、あの女の子の救出であった。


 時間を少し遡る。



 *



「倒れているのは女の子みたいですね……」


 晴姫に案内され、たどり着いた窪地。その中央を鷹丸は注視していた。


「鬼の気配は近くにありません。ただ、これは罠なのですよね……?」


 鷹丸はこの地形の不自然と、これみよがしに倒れる女の子の状況を晴姫に伝える。

 それを聞いた彼女は言葉を発するために、ハッと息を吸うのだがすぐにその口を閉ざしてしまう。

 両手を胸の前に置き、晴姫は俯いた。


 鷹丸はその光景を横目に口を開く。


「残酷ではありますが、見殺しにするしかないと思います……。旅の目的はあくまで鬼退治。ここで下手なことをすれば鬼に逃げられるかもしれない……」


 その言葉に晴姫はキュッと自身の拳を握り締める。これを理解していたから彼女は「助けたい」という言葉を飲み込んだのだ。


「付近を探しましょう……。豊月さん。罠を張るような鬼です。もしかしたら拠点があるかもしれないですね」


 そう言って振り向いた鷹丸はその目を丸くした。

 豊月がこちらに深々と頭を下げているのだ。

 その美しく長い髪は地面に触れそうで、そよ風にサラサラと揺れている。


「あの子を……助けたいッ……!」


 豊月の捻り出したような声に晴姫も事態に気がついた。


「わかってる……わかってるんだ……。だが、これだけはダメなんだ。子供を見殺しにするのだけは……頼むッ!!」


「顔を上げてください」


 鷹丸の淡々とした言葉が彼女に降りかかった。

 少しだけ顔を上げた彼女の目は潤んでおり、その艶々とした瞳が、片膝をつく青年を捉えている。


 鷹丸は穏やかな声で話した。


「どこかに鬼がいます。豊月さんには冷静でいてもらわないと困るんです。その知識と経験が私達の頼りなんですから」


 その突き放すような物言いとは裏腹に鷹丸の眼差しは温かい。

 そして、また鷹丸は豊月に語りかける。


「理由をください。あの子を優先するだけの理由があれば、に応えられる。ないなら、今すぐに考えてください」


 豊月の目から一筋の涙が落ちたかと思えば、すぐにその袖で拭き取ってしまう。


「豊月さん。私たちにあの子を助けさせてください!」


「ああ……!わかった」


 豊月はその顔を上げると、長い髪をかき上げた。潤みの消えた瞳には窪地が、女の子が、現実が映っている。そして、一呼吸をおいて目を瞑るのだ。


 一陣の風が木の葉を鳴らす。土煙を攫う。豊月の髪を靡かせる。


 風が吹き終われば静寂が訪れる。


 その静けさにあてられた晴姫は錫杖をギュッと抱えてしまう。その柔らかな彼女の肩に鷹丸はそっと右手を置いた。


「大丈夫です」


 穏やかな鷹丸の言葉に、コクリと晴姫は頷いた。


 そして、いくつかの風が通り過ぎる。

 その度に豊月の髪を靡かせる。感情的になった彼女の熱を攫うように吹き去っていく。


 程なくして、その静寂は終わりを告げた。


 豊月はゆっくりとその瞳を二人に向ける。


「聞いてくれるか?」


 その凛とした視線と言葉に、鷹丸と晴姫は力強く頷いた。



 そうして、現在に至る。



 *


 窪地の斜面を駆ける鷹丸は、彼女が語った説明を反芻はんすうする。



 鬼はなぜ罠を作ったのか。

 それは、そうする必要がヤツにはあるからだ。


 知恵のある鬼の身体能力は人間を優に超える。

 街道や町に赴き、暴れる方が多くの餌にありつける。

 だが、そこには必ず封師達がいる。

 彼らを恐れた鬼が罠を張った。



 そう、普通なら考える。


 だが、それでは筋が通らない。

 人通りの少ない土地でそれをする意味がないからだ。近くの町の封師すら、ここに鬼がいることを知らない。満足に人も通らない土地でなぜ罠を張る。


 前提を見直す必要がある。

 普通の鬼ではありもしない不都合が、この罠の主にはある。

 そう仮定した場合、この窪地と少女がその答えの道標だ。


 それに従い考える。すると、浮かんできた。


 窪地も生き餌も、人間が逃げづらいように作ったのではないだろうか。

 見晴らしが良く隠れることができない。そして、急斜面は上りづらく、すぐには脱出できない。

 ましてや、あの女の子を連れていれば更に逃走は難しくなる。


 まさしく、この窪地は皿なのだ。

 餌が溢れ落ちないように、外に出ないように作った器。


 ならば、この皿の中に入れば鬼の方から現れてくれる。

 死にそうな生き餌を補充するために、何日ぶりかもわからない食料にありつけるために、やっと現れた人間が皿の中に入ることを今か今かと待ち侘びている。


 人通りのない細道ですら、このような手段を取る鬼が強いわけがない。

 ヤツが有利と感じなければきっと、逃げ続けるであろう。


 それでは、こちらの目的も達成しない。


 故に、あの女の子を救う必要がある。

 罠に突入する鷹丸の速度が、あの鬼を慌てさせる。

 生き餌を奪わせてはならないと、焦りで思考を阻害する。


 逆にこちらが罠にかけてやるんだ。



 豊月の凛とした表情が鷹丸の脳裏に浮かんだ。


 その時である。


 窪地の平坦。皿の底に足を踏み入れた鷹丸は小さな異変を感じ取った。


 大地が微小に揺れているように感じたのだ。


 猛進する中で踏み締める、その一瞬ですら伝わる不自然な振動。

 それは鬼の襲来、その予兆であると鷹丸は理解した。


「鷹丸様ッ!!」


 そんな晴姫の叫び声が鷹丸に届くと、それが確信に変わった。


 次第に揺れは強くなっていく。


 女の子まで、あと一町100メートル

 幼い顔は真っ赤に紅潮し、その黒髪には砂埃がかかっている。どれだけの時間この窪地に囚われていたのか鷹丸には想像もつかない。


 気がつけば、揺れは地震と呼べるほどにまでなっていた。


「鷹丸様!! 地中です!! 地中から来ますッ!!」


 晴姫がまた叫ぶ。

 その言葉を聞いて鷹丸は唇を噛んだ。鬼は見張っていたのではなく、地中深くで待ち受けていたのだ。晴姫の感知範囲から外れた位置にいたのは偶然か、そんなことは今の彼にはどうでも良い。


 その揺れの大きさから鬼は高速で地中を進んでいるのだと、鷹丸は理解する。

 予定していた豊月による先制攻撃もこれでは見込めない。


 計画は明らかに狂っていた。


 しかし、鷹丸は走り続ける。

 目の前の幼子を助けるために更に力を振り絞る。


 残り三十間50メートル


 少女の姿がどんどんと近づいてくる。


 もうすぐ。

 あともう少し。



「もうダメです!!! 鷹丸様ッ!!!」



 鷹丸の足を止めさせたのは、晴姫への信頼だった。



 青年があと十数歩進めば手が届く、横たわる女の子。

 ぐったりと力無く、紅潮する幼い顔には砂埃がかかっている。

 そんな彼女の小さく荒い呼吸音が鷹丸の心に爪を立てる。

 そして、青年の目に映る。ゆっくりとその脳に現実を焼き付ける。

 小さな体が横たわる地面が盛り上がると、小さくヒビが入りはじめた。



 その瞬間


 鷹丸の目の前で、大地が破裂した。

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