第9話 たんぽぽと案山子
夜に眠る山間の町。その静寂を壊したのは、痛みと恐怖に悶える叫び声だった。
鷹丸は急いで窓を開けると、その叫び声の響いた方角を睨む。目を凝らしても、異変は見当たらない。
「なんでしょうか……?」
晴姫も起き上がっていた。
あの悲鳴はただ事ではないはずだ。それは彼女にもわかっていた。
美しく星が輝く月夜で、光はある。だが、見えない所で何かが起こっているというのは二人の胸中に不気味さを抱かせてしまう。
次の瞬間、また悲鳴が町に響いた。だが、今回はそれだけではない。その悲鳴は一つで終わらず、いくつもの群れとなって飛んでくる。そしてその発生は、着実に近くなっていた。
だが、その原因はまだ見えてこない。異変は更に増して、叫び声から遅れて無数の足音が響きはじめていた。その音から察するに町民達がこちらに逃げてきている。
鷹丸の目にやっと、人々が逃げ惑う姿が映った。この宿を通り過ぎ、町の奥、あの神社に向かっている。
「何があった!!」
そう鷹丸が叫ぶと、一人の男が立ち止まり答えた。
「小鬼だ!! 小鬼が群れで襲ってきた!! 早くお前達も逃げろ!!」
「小鬼!? 数はわかるか!?」
「わからねぇ!!でも数体なんてもんじゃねぇ!!」
男はそう言うと走って行ってしまう。
「お二人さん!」
女将とお夏が現れた。
「早く神社に! 封師様の邪魔になる!」
「この町に封師様は何人ですか!?」
鷹丸が尋ねると女将は三人だと眉を
いくら小鬼と言えど、民を守りながらでは心許ない戦力。
そう思い鷹丸は槍を取った。腕から槍へ黄金が流れる。
煌を纏わせたのだ。
「私は封師様の助太刀をしに行きます! 女将さん、お夏ちゃん。晴姫様を神社まで頼みます!」
そして、鷹丸は晴姫を見る。
「晴姫様……。貴方が今できる事、それをする事だけを考えてください。いいですね?」
晴姫がその言葉の真意を聞く時間も許さず、鷹丸は窓から飛び降りる。黄金に輝く槍を持って町に消えた。
「私にできる事……」
晴姫はお夏に連れられ、神社へと向かうのだった。
*
鷹丸は悲鳴の元へと走っていた。
「そこの方! 煌術を使えるのですか!?」
声をかけたのは二十歳そこそこの封師。鷹丸同様、悲鳴の元へ急行している最中である。
「
「有難い!! 」
二人はすぐにその地へと辿り着いた。
逃げ遅れたであろう者達に小鬼が群がっている。キャッキャと跳ね回り、人だった者を喰らっていた。
見えるだけで十を超える小鬼の数。
そして、さらに現れた情報に鷹丸と封師は冷や汗を垂らした。
別の方角からも叫び声が聞こえたのだ。
さらにまた別の方角からもそれが聞こえる。
「嘘だろ!?」
ここにいる奴らだけではない。
さらに多くの小鬼が回り込んできている。行き着く先はあの神社。多くの者が非難する先だ。
「まずここを片付けましょう! その後は私は右、貴方は左に! 」
「ああ! 急ぐぞ!!」
小鬼は煌術の初歩・伝煌さえ使えれば封じる事のできる鬼である。その身体の大きさや動きは猿に近く、その握力で人の肉を簡単に引き千切る事ができる。だが、劣勢の際に逃げようとすらしないほど、知能は低い。恐怖を知らず、喰うことに固執する。喰う事ができれば子供のようにはしゃぎ、また喰らう。
だが、その小鬼にも厄介な事がある。それは自身が弱い事を本能でわかっている事だ。知能が低いにも関わらず、鬼に追従するか群れを作るかで生存を確立させている。そのため、一体での行動はほとんど無いと言って良い。鬼に成長するまでの間はそうやって生きのびるのだ。
「それにしても多すぎる……!!」
鷹丸は次々と槍を振るい、小鬼を米粒のような黒石に変えていく。槍で突き刺しても、切り裂いても一撃。だが、四方から飛びかかってくるため油断はできない。掴まれればそれだけで致命傷だ。
鷹丸は長屋の上に昇り、戦闘を始めた。
それは小鬼達が屋根を伝って、この町を移動しているからだ。
近くによれば向こうから襲ってくるのだが、遠くに見える小鬼達は逃げる人達を追って着実に神社を目指している。
「晴姫様……」
残した言葉の意味を晴姫が理解している事を願って、その槍を振るった。
*
晴姫はお夏に連れられ、必死に走っていた。
人の気配の波に呑まれ、どれだけ走ったのか盲目の彼女には検討もつかない。
ただ、その気配達は次々と彼女達を追い越していく。我先にと神社に流れている。
「晴姫様! 鳥居はもう、すぐそこです! 封師様もいらっしゃいます!」
お夏は嬉しそうに言った。
だが、前方は人の気配で溢れていた。
何本もの気配の流れが、一点で滞っている。
境内へ続く階段。それぞれの経路から逃げてきた者達が我先にと登ろうとし、詰まってしまっているようだ。
そんな状況下において、後方から小鬼が追いつけば一体どうなってしまうのだろう。
鬼に対する恐怖は晴姫よりも色濃く皆が感じている。故に、冷静にそう憂慮できる者は後方に晴姫しかいなかった。
頼りの封師は前方で避難誘導に尽力している。前で正常な流れを作らなければ、後は滞るばかり。そんなもたつきが、奴らを呼び寄せた。
晴姫は咄嗟に振り向いた。
小鬼の気配を彼女は感じ取ってしまったのだ。無数の小鬼達がこの場にたどり着いている。月光が照らす、長屋の屋根から小鬼達がこちらを眺めている。ケタケタと体にまとわりつくような笑い声が耳に届いた。
それを見た町人達は激流となった。
いつのまにか、晴姫達は最後尾になっている。
小鬼達はすぐ側まで迫ってきていた。
「大丈夫。大丈夫だから」
「晴姫様……?」
晴姫はお夏の手を離すと小鬼の群れに立ち塞がった。
そして次の瞬間
周囲の者達は目を疑った。
目の前の少女から、膨大な量の煌が溢れている。月光よりも明るく、陽光よりも暖かい光が闇夜に抗っている。
「私が盾となります! だから、ゆっくり避難してください!」
晴姫は大きく両手を広げた。
自分にできる事。それは多くの人達の命を鬼から守ることだ。
誰一人として死なせない。
それだけの力があるのだから。
*
気がつけば明け方になっていた。
もう悲鳴は聞こえない。
恐怖は三人の封師と勇敢な槍使いの旅人によって取り除かれた。
その四人は鳥居の前に立ち塞がり、その一匹たりとも境内には通さなかった。鳥居の先で、血は一滴たりとも流れていない。
だが、鳥居に至るその手前には夥しい数の骸が取り残されていた。赤黒く染まった土の上には黒い小さな石が、朝日に照らされ輝いている。
境内にいる町民達、鳥居の前でへたる四人の勇敢な者達。その者達の耳に届くのは賞賛でも、安堵でもなく、一人の少女の泣き叫ぶ声であった。
「晴姫様……」
晴姫の背後には五人の町民達。その中にお夏と女将もいる。
その五人は家屋の壁に背をもたれかけ、晴姫を眺めることしかできなかった。
境内の町民達も、封師達も彼女の苦悩を目の当たりにしている。
簡単な話だ。
晴姫の煌は、多くの者の命を守れるほど広大ではなかった。道幅にも拡がらないその煌は、両脇から小鬼の侵入を容易に許したのだ。
彼女の背後にいた多くの者は喰われた。それが時間稼ぎとなり、鷹丸と封師は駆けつける事ができたのだ。
だが、そんなことは晴姫には関係ない。
自分の目の前で、多くの人の気配が消えていく。その助けを求める声に自分は何もできない。
ただ、立っていることしかできなかったと、晴姫は絶望を噛み締めている。
守れると思っていたのに、誰かを助けられると思っていたのに、蓋を開けてみれば自分はただの案山子だった。少ない実績で、自分は人を守れるのだと驕っていた。
晴姫は
私は、何もしていない。何もできない。本当にごめんなさい。
晴姫はその小さな額を大地に当てる。
「晴姫様ァ!!」
はじめて鷹丸は怒気を込めて、その名を呼んだ。
鷹丸は
「顔を上げなさい。貴方は立派だ。背後には誰がいる? 何人をその手で守った? しっかりと、守った者達の方を向きなさい」
「鷹丸……様?」
晴姫は戸惑いつつもその言葉通りに背後に顔を向ける。
当然、盲目の彼女には何も見えていない。
だがすぐに温かい感触が彼女を包み込んだ。
お夏と女将が彼女の華奢な身体を抱きしめたのだ。
残りの三人もそれに続いて身を寄せる。
口々に感謝の言葉を伝えると、晴姫の瞳からはさらに涙が溢れてくる。
無数の骸を背負う鷹丸だからこそ知っている。助けられなかった者達を背負うべきではない。背負うべきなのは自身が死に追いやった者達だけだ。
私達は人間だ。人間だからこそ、物事には限りがある。この者達を守れなかったのは私も、三人の封師も、町民達も皆等しく同じなのだ。そして、死んでいった者達も自分自身を守れなかったのだ。
その責任は晴姫にあるのではない。過剰にそれすらも背負うことこそ傲慢なのだと、鷹丸は伝えたかった。
だが、それでも後悔は残ってしまう。
「晴姫様……。貴方はとても傲慢です。何もせずに多くの命を守れるわけがないのです。特別な力を持っていても、特別な人間になるための覚悟を持たなければなりません」
晴姫は涙を拭うと立ち上がり、鷹丸に顔を向ける。
「できる事を増やします……! 守れる命の数を増やします……! ですから」
その言葉に鷹丸の胸が締め付けられる。
ああ、どうしてこんなにも彼女は強いのだろう。現実を知り、故郷に帰ろうとしてもそれは恥ではない。守る事はとても難しく、覚悟を必要とする。だが、彼女はそれを持つ決心をしたのだ。
「私に煌術を教えてください……!!」
一輪の小さなタンポポが咲いている。
真っ赤な血を浴びようとも、強風に吹かれようとも力強くそこにある。
朝露は既に乾いていた。陽の光がその姿を照らしている。
その花はさらに深く、強く根を張ろうとするのだった。
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