第8話 山間の町
温かい日差しを浴びて、輝く小川がせせらいでいた。小さな魚がその流れに逆らい泳いでいる。
そんな小川に鷹丸と晴姫は足を浸し、休息をとっていた。少量の味噌をおかずに握った麦飯を頬張る。
そんな晴姫はいつも、楽しそうに食事をする。
その姿を見ていて鷹丸が気づいたのは、美味いと思って食事をすると、なおのこと幸福を感じることだ。
この穏やかな空気も相まって、いつになく平和な時を二人は過ごしている。時間がゆっくりと流れているように感じていた。
だからこそ、鷹丸は晴姫に尋ねた。
「晴姫様。私が責任を持って送り届けます。国に帰りませんか?」
旅というのは危険がつきもので、鬼だけではなく、賊に襲われて身ぐるみを剥がされる者も多い。十分な護衛を用意しなければ安全を確保できない世の中。狭い世界で生きている方が平穏なのだと、鷹丸は何度も晴姫に言い聞かせている。
だが、晴姫はその申し出を再三断っていた。
彼女の家はきっと叔父が継いでいる。居場所がないから旅をしたい。そんな真実を背景に誰でもわかる嘘の理由を話すのだ。
そんな嘘では鷹丸は納得しない。それをやっと晴姫は理解した。
晴姫は胸の前で優しく、そっと包み込むように自身の手を握る。
「私は、鬼から人を救えるのだと気づきました。助けられて生きてきた私も、誰かを助ける事ができるのだと……」
「それなら、故郷で封師となるべきだ。きっと、その方がご両親も喜んでくださる」
晴姫は手探りで、鷹丸の胸に手のひらを当てる。
「最も凶悪な鬼は鷹丸様の中にいます……。あの餓鬼を退けられる者が鷹丸様には必要なはずです! だから、私は鷹丸様についていきたいのです! 多くの命を守るために、貴方の重荷を増やさないために……」
鷹丸は少し視線を落とす。
晴姫が大きな勘違いをしていることに鷹丸は気がついたのだ。だが、それを指摘することができないでいる。
なぜならそれは、言葉では伝わらないものだと鷹丸は知っているからだ。
「わかりました。頼りにしています……!」
鷹丸は嘘で答えるしかできなかった。
夕暮れとなる少し手前、二人はとある町にたどり着いた。山間にできた広い空間には家屋が敷き詰めるように建っている。建築途中の長屋からは大工の勇ましい掛け声が聞こえ、どこか発展途中な印象を受ける町であった。
「活気のありそうな町ですね!」
「そうですね!とりあえず宿を探しましょうか」
野宿など、この世の中ではあり得ない。また夜の山道を歩くのも、山賊や鬼に襲えと言うようなものだ。日暮れ前に辿り着いた町に泊まるのは旅人の常識であり、街道には大抵ちょうど良い距離感で町がある。当然、宿も不足はない。
何の苦労もなく、すぐに宿は見つかった。
「いらっしゃい!」と女将が元気良く挨拶をする。風呂付きの宿屋で、部屋からは富士山も美しく望める。
さらに女将は晴姫が盲目なのだと気がつくと、奥から一人の仲居を呼んだ。
現れたのは十歳くらいの女の子である。少し大きめの桃色の着物と赤い髪留め、明るい笑顔をこちらに向ける。
「お
女将が優しく言うと、お夏はぎこちなく、こちらに向かい頭を下げる。
鷹丸が女将に声をかけた。
「娘さんですか? しっかりしていますね」
「この子は身寄りのないところをつい最近、引き取ったんですよ。働き者で言葉遣いもできた子ですから、何なりと言ってやってください」
二人はお夏にこの町を案内してもらうことにした。聞くところによるとこの町は、人の往来が増えたことによって大きくなっているらしい。
「お二人は
そう子供ながらに曇りのない眼で聞いてくる。大人ならいざ知らず、どうして子供に聞かれると照れてしまうのだろう。二人の頬は少しだけ赤らんでしまう。
「違うよ。ただ、一緒に旅をしているんだ」
その返答にお夏は首を傾げてしまう。
言葉にすればおかしな事だと鷹丸も視線を晴天に移す。夫婦でもない男女が一緒に旅をしている。この世の中、そんな者は中々いない。
色々な理由があるんだよと、鷹丸は大人の言い訳でお夏を黙らせてしまった。
そんな沈黙を壊したのは、晴姫であった。
いや、厳密にいえば晴姫のお腹の音である。
グーっとなったお腹を彼女は両手で押さえると、明るい声で笑いかける。
「私、お腹が空きました! お夏ちゃん、何かお勧めはある?」
そんな晴姫にお夏はニカっと笑い返すと二人の手を取った。
「おうどんがとても美味しいんです!」
お夏に案内された店は多くの人で賑わっていた。
少しして三人の目の前に出されたのは、熱々の味噌出汁で煮込まれた、平打ちうどん。その他にも山芋やネギ、大根やキノコなど沢山の野菜がゴロゴロと入っている。
お夏は慣れたように二人のお椀にそれをよそうと、「熱いので気をつけてください」と言ってお夏は二人に笑顔を向けた。
だが
「ちょっと待ってね」
そう言って料理に手をつけない鷹丸にお夏は首を傾げる。
鷹丸は空のお椀を手に持つとお鍋の中を覗き込み、彼女を真似るようにうどんをよそう。そして、それをお夏の前に差し出した。
「一緒に食べよう! あ、女将さんには内緒でね」
「そうですね!一緒に食べた方が美味しいですし!」
二人の朗らかな笑顔にお夏の表情が緩む。
「ありがとうございます!」とお夏はお椀を手に取った。
「美味しかったー!お夏ちゃん、ありがとう!」
三人は店を出ると、既に夕陽は山に半分隠れていた。西の空が焼けたように赤く染まり、薄暗くなった青色と混ざり合っている。
そんな光景から鷹丸は視線を下げると、とある物に目がいった。
「お夏ちゃん。あそこには神社があるの?」
それは朱色の鳥居であった。
「はい!
三人は鳥居をくぐると、少しばかりの階段を登る。そしてすぐに境内が現れた。目の前には本殿が建ち、人がいないということもあってか、とても幻想的な雰囲気を醸し出している。
鷹丸が見える景色を、事細かに晴姫に伝えるのも今や当たり前のようになっている。こんな姿を見てしまえば夫婦と言われるのも当然と鷹丸は思えてきた。
三人は賽銭を入れると手を叩く。旅の無事を神に祈ると顔を上げた。
「お夏ちゃん。どうかした?」
ふと、鷹丸がお夏を見るとその目からは涙が溢れていた。
彼女はそれを必死に止めようとするが、中々止まらない。二人はお夏を落ち着かせようと、境内に続く階段に腰を下ろした。
しばらくして、その涙が落ち着きを見せた頃、お夏がその口を開いた。
「父も母もこの町にくる途中で死にました。来る前に神様に祈っていれば良かったです」
この少女はこれまで気丈に振る舞っていただけなのだと、二人は始めて理解した。
晴姫は自身の境遇と重ねて、家族を失った痛みを包むようにその小さな肩を抱く。
「私もつい最近、両親を亡くしました。辛いですよね……」
そう言ってお夏の頭を撫でる姿は慈愛に満ちている。
その優しさに当てられて、お夏の視線は地面を離れ、二人に向かう。
「晴姫様……。この悲しみはどうすれば無くなりますか?」
お夏の問いに晴姫は少し悩むとゆっくりと言葉を紡ぐ。
「毎日、寝る前に両親に祈るんです。今日一日の出来事を伝えて、感謝する。私は今日も元気に過ごせました。見守ってくれてありがとうって。」
「そっか……。父と母も、いつも見守ってくれてるんだ……」
お夏は夕空を眺めている。その表情は穏やかに、一番星を見つめていた。
そんな姿を見て鷹丸は微笑んでいる。お夏と晴姫が並んで座る姿は、まるで姉妹のように仲睦まじい。
そんなことを思っているとお夏が鷹丸に声をかけた。
「鷹丸様のご両親はお元気なのですか?」
お夏の問いに鷹丸はふと石畳へと視線を移す。だがすぐに、お夏の柔らかな瞳を見返した。
「親代わりの人はいたけど、両親には会ったことがないんだ。嘘か本当かわからないけど、鷹がどこからか攫ってきたんだって教えられたよ」
「だから、お名前が鷹丸なのですね……」
「安直だよね」
鷹丸は微笑む。
「二人には両親との思い出がある。寂しくて、悲しいだろうけど、その思い出は大切にね」
夕陽は山脈に隠れた。町は寝静まるための準備を始めている。
三人は足早に宿へと戻った。
その道中、鷹丸は今日という日も大切な思い出なのだと、気がついた。
後悔を覚えない旅を鷹丸は忘れていた。誰かと作る楽しい思い出も久しく無かった。
清々しい気持ちで一日を終える。
はずだった。
だが、これで一日は終わらない。
無数の光る目が、山間の町を睨んでいる。
暗闇に覆われた山の中から、何かがひっそりと始まりを告げようとしていた。
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