本編と全く関係ない番外編・もしも二人が吸血鬼だったら

 とあるクリスマスの夜のこと。


「はあ、もう私の心の栄養源も潤い源も永久に失われて久しいわね。人間が時の狭間に消えていくのってどうしてこんなに早いのーーーーッ! ううううしのりんしのりんしのりーーーーん!! 生き返ってお願いいいいッ!」


 大好きだった推しアイドルが天寿を全うしてからかれこれ三百年。

 吸血鬼相原りく乃は日々早く朽ちたいという無味乾燥な日々に押し潰されていた。目には生気の欠片もなく、誰が見ても死んだ魚の方がまだマシに見えるだろう。

 彼女は人生で唯一の輝きを失って以降、人間の血も吸わずにただただひたすらしのりんの古びてしまった写真やらポスターやらノイズの入る映像やらを眺めて傷心を慰めていたが、それも三百年も過ぎればデレはするが同時にどこか虚しくなるだけだった。


「次から次へと新しい人間は誕生しているのに、しのりんを凌ぐ女の子なんてどこにもいない。この世は何て不条理! しのりんと私はとりわけ時間という存在に愛を隔てられてしまったロミオとジュリエットね……!」


 隠居した雪深い山奥のロッジのバルコニーに立ち、白い息を吐き吐き、黄ばんで紙魚に所々食われてボロボロのしのりんのサイン色紙を胸に、今は晴れて星の臨める夜空を眺め涙していると、闇の向こうに黒い物体が見えた。

 闇をも見通す吸血鬼の目が捉えたのは無数のコウモリの群れだ。


「チッ、浸ってたのにまるでブチ壊しだわ。また来やがったわね」


 毒づき、すっと表情を消したりく乃は身軽な跳躍で雪の積もったロッジの屋根に上がると、一緒に持ってきた漁業用の網を夜空に向けて「せいやっ」と放った。

 ベテラン漁師も顔負けの手際で大きく広がった網に、コウモリたちが見事に引っ掛かり、一纏めにされてロッジの荒れた庭先に落ちて行った。

 幸い夕方までもりもり降り積もっていた新雪がクッションとなって大きな衝撃には繋がらなかった。


「ふっ王子院どう? 魚になった気分は」


 網の中で必死にもがいている沢山のコウモリたちは超音波でキーキー言うだけだ。

 吸血鬼は一匹コウモリにも分裂コウモリにも変化できるのだが、それにしたって言葉くらいは話す。

 りく乃は眉をひそめた。


「え、何、王子院だと思ったのに違ったのかしら? あなたたち野生種だったの?」


 だとしたら動物虐待。酷い事をしたなとりく乃が思い始めていると、木陰から一匹のコウモリが飛び出してきた。どうやら捕獲漏れのようだった。

 りく乃が見逃すつもりで放置していると、そのコウモリはりく乃の方へとパタパタと飛んで来る。


「仲間を捕まえた仕返しかしら。感心ね」

「美影たーーーーん! やっぱり君は俺の女神だ!」

「うわー出たわね王子院」

「実はこの野生のコウモリの群れに襲われていたんだ。捕獲してくれて助かった」

「……」


 不死身の吸血鬼が、群れであれ普通のコウモリに勝てないとか……。

 りく乃は不憫な物を見る目にならざるを得ない。

 蝙蝠から人の姿に変じ、りく乃と同じくロッジの屋根に立ったのは、紛れもなく王子院暁その人だ。


「何しに来たの?」

「これを美影たんにと思ってな」


 差し出されたのは赤いリボンを結ばれた、見るからにプレゼントですといった大きな箱だった。


「何これ。ビックリ箱?」

「当代随一と謳われるデザイナーによるセクシー美影たん変身衣装だ。君そっくりの等身大マネキンに着せてみたが露出が物凄い事に……っ」


 吸血鬼にとって血液は最も大切な物質のはずだが、王子院暁は興奮して一人で勝手に大河のような鼻血を流した。


「ちょっと人ん家の屋根を血染めにしないでよ!」

「ぐふっ……実物の君もそろそろ色気を勉強した方が…」


 ボッと音を立てて彼の持つ箱から炎が上がったかと思えば一瞬にして灰燼に帰した。

 りく乃の超人的吸血鬼能力だ。


「あああ折角のプレゼントがあああ!」

「私になんでしょ。ならもらった私がどうしようと構わないわよね?」


 珍しくも聖女のような優しい笑みを湛えるりく乃に、王子院暁はどうしてか戦慄して「まだあげてないぞ」とか細かい事は何も突っ込めなかった。


「そもそも意味がわからない。貴様との付き合いもかれこれ三桁に入るけど、どうして聖人のための日に、過去には異端とか言われて迫害されてきた吸血鬼の私が贈り物を受けないといけないわけ? しかも嬉しくない事に貴様から」

「え……?」


 酷く見当違いの言葉を言われたような顔で王子院暁は困惑した。


「その何だ、毎年理由は述べて来たはずだが……まあいい、こういう事もあろうかと予備を用意していた。ふっ、こちらも王子院家の財力に物を言わせて一流のデザイナーに依頼したものだ。受け取ってくれ、そしてすぐに着てほしい!」

「持って帰れ」

「衣類はお気に召さないか」

「そういう事じゃない」

「ならこれはどうだ?」

「人の話を聞け!」

「かつて特別会員限定発送だったしのりんのレア写真集を王子院家の総力を挙げて取り寄せておいた。博物館ものだぞ」

「もらっておくわデヘヘヘヘ」


 しのりん関連限定で現金なりく乃が大事そうに箱を受け取ると、王子院暁は意外な事に実に満足そうに頷いた。腑に落ちない態度にりく乃が首を傾げると、彼は朗らかな声で言った。


「誕生日おめでとう、りく乃」

「え……?」

「今日は君の誕生日だろ」

「――あ」


 ハッと目を瞠るりく乃に王子院暁は微笑みかけた。


「だからこれはクリスマスとは関係ない。にしてもここのところ毎年忘れてるから、正直三百年以上も生きていると吸血鬼でも認知症になるのかと最近疑っている」

「じゃかしいわ! 大体、吸血鬼に人間感覚の誕生日なんて意味ないでしょ」

「確かに。三百歳過ぎとか、相当年寄りだと実感させられるだけいててて」


 りく乃にすねを蹴られて王子院暁は悶絶した。吸血鬼だって痛いものは痛いのだ。

 女性吸血鬼という生き物は、最早老若を断じるのを気にならないくらい歳を食っていても、年齢の話はタブーなのだと彼は何となく悟った。

 生理的に涙目になる王子院暁に留飲が下がったのか、りく乃は一つ息をつく。


「まあ、それでもしのりんグッズは嬉しかったし、――ありがとう」


 しのりん写真集を眺める極めて締まりのないエロオヤジ顔で言われても、いまいち感謝されている感動が湧かない王子院暁だったが、まあ喜んでくれたので良しとした。


「やはりいつまで経ってもしのりんは手強いな」


 死してなお、ライバルとして不足なし。


「ところで、血を噴き過ぎてへろへろなんだが、もしよければ一口君の血を吸わせ…」

「トマトで我慢しろ」


 時に助け合いの精神から吸血鬼同士でも血の提供は可能だったが、王子院暁は問答無用で顔面にトマトジュースの瓶をめり込まされた。

 瓶入りのちょっとお高いジュースなだけ、りく乃も少しは態度を軟化させている証拠なのだが、哀しきかな、王子院暁は金持ち故に日常的に目にしている瓶ジュースだったので、そうとは思い至らなかった。


 因みに、捕獲されていた野生のコウモリたちは王子院暁限定撃退兵として、りく乃に飼われたという。

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たとえ天地が引っくり返っても まるめぐ @marumeguro

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