第48話:出店攻勢と広瀬社長の急死
そうして「妻有の里」レストランというよりも、中食の出店の会社と言う感じになり2014年には海老名の郊外に売り出された工場を買い取り神奈川2店舗目の食品工場を作り、相模原、厚木、平塚、秦野、に40の出店した。2015年3月には横浜市金沢区に工場を買い、食品工場を6月には小田原に工場を買い食品工場として操業して、神奈川全県を網羅した。
調理師学校も知名度が上がり、入学してくる人数も増えて、毎年50人以上の調理師さんを輩出していた。その後、2016年には「妻有の里」の食品工場を埼玉県春日部と千葉市の郊外に、それぞれ工場を買い、食品工場を作り、埼玉県、茨城県、千葉県に60の出店を出店した。
この頃、安田達夫が累計10億円を出資し「妻有の里」広瀬社長が20億円を出資して「妻有の里」会社の利益が貯まってきた段階で、融資の返済と配当を出していった。そうして、2017年6月に民泊法「住宅事業法」が成立し、中食の需要が伸びると考えた安田達夫と広瀬社長は、融資の回収よりも、新工場の買収と食品の出店の出店攻勢を強めた。
2017年に東京と大田区に工場を買い、羽田空港周辺に30店の食品で店を出し、川口にも新工場を買い、東京北部に30店舗、出店し、東京東部は西船橋に工場を買い、30店舗の食品で店を出店し、東京西部に対しては、横浜市青葉区の市が尾に工場を建てて、東京西部と、川崎、横浜北部に50店舗を出店して、2018年夏までに、融資の総額のうち20億円を使ってしまった。
広瀬社長と安田達夫は、内心、ちょっとやりすぎかなと思いつつ、民泊での中食需要に賭けた。すると2017年10月から、民泊が増え、食品の宅配の需要が高まった。また、カプセルホテル、ビジネスホテルでも、宅配弁当の需要は旺盛であり、軽自動車のバンを清水観光自動車で大量にリースしてもらい、宅配弁当の供給をし続けて行き、2018年、2019年、2020年と順調であり、出店費用をほとんど回収できた。
しかし、2020年のオリンピックをピークに、需要は減り始めたが、安田峰子が管理栄養士で、老人のための理想的なメニューを考案しては、老人世帯向けと子供向けの宅配弁当の需要が、その減少を下支えして、順調に利益を上げていた。
2021年1月28日、1月の寒い日、「妻有の里」に通勤途中の広瀬政夫社長が心筋梗塞で倒れた。救急車で立川共済病院に運ばれたが、運悪く、心臓の回りの大動脈にできた血の塊が頭に飛んで、脳梗塞と心筋梗塞が、同時に起きて、運ばれた病院で2時間後になくなった。
その知らせを聞いた、安田達夫と夢子は、病室にかけつけると、既に、顔に布がかぶせられて亡くなっていた。奥さんの裕恵さんは、茫然自失という感じで、意気消沈していた。達夫は、何て声をかけて良いか、戸惑ったが、思わず、後は任せて下さいと、言ってしまった。広瀬政夫さんの夫婦には子供はなく、新潟から東京に出て来て、長く新潟にも帰っていないようだった。
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