第47話:こども食堂の開始1

 東北の復興救済のレストランの経験から、達夫は子供食堂を「妻有の里」主催で、立川の本店、東京と横浜の厨房設備のある地区センターでやらないかと広瀬社長に持ちかけると、若手コックの修行になるし、良いかもしれないと言い、計画の全てを安田達夫と夢子に任せると言った。


 そこで、インターネットの妻有の里のホームページに、家に残ってる、うどん、ラーメン、そば、冷や麦、缶詰、中元歳暮で使ってない商品などを「妻有の里」立川本店と駅前の出店、八幡山の工場に持って来てくれるように書き込んで、持って来られない場合は取りに来て欲しい日時と場所を指定してくれる様にお願いした。


 また、問屋、小売店の賞味期限1ケ月以上残ってる製品を無償もしくは、捨て値を知らせてくれるように書き、冷凍食品工場、パン工場、その他の食品工場や、農家の規格外商品も取りに行くことを書き込むと、大きな反響があり、毎週水曜日に、午後3時から夜8時まで、行い、商品の配達のボランティアもお願いし、困窮してる子供だけでなく、大人も老人も100円で、一般の客は500円で、料理を提供する事にした。


 2012年1月から開始すると、多くの商品が集まり、賞味期限の短い純に、料理に使った。また、後片付け、皿洗いを30分手伝うと無料で食べられるサービスも付け加えると、最初5ケ所で始めたが、毎週、場所を替え、3月には、20ヶ所になって、少数のスタッフでもできるように、麺類2種類、パン1種類、丼物2種類、汁もの2種類とメニューを絞って、効率的に短時間に、できるだけ多くの料理を作り、対応して行った。もちろん、利益はなく、赤字であったが、寄付などにより、損金も出ずに、輸送費が赤字になる程度であった。


 また、老人や仕事で、忙しくて恵まれない人のために、安価で弁当を頼めないかというニーズが出て来て、基本、1週間5千円、1ケ月なら2万円で、状況によっては本部の判断で無料で配達するサービスも始めた。これについては、日時と場所だけ書いて、決して、店の宣伝のために、写真を載せたり、運営の内情は明らかにせず、取材等も全部お断りした。


 若手のコックのまかない飯の練習みたいな感じで、継続する事を第一目標に続けていった。数ヶ月後、近くの自治会の会長さんが来られて、バザーをするから、その収益を運営費に充てて欲しいとの申し出があり、その後15ヶ所の自治会からも話が来た。


 その自治会長さんが運営費について、インターネット、いくら費用がかかり、いくらの補助をどこからもらって、何人に100円で利用してもらったとか、月2万円で給食配達の数など明らかにした方が良いと言ってくれたので、来月からインターネットの「妻有の里」のホームページに、載せること約束した。


 このバザーのお陰で、赤字は解消されるようになり、「妻有の里」の出店の売上が上がってきて、また2012年に東京都内で20店舗出店した。その後、横浜でもやって欲しいという話が出て来たので、2013年には、東京と川崎・横浜で半々に子供食堂をやるようにして2013年3月に、町田の郊外の工場を「妻有の里」が購入して、食品を製造して、神奈川県内に30軒の売店を出店した。


 2013年4月からは、「妻有の里」のコックさん2人ずつで、1ヶ所の子供食堂に出向いて地元のボランティアさんと協力して、50ヶ所で、東京と神奈川で毎週1回、水曜日の午後3時から8時までの子供食堂を展開していった。

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