第46話:東日本大震災と復旧レストラン
葬式を終えて、1週間後の1月25日、達夫と夢子が、広瀬社長と会って、今後の会社経営について話したいと言い、達夫の家に来て、実は、祖父の遺産と父の遺産などあわせて8億円を越えたので、今度は、レストラン付きのリゾートマンションを避暑地で考えてみたいと切り出した。
すると広瀬社長が、8億とは、すごいと言い、具体的にはと聞いてきたので、東京から近くて、避暑地と言えば御殿場が良いと言い、現在2つレストランを経営して、土地勘もある。御殿場は小田急ロマンスカーで新宿から90分であり、車で30分で箱根、芦ノ湖、山中湖、河口湖、1時間圏内には、甲府、熱海、湯河原、小田原、もう少し足を伸ばせは、諏訪湖、松本、蓼科、清里など高原リゾートが多いと話した。
ところが、運命のいたずらか、将来の夢のある話をした45日後、2011年3月11日午後2時47分、東日本大震災が起こった。昼食のお客さんが帰り、食器を洗ったり、ゆっくりしたりしていた時、震度5強の大きな地震が起きた。レストランの食器棚のドアを昨年、全部内側自動ロック仕様に変えたため、食器の破損は少なくて済んだがレストランの建物の一部で問題箇所が見つかり、その夏の稼ぎ時も、お客さんが激減した。
それは城ヶ島も御殿場も同じ状況であり、多くのコックが十分に料理をする事もできなかった。健二が、今年のレストランの赤字を計算して、従業員を減らしたいと、達夫に相談してきたので、そんな短絡的なことはしない、で嵐が過ぎ去るまで、決して1人もやめさせるなと言い、融資は絶対に続けてやると保証し、1人も解雇しなかった。
この2011年11月、寒くなった頃、達夫が健二に、グループの大型ワゴン5台とトラック2台で、2011年11月6日から13日の1週間、御殿場店と城ヶ島店を臨時休業にして、食材と、調理器具を乗せて、総勢60人で出かけ、仙台のボランティア管理センターで、指示された場所に行って炊き出しを始めた。
テントレストランでは、あつあつのグラタンやシチュー、カレー、ラーメン、魚のあら汁、ステーキ、スパゲッティー、タンドリーチキン、鳥の唐揚げと、大量の御飯を避難所の方々にふるまうことができた。2日で食料がなくなると、福島や新潟へ食材を買い出しに行き、11日までの7日間、自衛隊のテントの簡易食堂で、暖かい食事のサービスを無料で行った。これが新聞に載り、その後、励ましの電話が鳴り止まなかった。
御殿場と城ヶ島に戻り、店の前に「頑張れ東北」と書いた横断幕を張り出し、多くの募金箱を置くと、徐々に、お客さんが増えてきて、賑わいを取り戻してきた。12月に入るとパーティーの予約も入り、唐揚げ、麻婆豆腐、ビーフステーキ、ビーフシチュー、ハンバーグ、ベーグルサンドやサンドイッチの持ち帰りの客も増えてきた。そうして、12月を終えて2011年の売上と利益を集計してみると、2010年の-20%の減少に、踏みとどまった。
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