第34話:祖父の闇成金の歴史1
祖父の葬式が一段落して、久しぶりに、父と酒を飲んで祖父の話になった。祖父は、大正時代、若さに任せ、無茶して暴力団と喧嘩した程だったが、時代を見る眼は正しかったようで、日露戦争で勝利を収め、日本株は上がると見込んで、借金して、一気に日本株を買い、数年間に財をなした。
しかし日本の政治家の無能ぶりで、利益を取り損ねたと知ると、株が上がった所で先を見越し、一気に売ってしまい、大儲けした。その数年後、関東大震災が起き、大不況になった。しかし、その不況の時に、没落した元貴族を見つけると、お宝の品を安く買いたたき、多くの人に恨まれたそうだ。
戦後の東京でバラックを建てては高く売りつけ、綺麗な日本女性を見つけると、米軍の将校の女に斡旋して、その米軍将校から、米ドルをせしめ、あこぎな商売をして金を稼いだ。
池袋周辺の闇市では、暴力団と結託して、所場代を巻き上げて回り、挙げ句の果て、暴力団と喧嘩別れし、暴力団の事務所の金庫をかっぱらって、隠して、腹を刺されて、瀕死の重傷を負ったのだが、直ぐに医者に診てもらい一命を取り留めたんだ。
そして、稼いだものを見つからないように、隠したり、戦後のデノミネーション・通貨切り下げで100円が1円になった時に、困窮した元貴族の連中の家に上がり込んで、骨董品や書、貴金属を円の価値が、1/100になったと言って。二束三文の金で買って回ったらしい。
そうして正当でない方法で、蓄えた金で、高価な骨董品や金、銀を買いあさり、武蔵野の闇成金と呼ばれていたと打ち明けた。安田達夫は、今迄、聞いたことのないは話ばかりで、驚かされた。昭和25年頃、やはり没落貴族から武蔵野広い土地を安い金で買いたたき、一時は立川の周辺に数千坪の土地を持ったが、税金が高くなり払いきれないので、切り売りして残ったのが、ここと、周辺の安田一族の土地、約1000坪を5件の親戚が大きな屋敷を建てて住んだというわけだと教えてくれた。
だから父の小さい頃は、闇成金の子と随分肩身の狭い思いをした。それで祖父のことを良く言う人がいなかったのかと、1つの謎が解けたような気がした。「子孫が少ないのも、悪徳非道の振る舞いをした天罰だ」とか、いろいろ悪口を言われたとしんみりと語った。達夫も、確かに親戚に子供が少ないのが不思議に思っていた。
まー、その代わり、子孫が、莫大な財産を受け継げるのだから感謝しなければいけない。また、今後は、人様の役に立つ様に生活すべきだと語っていた。父の性格は、大人しく、祖父に、怒られたときも決して反論したりせず、静かに聞いていたのは、そう言う訳だったのかと納得した。
祖父の安田繁の葬式と遺産相続が終了したのは、5月になっていた。その頃、夢子の会社では、販売増加に伴い、機械を新しく入れたり、パートさんと若手従業員を10人増やした。1987年4月から、毎年、中学と高校と調理師学校を卒業した人を合計で20人募集する事にした。
調理師免許も取得して、実家の料理屋に帰る人も、年に4,5人にいて、その補充のためにも多めに補充した。パート、アルバイトは、女性のパートは30代以上の主婦が中心で、10時から18時の希望の人が多く、男子アルバイトは、学生さんが多く、夜18時過ぎで深夜までと言う人が多かった。
彼らの労働希望時間を聞いて、店舗に振り分けていた。工場が広いため、製造能力は多分、約50%、増やせそうだった。夢子は今年の調理師試験を受験したいと店長にお願いすると、工場が大丈夫なら、OKと言ってくれた。
5月12日、調理師試験まで1ヶ月半となり調理師試験の問題集を何回も勉強し6月23日を迎えた。深呼吸をして、普段通りの力を出せる様に心がけて、試験会場に向かった。試験が始まり、上がることはなく、順調に答えを書き入れ、やがて時間となり提出し、工場へ戻った。
合格通知は8月3日。その後は、毎日忙しくて大変で調理師試験の事も忘れて、仕事に没頭していた。暑い夏をも迎えた8月3日の夜7時に家に帰ると、調理師試験の合格通知が届いていた。これで、晴れて調理師の仲間入りができたと思うと、夢子の目に涙があふれた。よく頑張ったと、夫の達夫さんが言って、ビールで乾杯してくれた。
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