第21話:夢子と達夫の愛の結晶誕生
その後、夢子さんが、いつも通り妻有の里で仕事をしている時に急に気持ちが悪くなり戻した。パートの叔母さんが、もしや、おめでたとかと思い一緒に産婦人科について行ってくれ、妊娠4ヶ月とわかった。直ぐ、達夫の勤める銀行に連絡が入り、達夫は、うれしいやら、心配やらで、混乱した。
夢子さんが、「妻有の里」に戻ると、店長が、おめでとうと、言い、でも大きな戦力がいなくなるのは、きついなと苦笑いした。でも無理しなくても、人数は何とかなるから大丈夫と、言ってくれた。出産予定日が10月20日と言われた事を達夫さんのお母さんに言うと、大喜びしてくれ、うちの子供は、達夫一人だから、達夫の次の世代ができると言うことは、最高にうれしいんだよと、大粒の涙を流して、喜んでくれた。それも見ていた無口な父が、達夫の肩をたたいて、でかしたと一言、言うと、うれしいと、うれし泣きした。
翌日から、産休に入って、母が、夢子さんを母屋に、住まわせて、四六時中面倒見てくれた。そうして、大きなお腹をして暑い夏を、汗びっしょりなって、苦しそうに歩いていた。やがて涼しい風が吹く、9月、10月となり、みるみる奥さんの腹は突き出てきた。それを見た母が、きっと男の子だよと、そっと言った。
その後、お腹をける回数も多いようで、夢子さんは、苦しそうだった。そして、10月18日に陣痛がきて、近くの産婦人科病院に入院し、1979年10月21日早朝、2950gの男の子を無事出産した。
達夫は、その日、急遽、銀行に連絡して有休を取り、奥さんを見舞いに行った。病室に入ってくるやいなや、夢子は、達夫に向かって、もー大変だから、この貸しは、返してもらうよと言い、達夫に甘えた。達夫が、よくやった、ご苦労さんと、奥さんの頭をなでると、号泣して、なかなか泣き止まなかった。すると、赤ちゃんも同時に泣くので大変だった。
先生が来て、安産でしたよと言い、問題なければ、数日後、家に帰れますと教えてくれた。その話の通り、5日後に家に戻ってきて、本宅の床の間に寝てもらい、母が面倒見てくれると言ってくれた。父も、毎日、見に来て、可愛いなと言ってくれた。
名前を考えていると、達夫が、健康が一番だから健一で良いのではというと、奥さんも良いねと言うので、健一に決めた。その結果、安田家に、長男、安田健一の誕生となった。習字の上手い父が、安田健一と、筆で立派な字を書いて、その部屋に飾ってくれた。
その後、近くの親戚の叔父さん、叔母さんが、健一を見に来るようになり、普段静かな、安田家も、にぎやかになった。翌月11月21日、立川の諏訪神社に初宮参りをして、帰ってきた。来年は、庭に大きな鯉のぼりを買ってやろうなと、達夫の父が言ってくれた。
やがて、多忙な1979年も12月を迎え、しっかり者の達夫の資産は1200万円となった。銀行でも中堅になったが、営業で外勤する事なく、計算の検算の毎日が続いた。勤務年数と共に年収も増えていった。そうして1980年を迎えた。
いつもケチな、両親が珍しく、健一に、お年玉を1万円くれたのには驚いた。孫は、目に入れても痛くないと言うが、本当に可愛いのかも知れないと達夫は想像した。奥さんの方は健一に母乳を飲まれて、腹が空いてしょうが無いようで四六時中、何か食べていた。その分、体重が増えすぎないように、広い庭を行ったり来たり散歩する毎日だった。その後の検診で、母子ともに健康で問題なかった。
そうしてる内に、暖かくなり3月、4月が過ぎて、5月の連休に達夫と奥さんと子供と両親の5人でタクシーで、立川のデパートに行き5月人形と鯉のぼりを見てきた。その後、数十万円を出して、豪華な五月人形と大きな鯉のぼりを買ってくれた。達夫は、あのケチな両親が、こんな大金をすっと出すとは、絶対にあり得ないことであり、孫の力ってすごいと実感した。
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