第20話:達夫と夢子の結婚

 夢子さんの勤める新潟料理屋が儲かったのは良いが、店舗が2店となり1979年は、忙しい年になった。今までの1店舗の人数が半減して、客は減らないと言う事で1人の仕事が倍増した。責任感の強い夢子は、真面目すぎて、そのストレスをまともに受けて、体調を崩し、5日間、入院した。そのため、店長が、2月にパートの人の応援を増やし、真冬の寒い時期、忙しさを緩和した。


 ただ、チキンと餃子は、相変わらず、大量に、売れていたので、製造法を工夫し4人で分業し、流れ作業で、効率よく、製造していたので問題なかった。むしろ、手がかかるのは、水餃子の方であった。しかし、儲けが小さいので、水餃子にばかり手をかけても効率が悪いので、予定量を売ったら、品切れを出すようにして対応した。


 レストラン部門は、本店の方が客数が多く、別館の方に来るお客さんは思ったほど増えていなかった。それでも、昨年から比較して、大量一括仕入れで、購入価格を下げることができて、利益は順調に増えた。更に、本店の一部を仕切って、2つの個室を設けて、高級中華料理や、コース料理など、高価な料理2千円、2千5百円、3千円コースを始めた。


 そして、2月から立川駅の別館に近い、立川駅北口で、通勤時に、別館のチラシを配ると、徐々にお客さんが増えてきた。夢子は1週間の闘病生活で、今までを振り返る時間がもてたようで、焦りすぎていたと、反省した。もう、今年28歳になるから、早く結婚したいと達夫に言った。


 実は、達夫の母も早く結婚しなさいよと、達夫に言うようになり、1979年2月14日のバレンタインデーの日、夢子が達夫にチョコレートをくれたとき、突然、達夫が、結婚しようとプロポーズした。あまり突然、言うので、呆然としたが、うれし泣きし、達夫に抱き付いた。


 ほんと、いつ頃、結婚式をするのと聞くので、善は急げと言うから、すぐ結婚式場を予約しようと言った。披露宴は立川の「妻有の里」個室を借りようと考えていると言うと、夢子にどうかと、と聞くので、どうせ結婚式は、立川が良いと思っていたので、良いわよと答えた。でも、結婚したら最優先は夫婦の生活で、その次が仕事だからねと、達夫が言うと、夢子が、了解ですとおどけて答えた。


 神前結婚式でも、良いかと。達夫が聞くと、夢子は、お任せしますと言った。諏訪神社が有名なので、神前結婚式をしたいと話すと、はいと言ってくれ、場所が決定した。結婚式は、達夫の両親と話して1979年3月14日水曜日とした。夢子の新潟の育ての親の叔母、伊藤和子さんと叔父さん、伊藤整一さんと「妻有の里」の店長の広瀬政夫さんと奥さんの裕恵を呼びたいというのでメンバーも16人と少人数で行う事が決まった。


 やがて、結婚式を迎え、朝から良い天気の日で、結婚式は11時から始まり12時に「妻有の里」の店に店のメンバー他、新潟の友人2人と、達夫の銀行の上司と仲間5人が披露宴に出席してくれ、総勢40人程度になった。結婚式を終えて、披露宴会場へタクシーで向かうと、既にウエディングケーキが用意されていて最初に挨拶した後、ケーキに入刀して、各テーブルを回って、挨拶した。


 多くの人に、写真をとってもらい、夢子は、満面の笑みを浮かべていた。午後14時に結婚披露宴を終え、服を着替え、国立の家に戻り、翌日から普段の生活に戻った。

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