第16話:夢子が料理の指導担当に
夢子と達夫は、初詣にでかけ、今年も、妻有の里・立川店が繁盛します様にと、願をかけたようだ。1月1日は、休んだったが、すぐ、店を開けた。昨年の1976年は、目標を超える利益が出たのでボーナスではなく、金一封として厨房担当は5万円、それ以外は2万円が支給されることになった。そして、今年から、テーブルを10席増やし40席から50席にするようだ。
そして夢子は、今年から厨房係長として、2人のコック見習いの18歳の男の子の指導を任された。店長は、今年、店をオープンして3年目に入るので飛躍の年にして、売上、利益を上げて、来年は50席を60席に増やし、数年後には、もっと大きな店に移るか、もう1つ新しい店を出すかどちらかを実現したいと店長が話した。夢子も、すっかりやる気満々になっていた。
2月に入り、寒くになっても、お客さんは減らず、むしろ、おなじみさんが増えたようだ。今年は、人手が足らなくなりそうなので、4月に、近くの中学に電話して、中卒の子の就職希望者の斡旋をお願いし、更に、高校の就職担当にも積極的に電話した。店員を3-5人増やして、出前も受けるようにしたいと考えていたようだ。
3月になり、昼2時過ぎ、店の休み時間に、地元の中学と高校に電話をして募集をかけてみたところ6人が、受験したいと連絡が入り、店の休みの水曜日に店長と夢子で面接試験をする事になった。4月13日水曜、店の奥で、個別に面接して、中卒男子2人、高卒男子2人、高卒女子2名の6人を採用した。中卒が7万円/月、高卒が8万円/月の条件で採用した。ちなみに、夢子の給料は2年目にして厨房係長で12万円/月と増えた。
その後、6人の味覚テストと、調理テストをして、中卒の男子・加藤貴之、高卒男子・北島智の2人をコック見習いとして育てることを決めた。夢子は、特に中卒の加藤貴之の料理への熱心さに惚れた。4月から出前を始めて自転車で2km以内の配達を始めた。
彼らが入ってから、夢子は、へぎ蕎麦を茹でてるとき、加藤君を近くに来させ、蕎麦を1本上げて、固さがどうか聞く、良い感覚を持っているので、翌週から最初に彼に茹で方を教えて、最適な茹で上がりの具合を覚えさせ、その次の週に最初の蕎麦の茹でをやらせた。1ヶ月で、茹で時間と麺の固さ感覚を覚えたようなので、横について1回目をやらせるようになった。
次に、休み時間の30分で天ぷらの揚げ方、とんかつの揚げ方、親子丼のつくり方を1ヶ月をかけて教えて、揚げ物はマスターしたので、実際にやってもらうことにした。そうして6月に、もう一つ3口ガスコンロを1つ入れて、揚げ物を加藤君と北島君に任せた。
もう一人の北島聡には、店長が御飯の炊き方、盛りつけ方、天ぷらの揚げ方を教え、1ヶ月でマスターした。安田達夫は、そんな夢子の頑張りを見て内心喜んでいた。6月の梅雨を迎えても、お客さんの減りは少なく、お客さんの口コミでへぎ蕎麦の話題が広まったようだ。
そんな暑い夏の7月、近くの大きなホテルのディナーショーに、新潟の有名人、三波春夫が、お忍びで、この店のへぎ蕎麦を食べに来て、上手いと言い、また来るから宜しくと言って帰って言った。その時に三波春夫さんのサインをいただいて店に、飾らせてもらった。すると立川で話題となった様で、へぎ蕎麦の「妻有の里」立川店のお客さんが増えてきて、10月には50席を60席に増やす程になった。
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