第9話:竹久夢子との再会
翌日の日曜日は、1日中、ぼーっとして過ごした。月曜日から、いつも通りの仕事が待っていた。しかし、ストレスがかかる仕事でもなく余程のことがなければ、仕事で遅くなることもなく恵まれた職場環境だとつくづく思った。その後も年収は増え続け、一人、山登り、トレッキングで休日を過ごし、また、単調な仕事の日々が続いた。
秋風が吹き始めた1974年10月15日、また、夢子から東京へ11月9日・土曜から11日・月曜に行きたいと電話がかかり、予定がわかり次第、折り返し、安田から連絡すると告げた。そして安田は、11月10日・月曜日の有給休暇を申請して、夢子に電話で伝えた。今回、夢子は、横浜から湘南の方へ行ってみたいと話した。その後、再び、退屈な仕事に戻って、11月9日を迎えた。
上野駅に、午後、2時に着くと連絡があり、改札出口で待った。夢子は、安田の顔を見つけると、笑って、駆け寄ってきた。改札を出たところで、箱根湯本に宿を取ったと言い、荷物を持って、京浜東北線のホームへ向かい、東京駅へ、東京駅から湘南電車に乗り、小田原に向けて出発した。空いてる席を見つけると夢子が来年に東京に来る事を決めたので、宜しくと言った。
どこに住むのと聞くと、まだ決めてないけど、中央線、東上線、西武線の沿線で家賃が安くて、交通の便の良い所が良いなーと言った。1975年のいつだと聞くと4-5月頃と言った。夢子の中で踏ん切りがついたようだ。来年になったら、今勤めてるお店のマスターに事情を話すと言った。
そんな話をしてる内に、進行方向の左手に、湘南海岸が見えてきた、平塚、大磯、国府津、小田原、小田原から小田急に乗り換えて、箱根湯本で下りて、湯本冨士屋ホテルにチェックインすると、素敵なホテルと喜んでくれた。早速、温泉に入ると、彼女が良い湯だねと言ってくれた。箱根と熱海は、日本でも指折りの温泉だからねと言うと納得していた。
レストランで夕食をしながら、明日は、芦ノ湖へ行きたいと言きたいと言ったが、11月は寒すぎるから、鎌倉へ行き、鶴岡八幡宮や大仏などを見学して、横須賀に行ってみるかと安田と話すと、お任せしますと言った。
夕食を終えて布団に入って、彼女に今後の事を聞くと、吹っ切れたように、1回きりの人生だから、自分の思ったように生きるんだと言い、都会の様子も知らないで、田舎で、長く暮らし続けて死んでいくのは、どうしても我慢ならなかったと、思いのたけを訴えた。知らない土地だから、苦労するのも覚悟の上、でも、私には安田さんという強い味方がいたんだと思い決心したと話してくれた。
そして、あっちの方も積極的だった。ゆっくりと、しかし、激しい逢瀬を繰り返し、ぐったりと疲れて爆睡した。 翌朝は、朝風呂に入って十分に温まってからレストランに行き朝食をいただいた。10時にチェックアウトして、箱根湯本から小田原経由で、大船で横須賀線に乗り換え、鎌倉駅で下りて、徒歩10分の鶴岡八幡宮を散策してから駅前の中華レストランで昼食をとった。
次に、江ノ電で長谷へ行き、長谷の鎌倉大仏を見て駅前通に戻って、お茶をして一休みした。横須賀線で鎌倉駅から横須賀駅で下り、タクシーで、戦艦三笠を見に行き、三笠公園を散策して、タクシーで横須賀プリンスホテルに入った。チェックインを済ませ、最上階のデラックスツインの部屋に入ると、横須賀の港が見えて最高の眺望だった。
散策で、疲れたので、少し仮眠した。1時間ほどして、部屋の風呂に入ってから、6時過ぎに夕食をレストランに食べに行くと、夕暮れの海が素敵な景色で感動的だった。ゆっくりと夕飯をいただいて部屋に戻った。月の明かりが幻想的で素敵な夜だった。こんなロマンティックな夜で元気が出た。今夜が彼女との最後の夜なので、じっくりと長い、逢瀬を楽しんだ。
そして、爆睡、翌朝9時半に起きて朝食をとり、チェックアウトしてタクシーで京浜急行の汐入駅へ向かった。横須賀の町を散策して11時の電車で品川へ行き、品川駅で昼食をとって、駅ビルやら周辺を見て歩き1時過ぎで出発し京浜東北線で上野駅へ向かった。夜21時半の夜行列車で帰るので、近くの喫茶店で時間をつぶした。夜20時に夕食を食べて、夜21時近くになったので、彼女が一人で帰れるというので、別れて、安田は家に帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます