過密症

えわじてんわ

過密症

 各国が、おたがいに睨み合う時勢。人びとは、そんな世の中を、不安な気持ちで過ごしていた。その青年も、例外ではなかった。だが、青年が抱える不安は、世界の情勢をかんがみて、あすの生死を考えるような、そんな、たいそうなことから生じるものではなかった。

 青年は、日に日に、けむったくなる灰の街を、うつむきながら、おっくそうな足どりで歩いた。ふと、青年は立ち止った。視線の先には、レンガ色の三階建ての建物があり、二階の窓の柵に吊るされた看板には、「ホニャララ精神病院」と、ポップな字体で描かれていた。青年は、ここか、とつぶやき、建物の脇の階段を、のっそりと、のぼっていった。

 中は、白で統一された、清潔さを感じる部屋だった。青年は受付の女に連れられ、奥の診察室へと入った。

 部屋には、机と回転椅子が2つある。机の上には、こぎれいにまとめられたファイルが、みっちりとたてられていた。そして、回転椅子の1つには、小太りの、白はつで白ひげの、白衣を着た男が座っていた。医者と見うけられる。 

 「さぁ、どうぞ。こちらへかけてください」

 医者にうながされ、青年は目の前の椅子に座った。

 「今日は、どういったご用件で」

 やわらかな口調で、医者は言った。

 「あの…。その…。僕は、変な癖をもっていまして」

 「それは、どのような癖ですか」

 「あっ、癖というより、衝動に近いかなと思うのですけど…。例えば、中身が空っぽの箱を見つけたとするじゃないですか。すると、なんだか、物を詰め込みたくてたまらなくなるのです」

 医者は頷きながら紙に何か書いている。

 「我慢はするのですが、結局抑えられなくて。しかも、ぎゅうぎゅうに詰め込まないと気が済まなくて。もしかして、僕は、イかれてしまったんじゃないかと考えてしまって」

 「それを確かめるために、ここに来たと」

 青年は、はい、と頷いた。

 「少し待ってください」

 と医者は言うと、1つのファイルを抜き出した。先ほどの紙と、ファイルの中身を見比べながら、1ページずつめくっていく。3分ほど経ったころ、医者はめくっていた手を止め、青年の方へ向きなおった。

 「安心してください。あなたはイかれてなんかありません。これは、れっきとした病気なのです」

 「病気、ですか」

 「ええ、病気です。名前を過密症といいます」

 青年は、唾をごくりと飲み込むと、口をぎゅっとつぐんて聞き入った。

 「そんな、たいした病ではありませんよ。ただ、空っぽのものを見ると詰め込みたくなるだけの病気です。頭がイかれているのなら、どうしようもありませんが、これは、病気です。必ず治せますよ」

 青年は、今まで締まっていたものが緩むみたいに、はぁ、と息をはいた。

 「過密症は後天的なものです。何か強いショックを受けたとき、脳の大脳部分に神経異常が発生します。その際に『空白』や『空っぽ』などのニュアンスを含む言葉が使われていると、過密症になるといわれています。なにか心当たりはありますか」

 「…ええ。実は、1ヵ月ほど前に、彼女と別れてしまったのですが、別れ際にそんなことを言われたのをはっきり覚えています」

 「おそらく、原因はそれですね。物理的な痛みと違い、心の痛みは、はっきりとわからないものがあります。あなたは、自身では気づいていないが、心は相当な傷を負っているのです。そして、脳は、あなたにそのことを教えようとして、この症状を引き起こしているというわけです」

 なるほど、と青年は言った。

 「ですから、まずは、ご自身が病気であることを認める必要があります。そして、詰め込むことを我慢なさらないでください。その行為自体も、傷を塞ぐ一種のルーティンとなっているからです。そうしていれば、自然と、衝動も湧かなくなってくるはずです」

 「わかりました」

 青年は、医者にお礼を渡して、病院をあとにした。その足どりは、いくらか軽くなっていた。

 そのあと、青年はすぐに長期休暇をとった。治療に専念するためだ。

「あぁ、僕は病気なんだ。もう、我慢しなくてもいいんだ」

恍惚とした表情で、その日もなにかに物を詰め込んでいた。次の日も、その次の日も、家じゅうの、ありとあらゆる空っぽに物を詰め込んでいった。青年の心は次第に満たされていき、かつての不安など、これっぽっちも残っていなかった。

 そして、ある日ついに、

 「あっ。詰め込みたくならないぞ。空っぽの物を見ても、詰め込みたくならない。僕の心は治ったのだな」

 青年は心から喜んだ。だが、それもつかの間。携帯電話から緊急臨時速報のアラートが鳴り響く。

 「速報:ただいま、午前10時10分、我が国へ、ミサイルが発射されたもようです。着弾時間は午前10時12分です」

 「なんだって」

 すぐさま青年は、こんなときのために買った小型シェルターをめざして、家の地下へと走っていった。

 突然の速報は、人びとを混乱と恐怖におとしいれた。多くの人びとが、その圧倒的速度のミサイルに、なすすべなく、灰にされた。だが、すべての人間が死んだわけではなかった。こうなることを危惧していた一部の人間は、家庭用の小型シェルターに身を収めていたのだ。シェルターにより生き残った人びとは、がれきの山となった街を、悔しさとやるせなさを抱えながら、少しずつ、復興へとのりだしていった。


 「もしかして、あれはシェルターじゃないか」

 がれきの撤去をしていた一人の男が、黒いひつぎ型の物体を指さして言った。そう言われ、近くにいた何人かの男がその物体に近づいてみると、確かにそれは、閉じられた、一人用の小型シェルターだった。

 「なぜ、閉じられたままなのだ」

 「ミサイルの衝撃で、中から開けられなくなったのかもしれない。ミサイルが落ちて、もう三日は経っているが、今ならまだ間に合う。急いで開けよう」

 男はスライド式の開閉板を引っ張った。しかし、一人では、うんとも、すんともいわず、三人がかりでようやく開けることができた。

 「なんだこりゃ。こんなに、詰め込まれてちゃあ、開くわけがないよ」 

 男たちが覗き込んだシェルターの中には、人の存在などみじんもなく、ただ、本や、洗面用具といった、さまざまな物がぎゅうぎゅうに詰め込まれているだけであった。青年の行方は誰も知らない。

 

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