第13話 救出

 新宿西口の地下街を歩いていると、背負っていたゆきが目を覚ました。


「……ん。なんか、痛いで……す」


「魂を無理矢理身体から引き剥がされたからな。……歩けるか?」


「……はい。何、とか」

 そういうと全身を押さえつつ、多少ふらつきながらも歩き始めた。

 思っていたよりはマシなようでホッとした。


「今は因幡の白兎と同じ状態だと思えばいい。ぬるま湯のようなあいつらの世界はともかく、こちらじゃ魂の傷が癒えるまでしばらく我慢するしかない」


「……皮を剥がれて、もう一度皮の中に戻ってきたって事ですかね。もの凄く、痛いです……」


「まあな。はい、口開けて」

 キョトンとしたゆきの口の中に、懐から出した薬液を流し込んだ。


「苦っ。……なんですこれ?」


「薬。ガマの穂から作ってるから、多少はマシになるだろ」

 ペットボトルのお茶を差し出すと、砂地に水を撒くような勢いで飲み干しやがった。想像以上に苦かったらしい。

 だが、効果はあったようだ。


「んー。気持ち、痛みが引いたような? ありがとうございます」


「……悪かったな、まさかこんな事態になるとは。まあ傷が癒えれば、次同じ事があっても大丈夫なはずだ」


「できれば同じ目に合わないようにして欲しいとこですけどね。まあ付いていくと決めたのは私だけど」


「善処するよ。だが苦労した甲斐はあっただろ?」


 子供達の居場所を突き止め、連れ帰っても手出ししないという言質を取れたのだ。これ以上の結果は望むのは贅沢ってもんだろう。


 歩きながら子供達のいるという座標を記しておいたメモを見る。

 脳裏に浮かぶのは、そこに至るためのみち

 常に揺らぎ、交わる枝も刻々と変わり続ける世界樹だが、俺には目的地までの道のりが手に取るようにわかる。


「断絶した世界、ねえ。確かに孤立しちゃいるが、道が無い訳じゃない。連れて帰る説得の方が余程骨が折れそうだ」


「でも自信満々でしたよね。何か罠があるのかも」


「だな。まあここで悩んでても仕方ない。出来る限りの準備はするよ」


 そんな話をしているうちに事務所が近づいてきた。

 何にせよ無事に戻れたのだ、良しとしよう。


 ✳︎


「よう、坊主。世界最強になった感想はどうだ?」


「あ? 何だオッサン。誰に口聞いてるか分かってんのか?」

 玉座に座り、両脇に女を侍らせていた少年がこちらを一瞥した。おうおう、良い感じに拗らせてやがる。


「えーと、片野響也君だろ。そろそろ目を覚まそうぜ。もう十分楽しんだろ」


 俺の言葉にカチンときたのか、響也少年はやおら立ち上がると、俺に向かって右手を翳した。途端に光の帯が一閃し、俺の身体を袈裟懸けに切り裂いた、かの様に見えた。


 さらに立て続けに放たれる幾筋もの光芒が全身を切り裂いていったが、それは驚く程に俺の身に何の痛痒も与える事が無かった。


「……おい、何をした? 何故これを喰らって無事でいられる?」


 それも当然だ。少年の光線の威力、いや威力という言葉も言い過ぎだな。正直、懐中電灯とでも言うべきものだったのだから。

 そりゃ中学生の中でも身体の弱そうなこいつを世界最強・・・・に仕立て上げている世界だ。世界全体の強度も推して知るべしと言った所か。


 響也少年は焦ったようにさらに何事か呪文を唱え始めた。

 次の瞬間、周囲の地面が無数の岩の杭となり、一斉に俺の身体に突き刺さる……かと思いきや、これも発砲スチロールか砂糖菓子で出来ているみたいに崩れていった。

 いや、汚れるから勘弁してくれ。またゆきにどやされる。


「坊主、そろそろ気付いてんだろ? ここがお前の願いを叶えるためだけの、夢のようなものだって。そろそろ帰ろうぜ」


「うるさいっ、オレはギリステリア最強なんだっ。貴様、一体何者だっ」

 なんちゅー名前だ。どこの国だよ。


「あー、悪い。名乗ってなかったな。俺は梶ってもんだ。現実世界で行方不明になったお前の救助を頼まれたもんでね」


 響也少年の顔がサッと青褪めた。余程現実で嫌な事でもあったのかね。


「……オレは、あんな世界には戻らない。皆のために、ここでやるべきことがまだまだある」

 その言葉に同調するように、周囲から彼を必要とする旨の言葉が飛び交ってきた。

 ほんと機械仕掛けみたいで気持ち悪いな、これ。


「そうは言っても、ここ、そんなに保たないぞ? お前、死にたい訳じゃ無いんだろ?」


「ど、どういう意味だ? オレは魔王だって倒したし、帝国も打倒した。世界の敵は大体滅ぼしたはずだっ」

 響也少年の叫びに呼応するように、彼の全身から燃えるようなオーラが吹き上がった。

 うーん。一見凄そうなんだが、なんつーのかな、こう。全体的に薄っぺらいんだよなあ。


「いや、そういう事じゃなくてさ。……もう気がつき始めてるんじゃないのか? ここは坊主だけしか存在しない幻想のような世界だって。だから起きる出来事も全てお前の想像の範囲内の事だけだ。本当の意味での驚きも喜びも存在しない」


「おいおっさん、何を……」


「皆がお前に向ける台詞、どれも言われたかったやつなんだろ? お前が思いもしなかった事なんて誰も言ってくれてないだろ? 当然さ、みんな自分の妄想が作り出した世界なんだからな。よく考えてみろよ」


「ここが幻覚、だって言うのか?」


「いや、もっと上等なもんだし、現実っちゃ現実さ。だがここには坊主と真剣にぶつかり合おうと思っているやつなんて存在しない。みんな魂の無いガワだけの存在さ。だからお前がこの世界に飽き、燃え尽きて感情を失ったその瞬間、何もかも失われる。その生命もな。……そしてそれは、そんな先の話じゃないぜ」


 絶句した響也少年は俺をひと睨みした後、声を上げる事なく歯を食いしばりながら俯いた。

 そうして暫くの沈黙の後、少年は吐き捨てるように言葉を紡ぎだした。


「嘘だ……あんたの言うことなんか信じない。前のクソみたいな世界になんて、戻るものかっ」


 あー。これ面倒臭えやつだな。力づくで連れ帰ってやろうか。ゆきを連れて来れば良かった。

 ポケットからクシャクシャになった煙草を取り出し、火を付ける。

 おいおい、そんな嫌な顔しないでくれ。ここにはお前しかいないんだから勘弁してくれよ。そっち風上なんだし。


「ここでなら、オレは輝ける。頑張っただけ報われるし、皆が必要だって言ってくれる。あっちとは違うんだ」


「ふーん。感情の籠もらない称賛なんて虚しくならねえか? ちなみにさ、なんでその頑張りを元の世界でやらなかった訳?」


「当たり前だろっ。あんなクソゲーみたいな世界で頑張れるかよっ」

 そう言って絶叫する響也少年の背後に無数の魔法陣が浮かび上がる。

 次の瞬間、見た目だけは派手な魔術が再び俺の身に叩き込まれた。もちろんこの世界の道理に従う理由が無い俺には、何の影響も無い。

 しっかし相当溜まってんのな。


 一服が終わり、靴の踵で火を消した後にポケット灰皿に吸い殻を入れた頃、ようやく少年が口を開き始めた。

「……嬉しかったんだ。人から必要とされるのが。認めてくれるのが。…………でも、あんたの言う通りだ。こんなになっても、誰も文句一つ言いやしない」


 そう。周囲にいる人々はこの状況に対して何の行動も起こさずにいた。

 あれだけ吹き荒れた嵐のような魔術は、この広間を破壊し尽くしていたが、一人の死者すら出ていない。

 当然だ、こいつはそんな事、望んで無いんだからな。

 願いを叶えるためとはいえ、どこまで歪な世界なんだか。


「……まあさ、とりあえず戻ろうや。お前がもうちょっと生きやすくなるように、助けてくれるやつも紹介するからさ」


 少年の頭をクシャクシャと撫でると、微かに頷いたのがわかった。

 ふん、武士の情けだ。泣き顔は見ないでやる。

 とりあえず戻ってからの面倒な事は全部ゆきに押し付けてやる。

 そこまでやる義理は無え。


 ✳︎


 それからまる二週間、俺は子供達を助けるために世界を奔走した。

 仕事? うるせえな、依頼が無くて暇なんだよ。


 ファンタジーな異世界で勇者をやってる奴、現実そっくりの世界で大金持ちになった奴、逆ハーレムを作った奴など、様々な世界があったが、どれもテンプレ通りの薄っぺらい世界ばかりだった。


 子供達も響也少年のように駄々をこねる奴もいれば、どうにも言うことを聞かない奴もいた。まあ一度戻って出直したら大概は素直になってくれたが。


 だが、最後の一人で問題が起きた。

 正確には七度目に訪れたんだが、何故か会えず終いだった。

 そして他の全員を連れ帰った後、もう一度訪れたのだが。


 その子供は、自身が作り出したであろう世界の何処にも、存在しなかった。


 名前は榊晶。

 まさかこの子供が、次の厄介事の元凶になるとはね。

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迷宮稀譚 〜新宿駅が本当に迷宮になりました〜 篁風凛 @txt

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