とあるTwitter企画でのテーマを全部のせしてみた
@clanatus
夜明けの月夜
それはある日の早朝のことだった。
眠りから覚めた主人は突然『月見をしよう』と言い、酒を持って窓際に座った。
窓の外には、一面の雪景色と藍色の空、そしてそこに浮かぶ黄金の月のみが広がっており、まだ太陽は昇っていないようだった。
「ですが、月見とは満月の真夜中にやるもので、この時期、こんな時間にやるものではないのでは?」
私は、思わず疑問を口に出した。
彼のいう月見は、私の認識するそれとは大きな差異があったからだ。
『細かいことは良いんだよ。月があればそれでいいの。
それに、この前の満月の晩は一晩中雪が降りしきりだったじゃんか。そんな中できる訳ねえよ。』
「そもそも、雪の降る時期にする事自体、本来の月見から外れているではないですか。」
『つったって、もう年がら年中雪景色しか拝めないんじゃあ、いつやったって変わんねえだろ。』
その指摘に私は口をつぐんだ。
雪が止むことは、私達が住むこの場所では絶対にあり得ないからだ
。
かつて大きな、それこそ地形が変わる程の災害が起き、主人は偏狭の地に移り住むことを余儀なくされた。
技術の発達により衣•食•住、どれも不足なく生活できるようにはなったが、一年中寒風が吹き付け雪に覆われる生活は、彼にとっては物足りなかったのだろう。
ある日私を【買い】、身の回りの世話を任せるようになった主人は、かつての自分の住処や思い出話などをことあるごとに私に話した。
今行っている月見も、そのうちの一つだ。
本来であれば、木の実が実り、葉が落ちる季節にすると聞いている。
それももう、一生できないであろうことは彼もよくわかっているのだろう。外の景色を眺める主人の目は、悲しみと物足りなさに満ちているように感じた。
『三笠の山に、出でし月かも…か。』
そんな中、主人が呟いた言葉に、私は興味を持った。
「なんですか、今の言葉は?」
『俺の故郷に古くから伝わる、歌の一つだよ。子供の頃は必死になって覚えたもんだ。
【天の原ふりさけみれば春日部なる
三笠の山に出でし月かも】ってな。』
「それは、何故?暗唱する必要があったのですか?」
『いや。日常生活で必要ってわけじゃない。ただ、かるたっていう遊びがあってな、こういった歌を覚えておくと、有利になれたんだよ。』
かるたとは、歌の一部分だけを示した札を床に散らし、それを取り合う遊びのこと、らしい。
主人の故郷では100種類もの歌を取り扱うかるたも存在し、日々白熱した試合が繰り広げられていたそうだ。
「ふむ……。それで、その歌にはどんな意味があるんですか?」
『うーん………忘れちまったなあ。
ただ、これの作者は、夜空に浮かぶ月を見てこの歌を作ったらしいからな。何となく、今の俺もこんな感じなのかも知れないなーと思った訳よ。』
「そうですか。是非とも作者の人に聞いてみたいですね、どのような気持ちでその歌を作ったのか。」
『そうだな。ついでにこの歌の意味も聞きたいが、何せこの体たらくだからなあ。』
主人は自分の体を見下ろして、残念そうに言った。
確かに、その体では外を出歩くことも困難だろう。更にいえば私一人でも支えきれないし、他に手伝ってくれるあてがあるわけでもなく…
『ほら、お前もそこに突っ立ってないで付き合え。』
そんなことを考えていたら、しびれを切らしたのか、主人がこっちに来るよう手で招いた。
仕方ないので少しはつきあうことにしよう、私はそう思い、主人の横に座り、杯に酒を注いだ。
一口、また一口と飲む私。主人はこれを愉快そうに眺めていて、それがまた腹立たしい。
「だいたい、その体じゃ飲めないのになんでお酒なんて持ってきたんですか、全く…。」
彼は面白そうに手を叩くが、正直なところ、手と手がぶつかり合ってうるさい。
『まあまあ、気にすんなよ。機械の体になっても、心は残ってるんだ。形だけでもそれっぽくしたっていいだろう?』
そういう主人を後目に、最後の一口を飲み干す。
「…………。」
そして私は、襲い来る眠気に負け、目を閉じた。
寝る直前に主人が自分の体について言及していたからか、瞼の裏には初めて出会い、機械の身体を持った主人に衝撃を受けた時の思い出が浮かんでいた。
驚く私を前にして、面白そうに事情を説明する彼が、今思うと恨めしくも感じる。
主人は、先の災害で命に危険が及ぶほどの怪我をして、やむなく機械の体に作り替えることとなったそうだ。
普通の食事は必要無くなった。しかし、体を動かすために電力を使う必要ができたそうで、充電するときは全身を楔でつながなければならないと、そう言っていた。
『それでも大したことはできない。せいぜい狭い範囲を歩くか、だれかと話すくらいかしかね。
だから、君には身の回りの世話をしてもらうよ。一人だと、何かと不便なものでね。』
最初は、生身ではなく電気で動く、訳の分からない人の世話などしたくなかった。だが私は身寄りも無く、売買の対象になるような立場の人間だったから。拒否することはできなかったし、逃げたところで他にいく宛もなかった。
やむなく引き受けた仕事ではあったが、暗い部屋の中で誰とも話さず過ごす今までの毎日と比べれば、話し相手がいる生活は悪くはないと感じた。
ただ、体を丸ごと作り替えることができるほどの、もっといえば何もせずとも私を養えるだけの力のある人が、何故このような場所で一人暮らしているのか、疑問に思わない日はなかったが。
『……ほら、起きろよ。夜が明けるぞ。』
回想は主人にたたき起こされたことによって中断された。
体を起こしてみると、目に強烈な光が入ってきて、思わず手で覆ってしまう。
今度は目を焼かれないよう、慎重に手を離してみれば、地平線の先から太陽が姿をのぞかせていた。
夜の象徴たる月と、昼の象徴たる太陽が同時に存在する事に一種の違和感を覚える。
「もしかして、最初からこれを目的にしていたのですか?
それなら月見ではなく、日見というべきでは。」
『いやいや、月を肴に酒を飲みたかったのは本当だぞ?少しここでゆっくりしすぎてしまったけどな。』
「別に良いですけどね。あなたはお酒飲めないんですから、無理して飲もうとだけはしないでくだささいよ?」
『はいはい、わかったよ。』
そんな他愛もない会話をしながら、この奇妙な風景を見ているこの時間に、私は居心地の良さを感じていた。
うんざりするほど見ていたはずの雪も、代わり映えしないはずの月も、そして何より毎日していたはずの主人とのやり取りも、今日は新鮮に思えた。
初めて生まれた気持ちを理解できず、誤魔化すために酒をありったけ飲もうとしたが、主人に止められてしまったので、仕方なく深呼吸する。
昔の自分ではあり得なかったことばかりだ。これからなれていく必要がある。
『さて、そろそろ寝るか。』
という主人の言葉(独り言だが)がなかったら私はしばらく冷静になれなかっただろう。
立ち上がって寝床に向かっていく彼に対して、私は一言だけ、伝えた。
「あの…今度、かるたについて詳しく教えてください。」
その言葉を聞いた主人は、振り返って笑い、そのまま寝床へと消えていった。
『ああ。お前も早く寝ろよ。』
改めて窓の外を見てみると、月は完全に沈み、何ともない普通の朝の景色が広がっていた。
ただ今は、その普通の朝の雪景色ですら新しく思える。それも主人との会話が原因だろう。
「たまにはこういうのもいいですけど、少し疲れますね。
それもまた、新鮮でいいですが。」
ひとり呟いたその言葉は、私以外の誰の耳にも入ることなく、霧散していった。
先程の感情を思い出して取り乱す前に寝てしまおうと、私はこの場所を後にした。
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