どうするか未定の雑録
雑録①:「書を知る」を考えるpart.1
雑談で「書を知る」は識字なのか文書の高度な運用なのか、
という議論があったのでちょっとまとめてみようかな、と。
▼六芸の変遷と「書」
まずは、
書について整理してみましょう。
書というと六芸がよく知られておりますね。
これは「詩、書、礼、楽、易、春秋」です。
コイツを旧六芸としましょう。
ここに言う「書」は『書経』、
要するに『尚書』なのですね。
これって要するに「六経」で
儒家の経書を指しております。
こちらが古い「六芸」とされており、
賈誼『新書』あたりでも使われます。
ただ、
早いうちに「楽」が失われて徐々に
「五経」が一般化していくのですね。
で、
「六芸」が空いてそこに入ったのが、
「礼、楽、射、御、書、数」の六つ。
こちらも礼楽を含むものの技芸寄り、
うまくこなせるかどうかのお話です。
経典のお話ではありません。
どっちかって言うと実技ね。
『周礼』が出典みたいなのですけど、
コイツも相当に胡散臭い著作でして
察する感じ漢代以降の偽作ですかね。
これを新六芸としておきましょうか。
確認する限り、後漢の理解なのかな。
陸賈『新語』でも五経と六芸が分離していますが、
コイツも偽作説があったりするのでマユツバ気味。
たとえば、
『漢書』宣帝紀の元康元年秋八月の詔には、
「朕は六藝に明らかならず、大道に鬱し」
とありまして、この六藝は六経クサイです。
『漢書』芸文志の大分類にも「六芸略」があり、
易、書、詩、禮、樂、春秋、論語、孝經、小學
といった小分類がそれに従っておりますしねえ。
前漢末~後漢初までは六芸=六経でイケたっぽい。
後漢に入ってどうも旧六芸から新六芸に移行、
鄭玄の論語注は明確に新六芸に基づいてます。
このあたりから一般に受容されたのかもですね。
ただし、
三国時代に入っても詔や上奏では旧六芸の意で
用いられているので雅言化しているクサイのよ。
まあ、
「不知書」では『書経』の意とは解されないので、
こちらは捨てておいて新六芸の書で解してよさげ。
▼「書」を学ぶとは?
次に、
書を学ぶの具体的なところですね。
『礼記』内則によるとこんな感じ。
六歳:数と方角を学ぶ
九歳:朔望や干支を学ぶ
十歳:外で師について書計を学ぶ
十三歳:射御を学ぶ
二十歳:礼を学び始める
儒家先生の理想のカリキュラムっぽい。
一方、
『白虎通義』辟雍の学制はこんな感じ。
古は年十五にして太學に入るは何の所以か。
以為えらく、八歲にして齒を毀つ。
始めて識知あり、學に入りて書計を學ぶ。
七八十五にして陰陽は備わる。
故に十五は成童志明、太學に入りて經術を學ぶ。
成童は十五歳の別称、志明は意志明瞭の意ですが、
訓読するとアタマ悪そうなんでそのままにします。
こちらは後漢の章帝の時代のお話ですね。
在位75~88年なんで三国時代の100年前。
「書計を学ぶ」→「経術を学ぶ」の順番、
明確に2つは区分されている点に留意ね。
『礼記』内則は十歳で「書計を学ぶ」、
『白虎通義』辟雍はちょい早くて八歳。
で、
注意すべきは『礼記』も『白虎通義』も
書計の勉強を家ではしていない点ですね。
前者は「外師」、後者は「学校」なのよね。
現代の感覚では分かりにくいところですが、
「書計」は家庭で学べるものではないのよ。
数、方角、朔望、干支の基礎知識は家庭、
書計からは家の外で教育されるワケです。
儒家の理念的学制はマユツバだし、
実際のところどうかを見てみます。
前漢武帝期の人に
近い経歴があります。
『漢書』東方朔伝
臣朔は少くして父母を失い、
兄嫂に長養さる。
年十三にして書を學び、
三冬にして文史用うるに足る。
十五にして擊劍を學ぶ。
十六にして詩書を學び、
二十二萬言を誦んず。
十九にして孫吳兵法を學び、
戰陣の具、鉦鼓の教、
亦た二十二萬言を誦んず。
十三歳で「書を学ぶ」はやや遅いのかな。
でも、
方正賢良文学材力の士に挙げられており、
家はそこそこお金持ちかなと思われます。
つまり、
『礼記』や『白虎通義』の学制の記事は
「儒家センセー嘘乙」では片づかんのよ。
むしろ、
これらの学を踏んで初めて士大夫は一人前、
ちゃんとできていない人は落ちこぼれです。
あくまで庶人と一線を引いた上で、ですが。
この理解はけっこう重要になります。
▼項羽と劉邦(学書バージョン)
さて、小難しい経書はさておいて
楽しく史料を読んでいきましょう。
一発目はちょっと意外な記事をご紹介。
『史記』高祖本紀
盧綰は豐の人なり。高祖と里を同じうす。
盧綰の親は高祖の太上皇と相愛たり、
男を生むに及び、高祖、盧綰は同日に生まれ、
里中は羊酒を持ちて兩家を賀す。
高祖、盧綰の壯たるに及び、俱に書を學び、
又た相愛なり。
へええ、
無作法で有名な高祖劉邦も書を学んだのですね。
何べん読んだか分かりませんけど見落としてた。
劉邦と盧綰が「壯」になってから
書を学んでいる点は要注意ですね。
というか、劉邦の家はやっぱり富農だったのね。
その一方、
将来のライバルは書計でいきなり挫折していた。
『史記』項羽本紀
項籍は少き時、書を學びて成らず、
去りて劍を學び、又た成らず。
項梁は之を怒る。
籍は曰わく、
「書は以て名姓を記すに足るのみ。
劍は一人に敵うのみ。
學ぶに足らず。
萬人に敵うを學ばん」と。
是に項梁は乃ち籍に兵法を教う。
籍は大いに喜び、略々其の意を知り、
又た竟に學ぶを肯んぜず。
フツー、項羽は書を学んで
「名前を書ければいいし、
剣は一人に勝つだけだし、
万人に勝つ術なら学んでアゲル」
と言った感じで訳されているけど
よく考えてみるとちょい違うかも。
文章構造から考えると、
剣 → 一人に勝つ
兵法 → 万人に勝つ
これって手段と用途の関係よね。
そうなると、
書 → 名前を書く
これも手段と用途で捉えるべきかも。
つまり、
「書なんぞ名前を書くだけだし
剣は一人に勝つだけだし、
万人に勝つ術なら学んでアゲル」
って感じのがいいのかも知れない。
じゃあ、
名前を書くのはどういう機会かと言うと、
ちょっとオモシロげな記事がありますよ。
『後漢書』劉盆子伝
臘日に至り、崇等は乃ち樂を設けて大いに會す。
盆子は正殿に坐し、中黃門は兵を持ちて後に在り、
公卿は皆な坐を殿上に列ぶ。
酒の未だ行われざるに、
其の中の一人は刀筆を出し、
書謁にて賀さんと欲す。
其の餘の書を知らざる者は
起ちて之に請い、各各屯聚し、
更に相い背向せり。
シーンは年末の臘日、劉盆子の宴会。
一人が書謁を書いて賀そうとすると
字が書けないみなさんが争ってまで
自分の名を追加してもらったという、
ちょっとマヌケなお話ではあります。
この後、
壮絶な掠奪殺し合いになるけど。
「書謁」は謁見の申込文みたいのね。
劉邦が呂公と面会する際に「賀錢萬」
と書いたアレを思い出すとイイ感じ。
「起ちて之に請い」の注には
「其の己の名を書するを請うなり」
とあり、書謁に名前を書いてもらい、
自分も余慶に与ろうとしたワケです。
まあ、フツーの人はそれくらいしか
文字を書く機会はなかったのかもね。
劉盆子の部下のみなさんは
それもできなかったのですが、、、
要するに、項羽の将来において
文章を書くことが想定されていない、
と読む方が正しいような気もするの。
項羽が大望を抱いていた前提ならば、
文書行政は専門家に委ねられており、
社会的分業が進んでいたのかもです。
つまり、
書は基本ながら一般人にとっては
専門知識と考えると理解しやすい。
代書屋なんてのは後代まで延々と
残存しつづけているワケですしね。
なお、当時の字については、
秦代までは篆書が一般に使われており、
前漢武帝期に隷書に移行が通説ですね。
ただ、
出土物はそれを補強しているのかなあ。
ソッチ系史料は未見なので曖昧な感じ。
話を戻して。
書を投げだした項羽が兵法を学んだ、
という点にも注意が必要になります。
項羽はちゃんとした読み書きはできない、
でも、兵法を学ぶことはできたワケです。
たとえば、
『孫子』の章句が短文であることは
すでに先学の指摘するところですが、
これは暗記しやすいためなのですね。
つまり、
無学文盲でも章句を暗記して意味を
アタマに叩き込んで使えたワケです。
よって、
「兵法を解する=文字を読める」
という図式には必ずしもならない。
旧学問の入口が素読であることから
学問の最初は字を読むことに始まる。
それにより、
門前の小僧的に理解が進むという
学習順序に従っているワケですね。
その最初はやはり丸暗記なのです。
で、
字が読めることと書けることとは
イコールにはなりませんでしょう。
憂鬱、葡萄、蝙蝠などなど、、、
書けない字はけっこうありますね。
でも、
読めないかと言えば、
これは読めますよね。
だから、
兵法を学んだ=読み書きできた、
という図式にはなりませんのよ。
読めた可能性は高いかもですが、
書けたには直結しにくいのです。
ついでに、
劉邦と盧綰が書を学んだのは「壯」、
項羽が書を学んだのは「少」とあり、
学齢が違う点は階層の差でしょうね。
当たり前ですけど、
項羽の方が社会階層が上位なのです。
ただし、
この点から推して項羽の学問の方が
ハイレベルだったとは考えにくいの。
「少」いのにいきなり経書の学問?
儒家先生でなくても止めるでしょう。
まず読み書き算盤=書計を固めるのは
経験的に有効性が知られていたはずで、
昔の人だってバカではありませんから。
そういう理由で、
項羽の学問はハイレベルで劉邦は違う、
というような恣意的な解釈はなかなか、
積極的には支持しにくいのであります。
学書や知書は経学を学ぶ前段階であり、
あわせて計数も勉強したという理解を
前提に敷いておかないとダメなのよね。
ついでに言うと、
この傾向は後漢、三国、西晋と下ると
さらに強まっていくと考えてよいです。
なぜなら、
階層分化が進むにつれて史書の記述者も
この世界の人ばかりになっていくからね。
ちょっと長くなったので他の史料は
次に回します。つまり、次回に続く。
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