前史⑧馮太后v.s.献文帝part1
いよいよ、
カラミと言っても変な意味ではない。
馮太后28歳。
知りたいのは、
献文帝と馮太后の暗闘があったか、
そのあたりのことなのであります。
こういう時はどうするといいかなー、
人の動きを中心に見るのがいいかも。
時期の枠組みを作っておくと、
まあ以下の4区分ができそう。
開始:
終了:
献文帝親政~
開始:
終了:
孝文帝即位~献文帝崩御:5年足らず
開始:
終了:
第二次臨朝開始~
開始:
第二次臨朝開始からは本題ではないので、
これはご参考程度って感じになりますね。
まず、
乙渾誅殺関係者の動きを見ますかね。
馮太后と乙渾誅殺に動いた人は3人、
というイカレたメンバーであります。
記号はテキトーにこんな感じね。
▲:重用される
▼:退けられる
▶:馮太后的にOK
◀:献文帝的にOK
✖:サヨナラ
元丕
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
▲尚書令、東陽公になる
▶東平王道符の鎮圧に出征
献文帝親政~孝文帝即位
◀柔然親征に従う(皇興4年9月)
▶京兆王子推への譲位を諫める
孝文帝即位~献文帝崩御
▲假東陽王になる(時期は推測)
▶蜀漢に出征する(延興4年9月)
第二次臨朝開始~
▲正東陽王になる(承明元年10月)
元孔雀
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
▲濮陽王になる
献文帝親政~孝文帝即位
▼怠慢の罪で濮陽公に降格
孝文帝即位~献文帝崩御
▲濮陽王に復する
第二次臨朝開始~
✖誅殺される(承明元年7月)
なお、
陸雋は
その時期などは一切不明であります。
こうして見ると、
元丕は順当に爵が進んでいますけど、
しばらくの間は
延興4年には
おそらく、献文帝親政期は進爵なし、
孝文帝即位時に假東陽王と考えると、
献文帝はあまり重用してないっぽい。
元孔雀は献文帝親政期に降格されて
孝文帝の即位後にまた王になります。
ただ、
直後に誅殺されてしまっていますが。
どうも、
元丕と元孔雀は献文帝から見ると
好ましい感じではないクサイのね。
次に、
乙渾とともに三公だったみなさんと
乙渾派だった
慕容白曜
和其奴
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
▶東平王道符の鎮圧に出征
献文帝親政~孝文帝即位
✖死没(司空在任中)
劉尼
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
・情報なし
献文帝親政~孝文帝即位
▼免官(司徒在任中)
孝文帝即位~献文帝崩御
✖死没(延興4年)
慕容白曜
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
▶劉宋との戦で碻磝に出征
献文帝親政~孝文帝即位
▲濟南王となる(皇興3年2月)
✖誅殺される(皇興4年10月)
和其奴は献文帝親政期においても
わりと早く死んでしまうのですが。
子の
その後、
太和6年に
たぶん直後くらいに死没してます。
進官が急激でない点より推しても、
献文帝・馮太后いずれにも偏らず
粛々と職務を務めた感じですかね。
劉尼も和其奴と同じく据え置き、
ただし、
献文帝の閲兵中に泥酔してしまい
免官となってそのまま死没ですね。
何をやっているんだか。
慕容白曜は皇興元年より出征し、
3年かけて
大功を建てたものの直後に誅殺。
この時、慕容白曜は青州刺史。
青州刺史はどうにも鬼門でして、
「南叛」の名目で誅殺しやすい。
実際のところ、
乙渾への協力の責任を蒸し返され、
罪を問われて誅殺されたのですが、
「時論は之を冤とす」と伝にあり、
世間はわりと同情的だったっぽい。
つまり、
乙渾の専権への協力については、
特別に問題視されていないのね。
じゃあ、
慕容白曜誅殺の主導者は誰なの?
ちょっと気になるところですね。
一方、
外戚連中の動きはどうでしょうか。
この3人くらいしかいないですが。
李峻
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
▲太宰となる
献文帝親政~孝文帝即位
✖死没(皇興3年10月)
李恵
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
・情報なし
献文帝親政~孝文帝即位
▲雍州刺史、南郡王となる
孝文帝即位~献文帝崩御
・情報なし
第二次臨朝開始~
✖誅殺される(太和2年12月)
馮熙
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
・情報なし
献文帝親政~孝文帝即位
▲太傅、內都大官になる
孝文帝即位~献文帝崩御
▲太師になる
▲洛州刺史として転出
献文帝の生母の兄である李峻は
第一次臨朝中に
献文帝親政期に死没しています。
ですので、
それほど変なところはないのね。
寿命と考えればまあ仕方ないし。
ただし、
献文帝にとっては姻戚と言える
外部の人間を失ったワケでして、
なかなか厳しいとも言えますね。
李峻の弟の
封王されたけど活躍しないのよ。
当時の王ってピンキリですので。
孝文帝の生母の父である李恵は
献文帝親政期に封王されると
同時に
なんと言うか、
意地でも
このあたりは作為的ですよねえ。
皇帝の生母の一族も国都からは
遠ざける規定でもあったのかな。
その後、
死亡フラグの青州刺史に転じて
「南叛」の疑いで誅殺されます。
ちなみに、
孝文帝が生母が
知るのは馮太后の死後ですから
李恵が誅殺されても感情的には
何も感じなかったと思われます。
そもそも、
知らされなかった可能性が高い。
一方、
同じ外戚でも馮太后の兄の馮熙、
こちらは献文帝親政期に
献文帝の死後、第二次臨朝には
というチートモードに入ります。
そこで
「ヤベーわー、身分高すぎて嫉妬がヤベーわー」
って感じで
明暗キッパリすると
すがすがしいですね。
献文帝目線で考えてみますと、
李恵は平城勤めにしたいはず。
何しろ、
子を生んだ妻の父つまり岳父、
孝文帝の後ろ盾になり得ます。
しかも、
一廉の人物だったクサイので、
馮太后の好き勝手防止に最適。
しかし、
それも出来なかったワケです。
献文帝親政期にしたところで、
馮太后の影響力はわりと強い、
そう見る方がよいかもですね。
※
2020/9/23、Twitterにて深山さん(@miyama__akira)より李恵と献文帝の関係性を取り違えている旨のご指摘を受けてこの段を修正しました。
ついでに、
イマイチ使えない叔父連中、
景穆五王の動きをまとめて。
景穆五王
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
✖濟陰王小新成が死没
献文帝親政~孝文帝即位
◀任城王雲が柔然親征に従う
(皇興4年9月)
✖陽平王新成が死没
(皇興4年12月)
▼汝陰王天賜が西部敕勒に敗戦
(皇興5年4月)
孝文帝即位~献文帝崩御
◀任城王雲が仇池氐の叛乱を平定
(子の元澄が梁州刺史となる)
◀任城王雲が徐州刺史→冀州刺史となる
▶任城王雲が京兆王子推への譲位を諫める
▼任城王雲が雍州刺史となる
第二次臨朝開始~
▲汝陰王天賜が儀同三司となる
▼京兆王子推が青州刺史となる
✖京兆王子推が死没(太和元年)
✖任城王雲が死没(太和5年)
▼汝陰王天賜が庶人とされる
(太和13年)
濟陰王小新成と陽平王新成は
先に触れたとおり早死にです。
しかし、
こうして見ると、皇興4年10月の
慕容白曜と
陽平王新成はまだ在世だったのね。
12月には亡くなるワケなのですが。
情勢を考えますと、
乙渾の専権に協力した慕容白曜を
青州・徐州といった新領土に置く、
これはけっこうな感じでマズイの。
疑心暗鬼になればすぐ南叛できる。
といって、
呼び返してしまうとおそらく叛く。
ただでさえ脛にキズがありますし。
まだ史料的に不十分なのですけど、
新しい領土の統治を平定した将帥に
委ねるのは恩賞としての意味合いも
ありそうに思われるのですよねえ。
そうなると、
慕容白曜は青州刺史として青州に
いるのがフツーということになる。
それを呼び戻すのは甚だしい悪手。
よって、
殺害は謀反防止の唯一の手段かも。
ちなみに、
献文帝は慕容白曜を誅殺する前月、
これにより、
献文帝の権威はかなり強化される。
李敷と慕容白曜の誅殺については、
この権威と自信が行わせたものと
推測しておるのであります。
つまり、
慕容白曜の誅殺は献文帝が主導した。
理由は叛乱防止と推測されるのです。
お話を戻して。
献文帝親政期のうち、
皇興4年9月の柔然親征までの間、
景穆五王は平城に常駐だったクサイ。
しかしながら、陽平王新成の死から、
外征や出鎮にコキ使われている感じ。
一種のターニングポイントなのかなあ。
任城王雲は献文帝の柔然親征に従い、
ついで
時期はおそらく献文帝譲位以降かな。
じゃないと譲位の際のイザコザには
絡めなくなっちゃいますものねえ。
その際、
子の
出征前に馮太后に引見されています。
一方、
任城王は仇池氐平定後に徐州刺史に。
その在任中に母が死んで解任を懇願、
懇願した先は献文帝なのであります。
つまり、
仇池氐平定に関して元澄は馮太后、
任城王雲は献文帝の影響下にあり、
徐州への転任も献文帝の意向かな。
元澄は馮氏から妻を娶っているので
その関係性もあると思われますけど、
献文帝譲位後の政局はかなり複雑よ。
京兆王子推は献文帝親政期の末まで
外任・出征の記録がなかったのです。
これは、
献文帝が手元に置いておきたい人、
そういうことかも知れないですね。
それなら、
譲位先に選ばれるのも、まあ分かる。
献文帝在世中はたぶん庇護下にあり、
崩御の後にはすぐ外任に出されます。
その経緯がどうにも腑に落ちなくて、
献文帝の死没直後の承明元年10月に
青州刺史に任じられているのですが、
翌年の太和元年7月に死没してます。
伝によると、
侍中、本將軍、開府儀同三司、青州刺史を拜し、
未だ至らずして道に薨ず。
承明元年10月に任じられて翌年7月に
まだ青州に赴任せずに亡くなっている。
というか赴任中に亡くなっております。
闇深。
ここでも青州が死亡フラグ扱いでした。
汝陰王天賜は使えない人なので省略、
まあ馮太后に阿ってた感じがします。
太和13年まで生き残ったのはご立派、
ただ、
キッチリ免官されて庶人にされます。
景穆五王はやはり献文帝の藩屏っぽい。
といってもそれぞれに違いがあります。
陽平王新成:馮太后に唯一対抗できた
京兆王子推:献文帝に一番近いが弱腰
濟陰王小新成:知略最強っぽいのに急逝
汝陰王天賜:使えない
任城王雲:最初に馮太后に取り込まれた
雑にこんな感じで色分けできるかもね。
そうであるなら、
景穆五王の弟たちも献文帝は優遇したはず。
景穆五王の弟は全12名で残りはこんな感じ。
樂陵王胡兒はとうの昔にお亡くなりであります。
景穆「後」四王とでもお呼びしておきましょう。
景穆後四王
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
・情報なし
献文帝親政~孝文帝即位
✖章武王太洛が死没(皇興2年)
▲南安王楨が封王される(皇興2年)
▲城陽王長壽が封王される(皇興2年)
▲安定王休が封王される(皇興2年)
▲南安王楨が中都大官→內都大官となる
▲城陽王長壽が外都大官となる
▲安定王休が外都大官となる
孝文帝即位~献文帝崩御
▼南安王楨が涼州に出鎮
(延興元年10月)
▼安定王休が和龍鎮將となる
(孝文帝の治世初め)
▼城陽王長壽が沃野鎮都大將となる
(上2例より推測)
✖城陽王長壽が死没
(延興5年)
第二次臨朝開始~
▼南安王楨が庶人とされる
(太和13年)
▲南安王楨が再び王に封じられる
(太和19年)
露骨です。
同年に死没した章武王太洛を除き、
献文帝親政期の初めの皇興2年に
生き残った3人が封王されてます。
章武王太洛は王を追贈されており、
封王前に世を去ったのでしょうね。
また、
おそらく同時に
献文帝の輔佐を期待されています。
時期は推測でありますけど、まあ、
封王と同時と考えるのが妥当かな。
で、
献文帝譲位後は全員が外任に出る、
つまり、
露骨に国都の平城から逐われます。
なお、
城陽王長壽は献文帝死没の前年末、
延興5年12月に急逝しております。
しかし、
献文帝親政期と譲位以降でこれだけ
あきらかな扱いの差があるとは意外。
もう少し穏当かと思っておりました。
それにしても、
南安王楨も太和13年に庶人降格ですね。
汝陰王天賜も同年に庶人にされてます。
この年、
章武王太洛の子の
何があったか気になるところですよね。
一応、
それぞれ貪賕と贓賄が理由ですけども。
ここまで見たところを整理しますと、
以下のような感じになると思います。
乙渾誅殺~第一次臨朝終了
・旧三公+慕容白曜
:現状維持
・乙渾誅殺組
:功績を評価されてウハウハ
・外戚
:現状維持
・景穆太子の子どもたち
:現状維持
献文帝親政~孝文帝即位
・旧三公+慕容白曜
:死没、免官、誅殺で全滅
・乙渾誅殺組
:コキ使われるか降格
・外戚
:馮熙だけ平城に残る
・景穆太子の子どもたち
:コキ使われるが平城常駐
孝文帝即位~献文帝崩御
・乙渾誅殺組
:復権してウハウハ
・外戚
:馮熙がチートモードに入る
・景穆太子の子どもたち
:有力者から外任に出される
それぞれをまとめるとこんな感じ。
・乙渾誅殺~第一次臨朝終了
馮太后が臨朝しますけど景穆五王など
まだまだ厄介な連中もおりましたので
大人しくしていた時期と言えましょう。
乙渾誅殺組のような明らかな勲功以外、
急激な官位の引き上げなどはほぼなし。
ただし、
この期間に婚姻により穆氏のような
有力氏族への浸透を進めたと見ます。
当然、
宦官連中の取り込みもこの時期から
下ごしらえに入っていたはずですね。
・献文帝親政~孝文帝即位
馮太后がなぜか孝文帝養育に専念し、
献文帝が親政した時期なワケですが、
外戚は思い通りとは言い難いですね。
特に、
献文帝は岳父の李恵さえ登用できず、
外任に出さざるを得なかったのです。
これは北魏の祖法なのかもですけど、
馮太后の影響力が強い領域なのかも。
一方、
乙渾誅殺組はわりと冷遇されており、
三公+慕容白曜はあわせて全滅です。
このあたり、
献文帝は隔意を持っていたみたい。
原因を考えるのも楽しそうですね。
逆に、
叔父である景穆太子の子どもたちは
馮太后への抑止力として平城にあり、
末の叔父まで登用して備えています。
翻って見れば、
馮太后はこれらとバトルして勝てる、
献文帝を譲位に追い込めるくらいの
影響力を蓄えたワケでありますよね。
恐ろしいなあ。
・孝文帝即位~献文帝崩御
実際には、
第一次臨朝の後に連続しているのです。
ですので、
乙渾誅殺組は復権してウハウハ、
外戚でも馮氏が遠慮なくウハウハ、
景穆太子の子どもたちを平城から逐い、
上皇となった献文帝の立場はまあ弱い。
ほぼほぼ馮太后の思い通りになります。
それでも、
献文帝は生存していたワケですから、
どのように対したかに注目ですねえ。
『魏書』本紀を中心に整理するとこんな感じ。
もう少し手際よくできそうな気もするけどね。
ただ、
今のところ、外堀を埋め終わった感じでして、
次は本丸となる献文帝の行動を見ないとダメ。
次回はそんな感じでいきたいと思うのでした。
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