陳元康(北魏・東魏)「文官と時代の潮目」
陳元康①わりと地味な経歴。
文官から東魏~北齊という国家を考える、
シリーズの3人目は
毎度おなじみ
『北齊書』陳元康伝を中心に
サクサク読んで参りましょう。
▼
陳元康、字長猷、廣宗人也。
父終德、魏濟陰內史、
終於鎮南將軍、金紫光祿大夫。
元康貴、贈冀州刺史、諡曰貞。
元康頗涉文史、機敏有幹用。
陳元康、字は長猷、廣宗の人なり。
父の終德は魏の濟陰內史、
鎮南將軍、金紫光祿大夫に終わる。
元康の貴たるや、冀州刺史を贈られ、
諡して貞と曰う。
元康は頗りに文史を涉り、機敏にして幹用あり。
▲
陳元康も出身は北魏の官僚家系です。
ただ、
父の
トップの名門家系とは毛色違います。
当然、
陳元康も文官として訓練されました。
▼
魏正光五年、從尚書令李崇北伐、
以軍功賜爵臨清縣男。
普泰中、除主書、加威烈將軍。
魏の正光五年、尚書令の李崇の北伐に從い、
軍功を以て爵臨清縣男を賜わる。
普泰中、主書に除せられ、威烈將軍を加う。
▲
これが最初の任官かは不明ですが、
軍功により
この李崇の出征は
同年三月に
五月には
代わって李崇が出征を命じられたのです。
李崇は
叔母は
李崇本人も政戦ともに秀でて
ただし財産を大事にする人で金にはキタナイ。
この時の出征では
六鎮の賊に善戦したものの平定できず、
冬になって
元淵という人もなかなか薄汚れており、
李崇との間もうまくいってないっぽい。
李崇の長史の
あわせて軍資を盗んだことを朝廷に報告、
そのために李崇は召喚されてしまいます。
この祖瑩の子が
祖孝徴としても知られる人です。
父子そろってロクでもないないなあ。
北魏官軍ギスギスフィーリング、
こりゃあ勝てるモノも勝てない。
陳元康はあまり関係なかったようで、
連座もなく、放置されたようですね。
それからは不明ですが、
5年後の
つまり主書郎として任用されます。
ちなみに、
主書郎は第六品上の官でして、
洛陽がある
けっこうエライ。
この頃は
爾朱兵団の天下という時期になります。
ここまで陳元康は特に爾朱兵団とは
関わりなく過ごしてきたようですね。
▼
天平元年、修起居注。
二年、遷司徒府記室參軍、
尤為府公高昂所信待。
出為瀛州開府司馬、加輔國將軍。
天平元年、起居注を修す。
二年、司徒府の記室參軍に遷り、
尤も府公の高昂の信待するところと為る。
出でて瀛州の開府司馬と為り、輔國將軍を加う。
▲
すでに爾朱兵団は滅ぼされて
高歓と対立した
逃げ込んで魏が東西に分裂した直後のこと。
孝武帝に逃げられた高歓は
これが東魏の
陳元康は史官としてその起居注を担当します。
翌年の三月には
その時に
この高昂はすなわち
その高敖曹には大変に信任されたらしく、
恙なく務めて
瀛州刺史が誰だったかは不明なのですけど、
おそらく高歓に従う鮮卑武人の誰かかなあ。
▼
所歷皆為稱職、高祖聞而徵焉。
稍被任使、以為相府功曹參軍、
內掌機密。
高祖經綸大業、軍務煩廣、
元康承受意旨、甚濟速用。
性又柔謹、通解世事。
歷するところは皆な職に稱える為、
高祖は聞きてこれを徵す。
稍やして任使を被り、以て相府の功曹參軍と為り、
內に機密を掌る。
高祖は大業を經綸し、軍務は煩廣なり。
元康は意旨を承受し、甚だ速用を濟う。
性は又た柔謹、世事に通解せり。
▲
他にも転任したのかも知れませんけど、
いずれの職務も適切に遂行したらしく
噂が高歓の耳に入って
この噂が
高敖曹の弟の
記事を突き合わせるとそうなりそうですね。
陳元康が高敖曹に信頼されていたとすると、
その線で弟の高季式が推挙したのでしょう。
しばらくすると高歓にも信任されて
陳元康の特徴は仕事が速いことらしく、
多忙な高歓の意図を汲んで迅速に処理、
性格は温和で世事に通じていたらしい。
ここから、陳元康は高氏に食い込んでいきます。
それにしても盛り上がりに欠ける感じですねえ。
全面的に地味。
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