杜弼⑦高澄とキャッキャウフフ@潁川
政治の要諦をうまく切り返しまして
時を同じくして、
ほぼ東魏の領内で孤立しておりました。
その平定のため、
▼
關中遣儀同王思政據潁州、
太尉高岳等攻之。
弼行潁州事、攝行臺左丞。
時大軍在境、調輸多費、
弼均其苦樂、公私兼舉、
大為州民所稱。
關中は儀同の王思政を遣りて潁州に據らしめ、
太尉の高岳等は之を攻む。
弼は行潁州事たりて、行臺左丞を攝る。
時に大軍は境に在りて、調輸に費すこと多し。
弼は其の苦樂を均しくして、公私は兼ねて舉がり、
大いに州民の稱うるところと為る。
▲
58歳の杜弼が
つまり、
占領地行政と軍政トップを兼任し、
老体にムチ打って潁川にGOです。
行臺だの軍府だのは経験豊富、
昔とった
大軍の動員であったにもかかわらず、
現地調達や労役の動員などをこなし、
かつ、
州民に讃えられたというわけですから
相当の手段であると言えましょうなあ。
これが事実であるならかなりスゴイ、
叩き上げ文官の凄味というヤツです。
その一方、
ミョーなコトも巧くなってました。
▼
潁州之平也、世宗曰、
「卿試論王思政所以被擒」。
弼曰、
「思政不察逆順之理、不識大小之形、
不度強弱之勢、有此三蔽、宜其俘獲。」
世宗曰、
「古有逆取順守、大吳困於小越、
弱燕能破強齊。卿之三義、何以自立?」。
弼曰、
「王若順而不大、大而不強、強而不順、於義或偏、得如聖旨。
今既兼備眾勝、鄙言可以還立」。
世宗曰、
「凡欲持論、宜有定指、那得廣包眾理、欲以多端自固?」。
弼曰、
「大王威德、事兼眾美、義博故言博、非義外施言」。
世宗曰、
「若爾、何故周年不下、孤來即拔?」。
弼曰、
「此蓋天意欲顯大王之功」。
潁州の平ぐや、
世宗は曰わく、
「卿は試みに王思政の擒を被る所以を論ぜよ」と。
弼は曰わく、
「思政は逆順の理を察さず、大小の形を識らず、
強弱の勢を度らず、此の三蔽あらば、
宜しく其れ俘獲たるべし」と。
世宗は曰わく、
「古に逆取順守あり、大吳は小越に困しみ、
弱燕は能く強齊を破る。
卿の三義、何ぞ以て自ら立たんや?」と。
弼は曰わく、
「王の若し順にして大ならず、大にして強からず、
強にして順ならざれば、義に或いは偏く、
聖旨の如かるを得ん。
今は既に兼ねて眾勝を備え、鄙言は以て還て立つべし」と。
世宗は曰わく、
「凡そ論を持せんと欲さば、宜しく定指あるべし。
那んぞ廣く眾理を包むを得て、
多端を以て自ら固めんと欲せんや?」。
弼は曰わく、
「大王の威德、事は眾美を兼ね、義の博かるが故に言も博く、
義の外に言を施すにあらざるなり」と。
世宗は曰わく、
「若し爾らば、何故に周年して下らず、孤の來りて即ち拔けるや?」と。
弼は曰わく、
「此れ蓋し天意の大王の功を顯らかにせんと欲すればなり」と。
▲
翌年の武定七年(549)6月に潁川は陥り、
王思政は捕らえられるわけでありますが、
この時、高澄も潁川に出張っております。
そこで、
初めての戦勝にウキウキの高澄、
杜弼をつかまえてこう言います。
「王思政が捕らえられた理由を論じてみよ」
杜弼
「王思政は善悪の理を察しもせず、
国家の大小の形勢を知らず、
軍勢の強弱を測れず、
この三つを知らなければ、
捕らえられるのも当然であります」
高澄
「昔から善悪と攻守は相伴うと限らず、
大国の呉は小さな越に苦しめられ、
弱兵の燕が強兵の齊を破った例もある。
卿の三義は果たして成り立つのか?」
杜弼
「もし王が正しくても大国でなく、
大国であっても兵が強くなく、
兵が強くても正しくなければ、
この戦勝もそれらの例外やも知れません。
今やすべて勝っておられるのです。
愚見が成り立たないとは言えますまい」
高澄
「持論を主張するなら定見がなくてはならぬ。
その主張では論旨があいまいに過ぎ、
どう答えても誤りにならぬではないか」
杜弼
「大王の威德はあらゆる美を兼ねておられ、
意義が広いがゆえに言はあいまいとなり、
決して両天秤にかけてはおりません」
高澄
「そうであるなら、なぜ一年かかっても落ちず、
我が潁川に来てすぐに落城したのか?」
杜弼
「天が大王の勲功を明らかにしたのでしょう」
これはマジ議論しているわけでなく、
高澄と杜弼のキャッキャウフフです。
ひたすら高澄を褒めてます。
イチャついてんじゃねえよ。
杜弼は下積み長かったですからねえ。
世渡り上手にもならざるを得ません。
うまくやったつもりの杜弼ですが、
当の高澄は2ヶ月後には暗殺され、
ガッカリすることになるのでした。
▼
顯祖引為兼長史、加衞將軍。
轉中書令,仍長史。
進爵定陽縣侯、增邑通前五百戶。
弼志在匡贊、知無不為。
顯祖將受魏禪、自晉陽至平城都、
命弼與司空司馬子如馳驛先入、
觀察物情。
踐祚之後、勑命左右箱入栢閤。
以預定策之功、遷驃騎將軍、衞尉卿、
別封長安縣伯。
顯祖は引きて兼長史、加衞將軍と為す。
中書令に轉ずるも、仍お長史たり。
爵定陽縣侯に進み、邑を增して通前五百戶たり。
弼の志は匡贊に在り、知りて為さざるなし。
顯祖は將に魏禪を受けんとし、晉陽より平城都に至るに、
弼と司空の司馬子如に命じ、驛を馳せて先に入り、
物情を觀察せしむ。
踐祚の後、勑にて左右箱に命じて栢閤に入らしむ。
定策に預るの功を以て、驃騎將軍、衞尉卿に遷り、
別に長安縣伯に封ぜらる。
▲
高澄の死後、杜弼は
高洋は高澄の弟、後のアル中皇帝です。
次に
そこでも長史は帯びたまま。
要するに、
高洋の腹心の一人として働いたワケね。
まあ、この頃の高洋は後年と違い、
すこぶるマトモだったわけですし。
働き甲斐があったのか、精力的に動き、
「知りてなさざるなし」と言われます。
これはつまり、
「やるべきことは全部やる」ですよね。
還暦も近いというのに働き者。
いよいよ北齊建国。
高洋が禅譲の実行を決めたのは
鮮卑武人の連中がゴロゴロしています。
実際問題、鮮卑武人の賛成がないと、
コワくて禅譲即位なんてできません。
主導したのは、
杜弼に
支持を取りつけた高洋は晋陽を発して
東魏帝のいる
杜弼を先行させました。
これは、鄴の様子を窺わせるためです。
高洋はこのあたりけっこう小心ですね。
幸い、
東魏帝を奉じて命を賭ける忠臣はおらず、
高洋は無事に禅譲を行うわけであります。
その後につづく謎の一文、
「踐祚の後、勑して左右箱に命じて栢閤に入らしむ」
これはなかなか興味深いですねえ。
『北齊書』平秦王歸彥伝には、
孝昭は將に雲龍門に入らんとし、
都督の成休寧は仗を列し、
拒みて內れず。
歸彥は之を諭し、然る後に入るを得る。
進みて「柏閤」に向かい、永巷も亦た之の如し。
とあります。
位置関係からすると、
宮外─
という順に存在していた。
永巷は女官の宿舎があるところとされますが、
『魏書』道武七王列伝にある京兆王黎の伝に、
(劉)騰は以て具に奏し、肅宗は聞きて之を信じ、
乃ち顯陽殿に御す。
騰は永巷門を閉ざし、靈太后は出ずるを得ず。
とあるように、皇太后を幽閉しておりますから、
北魏末でもやはり後宮と外廷の境みたいですね。
「左右箱」はおそらく「
普通は左右の建物を指すワケでありますが、
建物では文意が通じないのでこれはナシで。
『周書』晉蕩公護伝にオモシロい例があります。
是において二十四軍、及び左右廂の散隸、
及び秦隴巴蜀の兵、諸蕃國の眾二十萬人を徵す。
「
常任のない奴僕を指すものと考えられますね。
この例により、左右廂は建物から転じて
そこに詰める兵士を指すものと解しても
よいものと思われます。
実際、『魏書』侯莫陳悦伝には、
尒朱天光の關西を討つに、
榮は悅を以て天光の右廂大都督と為し、
本官は故の如し。
とあり、「
「
つまり、「左右廂」は「左右衛」とも同義、
そこに属する将兵と考えてよいのでしょう。
「踐祚の後、勑して左右箱に命じて栢閤に入らしむ」に戻りましょう。
高洋が皇帝位に即いたのち、その命令により
左右衛の将兵を永巷のあたりまで進ませた、
というように解せます。
むろん、通常では考えられないことです。
おそらく、高洋の即位の際に不測の事態を
割けるために禁中を制圧したことを指す。
その指揮に杜弼が与ったということですね。
実際、高洋即位の際の論功行賞により、
杜弼は
別封で
先に
別に長安縣伯の爵を受けたわけです。
なかなかの優遇ですね。
この時、杜弼は60歳になっておりました。
以下、名理の論2連発を置いておきます。
▼
嘗與邢卲扈從東山、共論名理。
邢以為人死還生、恐為蛇畫足。
弼答曰、
「蓋謂人死歸無、非有能生之力。
然物之未生、本亦無也、無而能有、
不以為疑。
因前生後、何獨致怪?」。
邢云、
「聖人設教、本由勸獎、故懼以將來、理望各遂其性」。
弼曰、
「聖人合德天地、齊信四時、言則為經、行則為法、
而云以虛示物、以詭勸民、將同魚腹之書、有異鑿楹之誥、
安能使北辰降光、龍宮韞櫝。
就如所論、福果可以鎔鑄性靈、
弘獎風教、為益之大、莫極於斯。
此即真教、何謂非實?」。
邢云、
「死之言『澌』、精神盡也」。
弼曰、
「此所言澌、如射箭盡、手中盡也。
小雅曰『無草不死』、月令又云『靡草死』、
動植雖殊、亦此之類。
無情之卉、尚得還生、含靈之物、何妨再造。
若云草死猶有種在、則復人死亦有識。
識種不見、謂以為無者。
神之在形、亦非自矚、離朱之明不能。
雖蔣濟觀眸、賢愚可察。
鍾生聽曲、山水呈狀。
乃神之工、豈神之質。
猶玉帛之非禮、鍾鼓之非樂、
以此而推、義斯見矣」。
邢云、
「季札言無不之、亦言散盡、
若復聚而為物、不得言無不之也」。
弼曰、
「骨肉下歸於土、魂氣則無不之、
此乃形墜魂遊、往而非盡。
如鳥出巢、如蛇出穴。
由其尚有、故無所不之。
若令無也、之將焉適?
延陵有察微之識、知其不隨於形。
仲尼發習禮之歎、美其斯與形別。
若許以廓然、然則人皆季子。
不謂高論、執此為無」。
邢云、
「神之在人、猶光之在燭、
燭盡則光窮,人死則神滅」。
弼曰、
「舊學前儒、每有斯語、
羣疑眾惑、咸由此起。
蓋辨之者未精、思之者不篤。
竊有末見、可以覈諸。
燭則因質生光、質大光亦大。
人則神不係於形、形小神不小。
故仲尼之智、必不短於長狄。
孟德之雄、乃遠奇於崔琰。
神之於形、亦猶君之有國。
國實君之所統、君非國之所生。
不與同生、孰云俱滅?」。
邢云、
「捨此適彼、生生恒在。
周、孔自應同莊周之鼓缶、
和桑扈之循歌?」。
弼曰、
「共陰而息、尚有將別之悲。
窮轍以遊、亦興中途之歎。
況曰聯體同氣、化為異物、
稱情之服、何害於聖」。
邢云、
「鷹化為鳩、鼠變為鴽、
黃母為鱉、皆是生之類也。
類化而相生、猶光去此燭、
復然彼燭」。
弼曰、
「鷹未化為鳩、鳩則非有。鼠。
既非二有、何可兩立。
光去此燭、得燃彼燭、
神去此形、亦託彼形、
又何惑哉?」。
邢云、
「欲使土化為人、木生眼鼻、
造化神明、不應如此」。
弼曰、
「腐草為螢、老木為蠍、
造化不能、誰其然也?」。
嘗て邢卲と東山に扈從し、共に名理を論ず。
邢は以為えらく、
人の死して生に還るは、恐らくは蛇を為して足を畫くならん、と。
弼は答えて曰わく、
「蓋し人は死して無に歸し、能く生くるの力あるにあらずと謂わん。
然れど物の未だ生ぜざるに、本は亦た無なり。
無にして能くある、以て疑を為さず。
前に因りて後を生ず、何ぞ獨り怪しむを致さんや?」と。
邢は云えらく、
「聖人の教を設くるは、本は勸獎に由る。
故に懼るるに將來を以てし、理に各々其の性を遂げんことを望むなり」と。
弼は曰わく、
「聖人は德を天地に合し、信を四時に齊え、
言わば則ち經と為り、行わば則ち法と為る。
而して云えらく、虛を以て物を示し、詭を以て民に勸むと。
將に魚腹の書に同じく、鑿楹の誥に異なるあり。
安んぞ能く北辰をして光を降し、龍宮をして櫝を韞めしめんや。
就きて論ずるところの如かば、福果は以て性靈を鎔鑄し、
弘く風教を獎むべく、益を為すことの大、斯に極まるなし。
此れ即ち真教、何ぞ實にあらずと謂わんや?」と。
邢は云えらく、
「死を『澌』と言うは、精神の盡くるなり」と。
弼は曰わく、
「此れ言のところの澌は、箭を射て盡くるが如し、手中に盡くるなり。
小雅に曰わく『草の死せざるなし』と。
月令に又た云わく、『靡く草は死す』と。
動植は殊なると雖も、亦た此の類なり。
無情の卉にして尚お還りて生ずるを得る。
含靈の物、何ぞ再造を妨げんや。
若し草の死して猶お種のあるありと云わば、
則ち復た人も死して亦た識あり。
識と種は見れず、以為えらく無しと謂わんや。
神の形あるも、亦た自ら矚るにあらず、
離朱の明にしても能わざるなり。
蔣濟の觀眸と雖も、賢愚は察すべし。
鍾生は曲を聽き、山水は狀を呈す。
乃ち神の工、豈に神の質ならん。
猶お玉帛の禮にあらず、鍾鼓の樂にあらざるがごとし。
此れを以て推さば、義は斯に見れん」と。
邢は云えらく、
「季札は之かざるなしと言い、亦た散盡すと言う。
若し復た聚りて物を為さば、之かざるなしと言うを得ざるなり」と。
弼は曰わく、
「骨肉は下りて土に歸し、魂氣は則ち之かざるなし。
此れ乃ち形は墜ちて魂は遊び、往きて盡きざるなり。
鳥の巢を出るが如く、蛇の穴を出るが如し。
其れ尚おあるに由り、故に之かざるところなし。
若し無からしめるや、之きて將に焉に適わん?
延陵は察微の識あり、其の形に隨わざるを知る。
仲尼は習禮の歎を發し、美は其れ斯く形と別つ。
若し許すに廓然を以てせば、然らば則ち人は皆な季子なり。
高論するも、此を執りて無しと為すを謂わざるなり」と。
邢は云えらく、
「神の人に在るは、猶お光の燭に在るがごとく、
燭の盡くれば則ち光は窮し、人の死すれば則ち神は滅さん」と。
弼は曰わく、
「舊學前儒、每に斯の語あり、
羣疑眾惑、咸な此れに由りて起つ。
蓋し之を辨ずるものは未だ精ならず、
之を思う者は篤からざるなり。
竊かに末見あり、以て諸を覈すべし。
燭は則ち質に因りて光を生じ、
質の大なれば光も亦た大なり。
人は則ち神は形に係らず、
形の小なるも神は小ならず。
故に仲尼の智は、必ずしも長狄より短ならず。
孟德の雄は、乃ち遠く崔琰より奇なり。
神の形においてや、亦た猶お君の國を有つがごとし。
國は實に君の統ぶるところ、君は國の生むところにあらず。
與に生を同じうせず、孰んぞ俱に滅ぶと云わんや?」と。
邢は云えらく、
「此を捨て彼に適う、生生に恒に在らん。
周、孔は自ら應に莊周の鼓缶と同じく、
桑扈の循歌と和さんや?」と。
弼は曰わく、
「共に陰にして息み、尚お將に別れんとするの悲あり。
窮轍にして以て遊び、亦た中途の歎を興さん。
況んや曰わく、體を聯ねて氣を同じうし、化して異物と為る、
稱情の服、何ぞ聖を害さんや」と。
邢は云えらく、
「鷹は化して鳩と為り、鼠は變じて鴽と為る、
黃母は鱉と為り、皆な是れ生の類なり。
類は化して相い生じ、猶お光の此の燭を去り、
復た彼の燭に然ゆるがごとし」と。
弼は曰わく、
「鷹は未だ化して鳩と為らずんば、鳩は則ち有るにあらず。
鼠は(未だ變じて鴽と為らずんば、鴽は則ち有るにあらず)
既にして二つながらあるにあらず、何ぞ兩立すべけんや。
光は此燭の去り、彼の燭に燃ゆるを得る。
神は此の形を去り、亦た彼の形に託す。
又た何ぞ惑わんや?」と。
邢は云えらく、
「土をして化して人と為さんと欲さば、
木に眼鼻を生じ、造化の神明は、應に此の如からざらん」と。
弼は曰わく、
「腐草の螢と為り、老木の蠍と為る、
造化する能わざれば、誰ぞ其れ然らんや?」と。
▲
▼
其後別與邢書云、
「夫建言明理、宜出典證、
而違孔背釋、獨為君子。
若不師聖、物各有心、
馬首欲東、誰其能禦。
奚取於適衷、何貴於得一。
逸韻雖高、管見未喻」。
前後往復再三、邢卲理屈而止、
文多不載。
其の後、別に邢に書を與えて云えらく、
「夫れ明理を建言するに、宜しく典證を出すべし、
而して孔に違い釋に背くも、獨り君子たり。
若し聖を師とせずんば、物に各々心あり、
馬首の東せんと欲するに、誰ぞ其れ能く禦がん。
奚んぞ適衷に取り、何ぞ得一に貴からん。
逸韻は高しと雖も、管見するに未だ喻らざるなり」と。
前後に往復すること再三、邢卲の理屈して止む。
文は多く載せず。
▲
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