杜弼⑥文官肌の高澄とは好相性?

さて、

高歓こうかんに信任された杜弼とひつ

高歓の第四子の高淹こうえん并州刺史へいしゅうししとなり、

その驃騎将軍府ひょうきしょうぐんふ長史ちょうしも兼任させられます。


兼任、東魏もブラック企業やな。




平陽公淹為并州刺史、

高祖又命弼帶并州驃騎府長史。


平陽公の淹の并州刺史と為るに、

高祖は又た弼に命じて并州驃騎府長史を帶びせしむ。



高歓のいる晋陽しんようも并州ですからね。

高淹に統治経験を積ませたかった、

のかも知れません。


そのお目付け役とされたわけです。

残念ながら時期は不明。


この後にまたクソ長い名理の論です。

これも省略、末尾にくっつけてます。




武定中、遷衞尉卿。

會梁遣貞陽侯淵明等入寇彭城、

大都督高岳、行臺慕容紹宗率諸軍討之、

詔弼為軍司、攝行臺左丞。

臨發、世宗賜胡馬一匹、

語弼曰、

「此廄中第二馬、孤恒自乘騎、

今方遠別、聊以為贈」。

又令陳政務之要可為鑒戒者、

錄一兩條。

弼請口陳曰、

「天下大務、莫過賞罰二論、

賞一人使天下人喜、

罰一人使天下人服。

但能二事得中、自然盡美」。

世宗大悅曰、

「言雖不多、於理甚要」。

握手而別。

破蕭明於寒山、別與領軍潘樂攻拔梁潼州、

仍與岳等撫軍恤民、合境傾賴。


武定中、衞尉卿に遷る。

會々梁は貞陽侯の淵明等を遣りて彭城に入寇せしめ、

大都督の高岳、行臺の慕容紹宗の諸軍を率て之を討つに、

弼に詔して軍司と為し、行臺左丞を攝らしむ。

發するに臨み、世宗は胡馬一匹を賜い、

弼に語りて曰わく、

「此れは廄中第二の馬、孤は恒に自ら乘騎す。

今、方に遠別するに、聊か以て贈と為さん」と。

又た政務の要の鑒戒を為すべきを陳べ、

一兩條を錄さしむ。

弼は口陳を請いて曰わく、

「天下の大務、賞罰の二論を過ぐるなく、

 一人を賞して天下の人を喜ばしめ、

 一人を罰して天下の人を服さしむ。

 但だ能く二事に中るを得れば、

 自然に美を盡くさん」と。

世宗は大いに悅びて曰わく、

「言は多からずと雖も、理に甚だ要なり」と。

手を握りて別る。

蕭明を寒山に破り、別に領軍の潘樂と攻めて梁の潼州を拔き、

仍りて岳等と軍を撫して民を恤れみ、合境は傾賴せり。



武定ぶてい年間(543~550)の間には衞尉卿えいいけいとなります。


その次に蕭淵明しょうえんめいによる彭城ほうじょう攻めが来ますが、

これは武定5年(547)夏から秋のことです。


杜弼57歳です。


この年の春には高歓が世を去っており、

高澄こうちょうがその跡を継いでおりましてな。


当然のようにみんな大好き宇宙大将軍うちゅうだいしょうぐんによる

謀反が起こり、その絡みでの戦なのですよね。


高歓の従弟の高岳こうがく慕容紹宗ぼようしょうそうコンビが出征、

杜弼は軍司ぐんし行臺左丞こうだいさじょうを兼任する感じです。


見送りに出た高澄は愛馬を杜弼に贈り、

「政治で大切なことを言っておけ」

というムチャ振りをおこないます。


杜弼

「政治の要は賞罰です。

 1人を賞して天下が喜び、

 1人を罰して天下が服す。

 それが理想というもの。

 賞罰が正しく行われれば、

 統治には失敗しません」

高澄

「短いが政治の要諦を突いておる」


そう言うと、高澄は杜弼の手を握り、

お別れしたのでありました。


以下は省略した名理の論とこの後に続く

仏教絡みのお話をのっけておりますけど。


お好きな方だけどうぞ。




弼性好名理、探味玄宗、

自在軍旅、帶經從役。

注老子道德經二卷、表上之曰、

「臣聞乘風理弋、追逸羽於高雲。

臨波命鈎、引沉鱗於大壑。

苟得其道、為工其事、

在物既爾、理亦固然。

竊惟道、德二經、闡明幽極、

旨冥動寂、用周凡聖。

論行也、清淨柔弱。

語迹也、成功致治。

實眾流之江海、乃羣藝之本根。

臣少覽經書、偏所篤好、

雖從役軍府、而不捨遊息。

鑽味既久、斐斖如有所見、

比之前注、微謂異於舊說。

情發於中而彰諸外、

輕以管窺、遂成穿鑿。

無取於遊刃、有慚於運斤、

不足破秋毫之論、

何以解連環之結。

本欲止於門內、貽厥童蒙、

兼以近資愚鄙、私備忘闕。

不悟姑射凝神、汾陽流照、

蓋高之聽卑、邇言在察。

春末奉旨、猥蒙垂誘、

令上所注老子、謹冒封呈、

並序如別」。

詔答云、

「李君遊神冥窅、獨觀恍惚、

玄同造化、宗極羣有。

從中被外、周應可以裁成。

自己及物、運行可以資用。

隆家寧國、義屬斯文。

卿才思優洽、業尚通遠、

息棲儒門、馳騁玄肆、

既啟專家之學、且暢釋老之言。

戶列門張、途通徑達、

理事兼申、能用俱表、

彼賢所未悟、遺老所未聞、

旨極精微、言窮深妙。

朕有味二經、倦於舊說、

歷覽新注、所得已多、

嘉尚之來、良非一緒。

已勑殺青編、藏之延閣」。

又上一本於高祖、一本於世宗。


弼は性に名理を好み、玄宗を探味す。

自ずから軍旅にあって、經を帶びて役に從う。

老子道德經二卷に注し、表して之を上りて曰わく、

「臣の聞くならく、風に乘じて理は弋び、

追うも羽を高雲に逸し、

波に臨みて鈎を命じ、沉鱗を大壑に引く、と。

苟し其の道を得れば、為に其の事に工み、

物に在りて既に爾らば、理は亦た固より然り。

竊かに惟うに道、德二經は、幽極を闡明し、

旨は冥にして動は寂、用て凡聖に周し。

行を論ずるや、清淨柔弱なり。

迹を語るや、功を成して治を致さん。

實に眾流の江海に之き、乃ち羣藝の根を本とするなり。

臣は少くして經書を覽て、偏く篤く好むところ、

軍府に從役すると雖も、而して遊息を捨てず。

鑽味すること既に久し、斐斖に見るところあるが如く、

之を前注に比するに、微かに異を舊說に謂う。

情は中に發して諸を外に彰し、

輕がろしく管窺を以て、遂に穿鑿を成す。

遊刃に取るなく、運斤に慚ずるあり、

秋毫の論を破るに足らず、

何ぞ以て連環の結を解かん。

本より門內に止めて厥の童蒙に貽さんと欲するも、

兼ねて近く愚鄙に資するを以て、私に忘闕に備えん。

姑射の神を凝らし、汾陽に流照するを悟らず、

蓋し之を高くして卑きを聽き、邇言は察に在り。

春末に旨を奉じ、猥りに垂誘を蒙り、

注するところの老子を上らしむ、

謹みて封呈を冒さしめ、

並びに序に別たるが如し」と。

詔して答えて云えらく、

「李君は遊神冥窅、獨り恍惚を觀て、

玄は造化に同じく、宗は羣有を極む。

中より外に被り、周ねく應に可以て裁成すべし。

己より物に及び、運行して以て資用しべし。

隆家寧國、義は斯文に屬く。

卿の才思は優洽、業は尚お通遠、

儒門に息棲し、玄肆に馳騁し、

既にして專家の學を啟き、且つ釋老の言を暢ぶ。

戶は列し門は張り、途通は徑達し、

理事は兼ね申べ、能く用て俱に表す。

彼の賢の未だ悟らざるところ、遺老の未だ聞かざるところ、

旨は精微を極め、言は深妙を窮む。

朕は二經を味わいて舊說に倦むあり、

新注を歷覽するに、得るところは已に多し。

嘉尚の來るに、良非は緒を一にす。

已に勑して青編を殺し、之を延閣に藏せしめよ」と。

又た一本を高祖に、一本を世宗に上る。




六年四月八日、

魏帝集名僧於顯陽殿講說佛理、

弼與吏部尚書楊愔、中書令邢卲、

祕書監魏收等並侍法筵。

勑弼昇師子座、當眾敷演。

昭玄都僧達及僧道順並緇林之英、

問難鋒至、往復數十番、莫有能屈。

帝曰、

「此賢若生孔門、則何如也?」。


六年四月八日、

魏帝は名僧を顯陽殿に集めて佛理を講說せしめ、

弼は吏部尚書の楊愔、中書令の邢卲、

祕書監の魏收らと並びに法筵に侍る。

弼に勑して師子座に昇り、眾に當りて敷演せしむ。

昭玄都の僧達、及び僧道順は並びに緇林の英、

問難の鋒は至りて、往復すること數十番、

有能く屈するあるなし。

帝は曰わく、

「此の賢の若し孔門に生まるれば、則ち何如せんや?」と。


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