杜弼③ブッ飛びメチャ左遷。

地味ーな感じで来た杜弼とひつですが、

徐々に時代の真ん中に近づきます。


とはいえ、

一筋縄ではいかないのですけども。




普泰中、

吏曹下訪守令尤異、

弼已代還、

東萊太守王昕以弼應訪。


普泰中、

吏曹は下りて守令を訪ねて異を尤め、

弼は已に代還するに、

東萊太守の王昕は弼を以て應に訪ぬべしとせり。



時は普泰ふたい元年(531)に入ります。


この頃には爾朱じしゅ兵団へいだんの活躍により

六鎮ろくちんらんは平定されています。


ついでに棟梁の爾朱榮じしゅえいもこの世から退場済み。


爾朱兵団は一族の爾朱兆じしゅちょうが率いています。

これは単なる脳筋に過ぎないのですけど。


朝廷はようやく体裁を繕えるようになり、

吏部りぶは地方官の考課なんぞを始めました。


この時、

杜弼は任期を終えていたクサイ。


どこにいたかは不明。


東萊郡守とうらいぐんしゅは毎度おなじみの王昕おうきんこと王元景おうげんけい

苻秦の王猛の九世孫。

オマエ、ホントどこにでも出てくるよなあ。


吏部の官僚の訪問を受けた王昕さん、

なぜか「杜弼の話を聞くといいよ」

などとのたまってしまいます。


これは要するに、

「今は安定しているけどそれは杜弼の手柄だよ」

という杜弼推しなわけでありますね。


任務に忠実な杜弼は高く評価されていたのでしょう。




弼父在鄉、為賊所害、弼行喪六年。

以常調除御史、加前將軍、太中大夫、領內正字。

臺中彈奏、皆弼所為。

諸御史出使所上文簿、委弼覆察、

然後施行。


弼の父は鄉に在りて賊の害するところと為り、

弼は喪を行うこと六年たり。

常調を以て御史に除せられ、

前將軍、太中大夫を加えられ、內正字を領せり。

臺中の彈奏、皆な弼の為すところなり。

諸々の御史の出使して上るところの文簿は、

弼に覆察を委ね、然る後に施行せり。



無官となった杜弼ですが、

お家に不幸がありました。


おそらく六鎮の乱の余波で

父親が殺されてしまいます。


六年ほど喪に服した後、

御史ぎょしに任命されました。


普泰元年(531)から六年とすると

東魏の天平てんへい4年(537)になります。


諸事情よりこれはないので、

杜弼の喪に服した期間は

建明けんめい元年(530)から六年、

天平四年(536)まででしょう。


喪が明けてからは御史臺ぎょしだいに入り、

弾劾を取りしきるなど活躍します。


しかし、

それも長くはつづかないのですね。




遷中軍將軍、北豫州驃騎大將軍府司馬。

未之官、儀同竇泰總戎西伐、

詔弼為泰監軍。

及泰失利自殺、

弼與其徒六人走還陝州、

刺史劉貴鎖送晉陽。

高祖詰之曰、

「竇中尉此行、

吾前具有法用、

乃違吾語、自取敗亡。

爾何由不一言諫爭也?」。

弼對曰、

「刀筆小生、唯文墨薄技、

便宜之事、議所不及」。

高祖益怒。

賴房謨諫而獲免。

左遷下灌鎮司馬。


中軍將軍、北豫州驃騎大將軍府司馬に遷る。

未だ官に之かざるに、儀同の竇泰は西伐を總戎し、

弼に詔して泰の監軍と為らしむ。

泰の利を失いて自殺するに及び、

弼は其の徒の六人と走りて陝州に還り、

刺史の劉貴は鎖して晉陽に送る。

高祖は之を詰りて曰わく、

「竇中尉の此の行、

吾は前に具に法の用うるあるも、

乃ち吾が語に違い、自ら敗亡を取る。

爾は何ぞ由りて一言の諫爭せざるや?」と。

弼は對えて曰わく、

「刀筆の小生は唯だ文墨の薄技あり、

便宜の事は議の及ばざるところなり」と。

高祖は益々怒る。

房謨の諫めに賴りて免るを獲る。

下灌鎮の司馬に左遷さる。



天平3年(537)正月、

杜弼のキャリアにガッツリ

傷がつく事件が発生します。


前年末から東魏は大規模な軍事行動を開始、

関中に逼塞する西魏の息の根をとめるべく

高歓こうかん高敖曹こうごうそう竇泰とうたいの三軍が出撃します。


杜弼は竇泰の監軍かんぐんとして従軍するも、

竇泰は潼関どうかんで自殺して終わります。


宇文泰うぶんたいに読まれていたのでありました。


杜弼は軍を捨てて六人の従者とともに

東の陝州せんしゅうに逃げ込みましたものの、

そこの刺史は劉貴りゅうきという人でした。


この人は遊牧民族至上主義者でして、

「漢人の命?なにそれおいしいの?」

というエクストリームな考えの持ち主。


「竇泰が死んでオマエら何で生きてんの?」

というわけで杜弼さん&六名のおまけたちは

鎖につながれて高歓がいる晋陽しんようにドナドナ。


当然のようにブチ切れの高歓とご対面です。


「竇泰はワシの作戦を無視して死んだワケだが、

オマエらはなんで諫言もせずにおったわけよ?」


どう見ても責任転嫁です。

本当にありがとうございました。


そう言いたいキモチはヤマヤマでありますが、

杜弼はすでにアラフィフ世代のオトナですし。


「我々のような文官は帳簿を扱うだけの身、

臨機応変の機略は任務の外でございましてな」


キッチリ言い逃れをしてみせますが、

当然のように激オコ高歓には火に油。


マジ切れされてしまいます。


この時、

丞相じょうしょう右長史ゆうちょうし兼大行臺左丞けんだいこうだいさじょうという重職で

高歓の下で行政を取りしきる房謨ぼうばくという

人がありました。


この人も元は屋引おくいん姓でありまして

古くから拓跋部たくばつぶに従った夷狄いてきです。


かなり漢人化していたようですが。


この人が高歓を諫めたので、

下灌鎮かかんちんの司馬に左遷となりました。


下灌鎮の場所は不明ですが、

『晋書』に「濟北國の蛇丘に下灌亭がある」

と記されておりますので、

濟州さいしゅう東濟北郡とうさいほくぐん蛇丘だきゅうのあたりかもですね。


この鎮は武川鎮ぶせんちんのような州レベルではなく、

縣の下につく小規模軍事拠点みたいですよ。


つまり、ごっつい左遷されたわけです。

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