杜弼②鳴かず飛ばず生存中。
ご機嫌の
▼
延昌中、以軍功起家、
除廣武將軍、恒州征虜府墨曹參軍、
典管記。
弼長於筆札、
每為時輩所推。
延昌中、軍功を以て起家し、
廣武將軍、恒州征虜府墨曹參軍に除せられ、
管記を典る。
弼は筆札に長じ、
每に時輩の推すところと為る。
▲
杜弼の任官経緯を見るに、
軍功によると分かります。
つまり、
名門漢人にありがちな
郡縣からのスカウトではない。
杜弼は22~25歳ですねえ。
名門漢人は20歳にならない頃に
初任官している例が多いです。
この事実より推して、
杜弼は志願か徴発により従軍し、
そこでの軍功により官に就いた。
そういう経緯が読み取られます。
授けられた軍号は
官位は
征虜府=征虜将軍の軍府ですね。
しかし、
定州ではなく恒州の征虜府なあ。
『魏書』景穆十二王伝に含まれる
宣武の親政するに肆州刺史に除せらる。
匡は既にして(茹)皓に忤い、
所害するところと為るを懼れ、
廉慎して自ら修め、甚だ聲績あり。
恒州刺史に遷り、
徵されて大宗正卿、河南邑中正と為る。
と元匡が恒州刺史になった記録があります。
同じく『魏書』景穆十二王伝の元澄伝には、
封回は鎮遠、安州より入りて太尉長史と為り、
元匡は征虜 、恒州より入して宗卿と作る。
二人の遷授は並びに先詔に在り。
とありますので、
元匡は征虜将軍 、恒州刺史から
移っていることはまあ確定ということです。
つまり、
杜弼が仕えた征虜将軍は元匡。
ここでようやく、
能吏として知られるようになります。
ついでに、元匡は洛陽に召喚されている。
この時、
墨曹參軍の杜弼もセットで洛陽に召喚された、
と考えておくのがまあよいかと推測します。
ただ、時期が特定できないのですけどね。
▼
孝昌初、除太學博士、
帶廣陽王驃騎府法曹行參軍、行臺度支郎中。
孝昌の初め、太學博士に除せられ、
廣陽王の驃騎府法曹行參軍、行臺度支郎中を帶ぶ。
▲
そこからエライこと空白があり、
次の記事は孝昌2年(526年)、
六鎮の乱の真っただ中の時期です。
杜弼は36歳になっておりました。
かつ
廣陽王は
孝昌2年5月、
驃騎大將軍、
同月中に
平定に遣わされております。
杜弼もそれに同行したのでしょう。
先に、征虜府の墨曹參軍の際に
元匡の宗正卿への転任とともに
杜弼も洛陽に遷ったと見ました。
あの時に定州に帰郷しているなら、
こういう任官はおそらくないはず。
その後、軍府の参軍の官を歴任し、
その実績からの任用だと考えます。
ただ、この出征は軍内に信頼を欠き、
朝廷からも猜疑の目で見られており、
鮮于脩禮を殺して自立した
廣陽王の元淵を捕らえて殺害します。
つまり、官兵はタコ負けしたのです。
▼
還、除光州曲城令。
為政清靜、務盡仁恕、
詞訟止息、遠近稱之。
還りて、光州の曲城令に除せらる。
為政は清靜、務めて仁恕を盡くし、
詞訟は止息し、遠近は之を稱う。
▲
しぶとく逃げ戻った杜弼、
光州は山東半島、
曲城縣は
ここで統治によろしきを得て、
杜弼はようやく一息つきます。
六鎮の乱の最中で山東も大混乱ですけど、
軍府に所属して転戦しまくりに比べれば、
縣令の方がまだしもというものでしょう。
▼
時天下多難、盜賊充斥,
徵召兵役、塗多亡叛。
朝廷患之。
乃令兵人所齎戎具,
道別車載、
又令縣令自送軍所。
時に天下多難にして盜賊は充斥し、
兵役を徵召するも塗に亡叛するもの多し。
朝廷は之に患う。
乃ち兵人の齎すところの戎具をして、
道別ちて車に載せしめ、
又た縣令をして自ら軍所に送らしむ。
▲
六鎮の乱の最中だけに、治安は最低。
民を徴発して兵にしようとしても、
戦地に向かう際に逃亡者が多数です。
そりゃそうだよなあ。
なもんで、
徴発した兵には武器は持たせず、
徒手で戦地に向かわせることにします。
兵は縣令が自ら率いて戦地に向かう、と。
メチャクチャですね。
▼
時光州發兵、
弼送所部達北海郡、
州兵一時散亡、
唯弼所送不動。
他境叛兵、並來攻劫、
欲與同去。
弼率所領親兵格鬭、
終莫肯從、
遂得俱達軍所。
軍司崔鍾以狀上聞。
其得人心如此。
時に光州に兵を發し、
弼は部するところを送りて北海郡に達せり。
州兵は一時に散亡し、
唯だ弼の送るところのみ動かず。
他境の叛兵は、並びに來りて攻劫し、
同に去らんと欲す。
弼は領するところの親兵を率いて格鬭し、
終に從うを肯んじるなく、
遂に俱に軍所に達するを得る。
軍司の崔鍾は狀を以て上聞せり。
其の人心を得ること此の如し。
▲
メチャクチャでもやらねばならない宮仕え。
杜弼も兵を率いて
北海郡は
光州から送られた兵がここで逃げ出しました。
妥当な判断です。
ただ、杜弼が率いる曲城縣の兵だけは、
逃亡する者がありません。
バカなの?死ぬの?
アタマがパーになった曲城縣の兵を見て、
他縣の兵が助けに参ります。
「このまま行ったら死ぬってば」
任務を確実に果たしたい杜弼は
側近を率いて他縣の兵を撃退してしまい、
ついに戦地まで兵を連れていったのです。
当然のように杜弼は高く評価され、
史書は「杜弼は兵に信頼されていた」
と書きますけどけっこうアレですよね。
なお、
史書は曲城縣の兵がどうなったかは、
黙して決して語らないのであります。
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