杜弼②鳴かず飛ばず生存中。

定州ていしゅうで勉強しつつ一部で名を知られるようになり、

ご機嫌の杜弼とひつですが、その後を見ていきます。



延昌中、以軍功起家、

除廣武將軍、恒州征虜府墨曹參軍、

典管記。

弼長於筆札、

每為時輩所推。


延昌中、軍功を以て起家し、

廣武將軍、恒州征虜府墨曹參軍に除せられ、

管記を典る。

弼は筆札に長じ、

每に時輩の推すところと為る。



杜弼の任官経緯を見るに、

軍功によると分かります。


つまり、

名門漢人にありがちな辟召へきしょう

郡縣からのスカウトではない。


延昌えんしょうは512~515年なので、

杜弼は22~25歳ですねえ。


名門漢人は20歳にならない頃に

初任官している例が多いです。


この事実より推して、

杜弼は志願か徴発により従軍し、

そこでの軍功により官に就いた。


そういう経緯が読み取られます。


授けられた軍号は廣武將軍こうぶしょうぐん

官位は恒州こうしゅう征虜府せいりょふ墨曹參軍ぼくそうさんぐん


征虜府=征虜将軍の軍府ですね。

しかし、

定州ではなく恒州の征虜府なあ。


『魏書』景穆十二王伝に含まれる元匡げんきょう伝では、


宣武の親政するに肆州刺史に除せらる。

匡は既にして(茹)皓に忤い、

所害するところと為るを懼れ、

廉慎して自ら修め、甚だ聲績あり。

恒州刺史に遷り、

徵されて大宗正卿、河南邑中正と為る。


と元匡が恒州刺史になった記録があります。


同じく『魏書』景穆十二王伝の元澄伝には、


封回は鎮遠、安州より入りて太尉長史と為り、

元匡は征虜 、恒州より入して宗卿と作る。

二人の遷授は並びに先詔に在り。


とありますので、

元匡は征虜将軍 、恒州刺史から大宗正卿だいそうせいけい

移っていることはまあ確定ということです。


つまり、

杜弼が仕えた征虜将軍は元匡。

ここでようやく、

能吏として知られるようになります。


ついでに、元匡は洛陽に召喚されている。


この時、

墨曹參軍の杜弼もセットで洛陽に召喚された、

と考えておくのがまあよいかと推測します。


ただ、時期が特定できないのですけどね。




孝昌初、除太學博士、

帶廣陽王驃騎府法曹行參軍、行臺度支郎中。


孝昌の初め、太學博士に除せられ、

廣陽王の驃騎府法曹行參軍、行臺度支郎中を帶ぶ。



そこからエライこと空白があり、

次の記事は孝昌2年(526年)、

六鎮の乱の真っただ中の時期です。


杜弼は36歳になっておりました。


廣陽王こうようおう驃騎府ひょうきふ法曹行參軍ほうそうこうさんぐん

かつ行臺こうだい度支郎中たくしろうちゅうを帯びて

太學博士たいがくはくしに任じられてます。


廣陽王は元淵げんえんという人ですね。

孝昌2年5月、

驃騎大將軍、儀同三司ぎどうさんしに任じられ

同月中に大都督だいととくとして鮮于脩禮せんうしゅうれい

平定に遣わされております。


杜弼もそれに同行したのでしょう。


先に、征虜府の墨曹參軍の際に

元匡の宗正卿への転任とともに

杜弼も洛陽に遷ったと見ました。


あの時に定州に帰郷しているなら、

こういう任官はおそらくないはず。


その後、軍府の参軍の官を歴任し、

その実績からの任用だと考えます。


ただ、この出征は軍内に信頼を欠き、

朝廷からも猜疑の目で見られており、

鮮于脩禮を殺して自立した葛榮かつえい

廣陽王の元淵を捕らえて殺害します。


つまり、官兵はタコ負けしたのです。




還、除光州曲城令。

為政清靜、務盡仁恕、

詞訟止息、遠近稱之。


還りて、光州の曲城令に除せらる。

為政は清靜、務めて仁恕を盡くし、

詞訟は止息し、遠近は之を稱う。



しぶとく逃げ戻った杜弼、

光州こうしゅう曲城縣令きょうじょうけんれいになります。


光州は山東半島、

曲城縣は東萊郡とうらいぐんに属します。


ここで統治によろしきを得て、

杜弼はようやく一息つきます。


六鎮の乱の最中で山東も大混乱ですけど、

軍府に所属して転戦しまくりに比べれば、

縣令の方がまだしもというものでしょう。




時天下多難、盜賊充斥,

徵召兵役、塗多亡叛。

朝廷患之。

乃令兵人所齎戎具,

道別車載、

又令縣令自送軍所。


時に天下多難にして盜賊は充斥し、

兵役を徵召するも塗に亡叛するもの多し。

朝廷は之に患う。

乃ち兵人の齎すところの戎具をして、

道別ちて車に載せしめ、

又た縣令をして自ら軍所に送らしむ。



六鎮の乱の最中だけに、治安は最低。


民を徴発して兵にしようとしても、

戦地に向かう際に逃亡者が多数です。


そりゃそうだよなあ。


なもんで、

徴発した兵には武器は持たせず、

徒手で戦地に向かわせることにします。


兵は縣令が自ら率いて戦地に向かう、と。


メチャクチャですね。




時光州發兵、

弼送所部達北海郡、

州兵一時散亡、

唯弼所送不動。

他境叛兵、並來攻劫、

欲與同去。

弼率所領親兵格鬭、

終莫肯從、

遂得俱達軍所。

軍司崔鍾以狀上聞。

其得人心如此。


時に光州に兵を發し、

弼は部するところを送りて北海郡に達せり。

州兵は一時に散亡し、

唯だ弼の送るところのみ動かず。

他境の叛兵は、並びに來りて攻劫し、

同に去らんと欲す。

弼は領するところの親兵を率いて格鬭し、

終に從うを肯んじるなく、

遂に俱に軍所に達するを得る。

軍司の崔鍾は狀を以て上聞せり。

其の人心を得ること此の如し。



メチャクチャでもやらねばならない宮仕え。


杜弼も兵を率いて北海郡ほっかいぐんに向かいます。

北海郡は青州せいしゅうにありますのでお隣です。


光州から送られた兵がここで逃げ出しました。

妥当な判断です。


ただ、杜弼が率いる曲城縣の兵だけは、

逃亡する者がありません。


バカなの?死ぬの?


アタマがパーになった曲城縣の兵を見て、

他縣の兵が助けに参ります。

「このまま行ったら死ぬってば」


任務を確実に果たしたい杜弼は

側近を率いて他縣の兵を撃退してしまい、

ついに戦地まで兵を連れていったのです。


当然のように杜弼は高く評価され、

史書は「杜弼は兵に信頼されていた」

と書きますけどけっこうアレですよね。


なお、

史書は曲城縣の兵がどうなったかは、

黙して決して語らないのであります。

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