孫搴②小物文官からチラ見する東魏・北齊の病。

チャチャッと終わらそうと思ったのに、

2話目にまで引っ張ってしまいました。


情報量が少ないので周辺情報の確認に

案外時間を使ってしまった感あります。


ちっ、

小物のクセに!


さて、

高歓の信任を得た孫搴、

早速いらんことを開始いたします。


お相手は慕容紹宗ぼようしょうそう


かの宇宙大将軍うちゅうだいしょうぐんこと侯景こうけいを南に放逐した

東魏の名将の一人であると言えましょう。


ただ、

この頃は高歓に警戒されて不遇、

知らないってコワイことですね。




『北齊書』慕容紹宗伝

天平初、遷都鄴、庶事未周。

乃令紹宗與高隆之共知府庫圖籍諸事。

二年、宜陽民李延孫聚眾反、

乃以紹宗為西南道軍司、

率都督厙狄安盛等討破之。

軍還、行揚州刺史、

尋行青州刺史。

丞相府記室孫搴

屬紹宗以兄為州主簿、

紹宗不用。

搴譖之於高祖云、

「慕容紹宗嘗登廣固城長歎、

謂其所親云

『大丈夫有復先業理不』」。

由是徵還。


天平の初め、

鄴に遷都して庶事は未だ周ねからず。

乃ち紹宗と高隆之をして

共に府庫、圖籍の諸事を知せしむ。

二年、宜陽の民、李延孫は眾を聚めて反し、

乃ち紹宗を以て西南道軍司と為し、

都督の厙狄安盛等を率いて討ちて之を破らしむ。

軍は還り、行揚州刺史となり、

尋いで行青州刺史となる。

丞相府の記室の孫搴は

紹宗に兄を以て州主簿と為さんことを屬するも、

紹宗は用いず。

搴は之を高祖に譖りて云えらく、

「慕容紹宗は嘗て廣固城に登りて長歎し、

其の親しきところに謂いて云わく、

『大丈夫は復た先業の理むるあるやいなや』と」と。

是によりて徵還さる。



いやあ、ホントにクソですね。

まずは時期を推測しましょう。


この記事を見るに、

慕容紹宗ぼようしょうそうは天平二年に出征しており、

この戦はそれほど長期化しないので

翌年には帰還していると思うのです。


天平二年以降に揚州刺史ようしゅうししに仮任命、と。

揚州刺史ねえ、、、たぶん壽春じゅしゅんかなあ。


北齊の揚州刺史についての記事は、

蔡儁さいしゅんという人が天平三年の秋に州で卒した

という記事があるのでこれが前任者ですね。


高歓の古馴染みである蔡儁よりも先に

爾朱氏じしゅしから降った慕容紹宗を

揚州刺史に任命する道理がないし。


そうなると、

上の行揚州刺史こうようしゅうししは天平三年秋のこと、

孫搴が絡んだのはさらにその後、と。


行揚州刺史から行青州刺史こうせいしゅうししまでは

それほど間がないと見ていいかも。


揚州が壽春だとすると南朝梁との最前線です。


高歓としては腹心を置きたいと考えるはずで、

慕容紹宗は爾朱氏の姻戚なので腹心ではない。


つなぎでしょうね。


んで、揚州刺史を選任した後、

能力もあるみたいだし青州刺史にしてみっか、

という経緯で行青州刺史の任用だと思うのよ。


そうなると、

孫搴の慕容紹宗へのウザ絡みは三年末から

翌年初めのことと推測されるわけですわね。


その時の孫搴の官位は丞相府じょうしょうふ記室きしつ

高歓の丞相府の文書係ってわけで、

さらに讒言まで行っておりますね。


これより推して、

孫搴は高歓から一定の信任を得ている。


ついでに、

孫搴の本貫地である青州には

一族が居住して兄も残ってた。


慕容紹宗は孫搴の要求をキッパリ拒否し、

讒言にあって青州から召喚されています。


残当。


慕容紹宗は爾朱氏に尽忠した

硬骨の人でもあるんですよね。


しかしなんつーか、

東魏の人たちって一族の利益を追求するよな。


武人だけでなくて文官までけっこう欲深い。

蘇綽そしゃくさんを読んだ後だけにギャップ大きい。




世宗初欲之鄴、總知朝政、

高祖以其年少、未許。

搴為致言、乃果行。

恃此自乞特進、世宗但加散騎常侍。

時又大括燕、恒、雲、朔、顯、蔚、二夏州、高平、平涼之民

以為軍士、

逃隱者身及主人、三長、守令罪以大辟、

沒入其家。

於是所獲甚眾、搴之計也。


世宗は初めて鄴に之き、朝政を總知せんと欲するも、

高祖は其の年少なるを以て、未だ許さず。

搴は為に言を致し、乃ち果たして行く。

此れを恃みて自ら特進を乞うも、世宗は但だ散騎常侍を加う。

時に又た大いに燕、恒、雲、朔、顯、蔚、二夏州、高平、平涼の民を括し、

以て軍士と為す。

逃隱せば身、及び主人、三長、守令は罪するに大辟を以てし、

其の家を沒入す。

是において獲るところ甚だ眾し。搴の計なり。



ここは高歓の長子、

世祖せいそ文襄帝ぶんじょうていと呼ばれる高澄こうちょうとの絡みです。


人間的には相当にアレでありますが、

能力は高歓の子では突出しています。


その高澄は天平三年に朝政の輔佐に就いています。

この時、17歳でありました。


自ら鄴に行って朝廷の監視をすると言い出した。

高歓としては当然止めますわね、17歳ですから。


孫搴はそれに口添えしたわけでありますが、

下心的に特進とくしんの位を欲しがっておりました。


口添えのおかげで高澄はぎょうに入りますが、

孫搴には特進を与えず、散騎常侍さんきじょうじを加え、

イッパイ食わせたのでありました。


高澄ってこういう薄情な人なのですよね。

しかし、17歳でこの約束破りはねえ、、、


また、

この頃に大規模な括戸かつこが行われます。

括戸とは要するに戸籍の再整備を言います。


流民が生じて戸籍がグチャグチャになった後、

郡縣ごとに戸籍を作り直すわけでありますね。


目的は当然、戸籍からの漏れの防止です。


この時は特に北辺の諸州で行われ、

多くの軍士を徴発したようです。


おそらく、六鎮の乱の後始末。


孫搴はかなり厳しい連座制を設計し、

おかげで多くの軍士を徴発できました。


一応、能吏ではあったわけですね。




搴學淺而行薄、邢卲嘗謂之曰、

「更須讀書」。

搴曰、「我精騎三千,足敵君羸卒數萬」。

嘗服棘刺丸、李諧等調之曰、

「卿棘刺應自足、何假外求」。

坐者皆笑。


搴は學淺くして行い薄し、

邢卲は嘗て之に謂いて曰わく、

「更に須く讀書すべし」と。

搴は曰わく、

「我が精騎三千、君の羸卒數萬に敵するに足れり」と。

嘗て棘刺丸を服するに、李諧等は之を調して曰わく、

「卿の棘刺は應に自ら足るべし、何ぞ外に假りて求めんや」と。

坐する者は皆な笑う。



前半は邢子才さんのところで紹介した逸話、

よって、省略。


後半がユニークエピソードとなります。


棘刺丸きょくしがんについては分かりませんでした。

たぶん、気つけ薬のようなものかなあ。


孫搴はそういう薬を常用していたわけです。

その一方、

人柄が辛辣というか、口が悪かったわけで。


李諧りかいという人は、棘刺丸を服用する孫搴を見て、

「辛辣さは足りてるでしょうに、

まだ外から摂取する必要あんの?」

といってからかったそうです。


はいはい、言葉遊び言葉遊び。




司馬子如與高季式召搴飲酒、

醉甚而卒、時年五十二。

高祖親臨之。子如叩頭請罪。

高祖曰、

「折我右臂、仰覓好替還我」。

子如舉魏收、季式舉陳元康、以繼搴焉。

贈儀同三司、吏部尚書、青州刺史。


司馬子如は高季式と搴を召して酒を飲み、

醉い甚しくして卒す。時に年五十二なり。

高祖は親ら之に臨み、子如は叩頭して罪を請う。

高祖は曰わく、

「我が右臂を折れり。仰きて好替を覓めて我に還せ」と。

子如は魏收を舉げ、季式は陳元康を舉げ、以て搴を繼がしむ。

儀同三司、吏部尚書、青州刺史を贈らる。



その死にざまであります。


司馬子如しばしじょ高季式こうきしきという有力者がおります。

司馬子如は高歓の古馴染、

高季式は高歓の自称と同じく渤海ぼっかい高氏こうしです。


この二人が孫搴を呼び出して劇飲します。

そして52歳にして急性アル中で死亡です。


アホなのかな。


そこに高歓が訪れて二人に言いました。

「我が右腕を折るような真似しおって。

代わりに堪える者を推挙して我に返せ」


高歓スーパードライ、

「代わりがおったら別にいい」勢い。


司馬子如はかの有名な魏收ぎしゅう

高季式は陳元康ちんげんこうを推挙して

事なきを得たのであります。


この辺のドライさが官僚機構って感じ。


なお、

孫搴は儀同三司ぎどうさんし吏部尚書りぶしょうしょ、青州刺史を

追贈されたのでありました。


なんというか、孫搴だけに限らないんですけど、

東魏~北齊の文官って本質的に北魏の文官です。


ちょっと何言ってるか分からない。


つまりですね、

北魏が東西に分かれてしまったわけですけど、

多くの人の故郷は山東にあるので変わりなく、

洛陽から鄴に官僚機構をそのまま移したので、

目に見える変化は遷都による首都の変化だけ。


その結果なのか、

歴史的な転換があったことに疎い感じ。


孫搴の行いなんぞを見ておりますと、

北魏で栄達した人とあんま変わらん。


さらに、

厳罰主義の北魏に対して東魏の綱紀はガバガバ、

汚職やり放題パラダイスな雰囲気濃厚なのよね。


北魏末期の悪いところを煮詰めたっぽい。


だから、蘇綽さん風の、

「ワシらが新しい国家を建設するんじゃい!」

という熱い社畜魂は東魏の官僚にはあんまない。


大事なのはmy一族の利害と一身の栄達さ、Men!


高歓にしたって、

「北魏の官僚機構をどう利用するか?」

が問題であって新国家の建設意欲は低い。


鄴を中心に北魏の官僚機構の遺産が存在し、

それを晋陽の軍で監督するだけの体制よね。


つーか、

高歓って大きな絵を描けない人かもなあ。

恵まれた環境に縛られた感がありますね。


つまるところ、

東魏~北齊は北魏の体制を継承したために、

北魏の老朽化した機構を維持してしまった。

または、せざるを得なかった。

西魏~北周は関中に鮮卑人が放り出されて、

ゼロから新国家を建設せざるを得なかった。


北魏の東西分裂を詳しく見ていくと、

そういう差が生じているっぽいのね。


このように考えてきますと、

東魏とは、

北魏制度の抜本的な改革を要したけど、

それを果たせず滅んだ国家、つまり、

死に体の北魏の尻尾に過ぎませんね、

という理解もできるんじゃないかなあ、

とか思ったり、思わなかったり。


この、

北魏の官僚機構を継承したか否か、

という点が少なくとも北齊・北周の

勢力争いの帰趨の決め手クサイ感じ。


陳元康とか杜弼とひつとか崔暹さいせんとか楊愔よういんとか

東魏~北齊の文官ズもちょっと読んでますけど、

彼らの武人の抑制に向かう能動性も、

ある種、北魏回帰の可能性を感じたり。


なんか同工異曲になりがちなのね。


今のところはそんな風に考えてます。

※個人の感想です。

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