蘇綽⑧六條詔書その六「賦役を均しうす」を読む。

「六條詔書」も最後の節となりました。

「賦役をひとしうす」、つまり税のお話です。


ただ、なんとなく尻切れトンボなので、

抄録なのかも知れませんね。


このあたりも蘇綽さんにとっては

得意分野のはずなのですけれども、

前段までの勢いが感じられません。


まあ、一応ざっと目を通しておきましょう。




其六、均賦役、曰、

「聖人之大寶曰位」。

何以守位曰仁、

何以聚人曰財。

明先王必以財聚人、

以仁守位。

國而無財、位不可守。

是故三五以來、皆有征稅之法。

雖輕重不同、而濟用一也。

今逆寇未平、軍用資廣、

雖未遑減省、

以卹民瘼、然令平均、

使下無匱。


其の六「賦役を均しうす」に曰わく、

「聖人の大寶を位と曰う」と。

何ぞ以て位を守るを仁と曰い、

何ぞ以て人を聚むるを財と曰うか。

明先王は必ず財を以て人を聚め、

仁を以て位を守るなり。

國にして財なくんば、位は守るべからず。

是の故に三五以來、皆な征稅の法あり。

輕重は同じからずと雖も、濟用は一なり。

今、逆寇は未だ平らがず、軍の用資は廣し、

未だ減省に遑あらずと雖も、

以て民の瘼を卹え、然して平均ならしめ、

下をして匱くなからしむ。



「位」は聖人の宝であり、

それを守るのを「仁」といい、

人を集めるものを「財」という。


聡明なる先王は財によって人を集め、

仁によってその位を守ったそうです。


ふうん。


だから、財がなくては位が守れず、

それゆえに三皇五帝の時代から

税制という制度があったわけで、

税の軽重は違っても用途は同じ、

国家を継続するための税なのです。


蘇綽さんが生きた時代は乱世であり、

軍用が常に求められておりました。


それゆえ、税を軽くはできません。


ただ、

民が苦しまぬように税を均しくし、

窮乏を防がねばなりませんでした。


窮乏すると民は逃げますからね。

人口不足の西魏には致命的です。




夫平均者、不捨豪彊而徵貧弱、

不縱姦巧而困愚拙、

此之謂均也。

故聖人曰、「蓋均無貧」。


夫れ平均は、豪彊を捨てて貧弱より徵さず、

姦巧を縱にして愚拙を困しめず、

此れを之れ均と謂うなり。

故に聖人は曰わく、「蓋し均なれば貧なし」と。



で、

「税を均しくする」とはどういうことか?


金持ちを見逃して貧しい者ばかり徴税せず、

口達者な者を許して愚直な者を苦しめず。


それが「均」というものであるそうです。


聖人に言わせれば、

「均であれば貧はない」とのことですが、

それなら、累進課税なのでしょうかねえ。




然財貨之生、其功不易。

織絍紡績、起於有漸、非旬日之間、

所可造次。

必須勸課、使預營理。

絹鄉先事織絍、麻土早脩紡績。

先時而備、至時而輸、

故王賦獲供、下民無困。


然れど財貨の生ずるに、其の功は易からず。

織絍紡績、有漸に起こるは、旬日の間にあらず、

造次にすべきところなり。

必ず勸課を須ち、預め理を營ましむ。

絹鄉は先に織絍を事とし、麻土は早く紡績を脩む。

時に先んじて備え、時に至らば輸し、

故に王賦は供するを獲て、下民に困しむなし。



徴税するには財貨がなくてはなりませんが、

財貨を生むまでにはかなり手間がかかります。


蘇綽さんは農業を重視しておりましたので、

絹や麻を生産する地の地方官は時期になると

準備するように命じていたようです。


それがないと徴税もできなかったわけです。




如其不預勸戒、臨時迫切、

復恐稽緩、以為己過、

捶扑交至、取辦目前。

富商大賈、緣茲射利、

有者從之貴買、無者與之舉息。

輸稅之民、於是弊矣。


如し其れ預め勸戒せず、時に臨みて迫切せば、

復た稽緩を恐れ、以て己の過と為し、

捶扑は交々至り、辦を目前に取る。

富商大賈、茲に緣りて利を射し、

有る者は之に從いて貴買し、無き者は之と息を舉ぐ。

輸稅の民、是に弊れり。



地方官が命令せず準備が後手に回りますと、

徴税時に民が困ることになってしまいます。


納税できないと罰されますので、

民は罪を逃れるべく商人に頼る。


商人は仕入れと売値の差額が利益です。

お金があるものは商人から高値で買い、

お金がないものは借金して利息を払う。


そうすると、商人ばかりが儲けて

民は疲弊を重ねていくわけです。


西魏では商人はかなり嫌われたというか、

行政の目の敵にされていた雰囲気ですね。




租稅之時、雖有大式、

至於斟酌貧富、差次先後、

皆事起於正長、而繫之於守令。

若斟酌得所、

則政和而民悅。

若檢理無方、

則吏姦而民怨。


租稅の時、大式ありと雖も、

貧富を斟酌し、差次先後に至り、

皆な事は正長に起ちて之を守令に繫ぐ。

若し斟酌の所を得れば、

則ち政は和して民は悅ぶ。

若し檢理するに方なくんば、

則ち吏は姦にして民は怨む。



徴税の基準は定められていますが、

民の貧富を斟酌しんしゃくして差がつけられ、

三長さんちょうから縣令や郡守に報告されます。


三長はまあ郷村の父老のようなものです。


その斟酌が適切であれば、

民は税に苦しまず叛乱もしません。


ここで無暗なことをしますと、

官吏は私利を貪って民は政治を恨む。


このあたりも蘇綽さんの善人推しの

一つの原因だったのかも知れません。


要するに、地方官の裁量権が大きい。

だから、官吏の質が問題なわけです。




又差發徭役、多不存意。

致令貧弱者或重徭而遠戍、

富彊者或輕使而近防。

守令用懷如此、

不存卹民之心、

皆王政之罪人也。


又た差發徭役、多く意に存ぜず。

貧弱なるものをして或いは徭を重くして戍を遠くし、

富彊なるものをして或いは使を輕くして防を近くせしむを致さん。

守令の用懷の此の如く、

民を卹うるの心を存ぜずんば、

皆な王政の罪人なり。



徴税の他に徭役もあります。

こちらは勤労奉仕というヤツです。


地方官の多くはこれを軽く見がちでした。


その結果、

貧弱な者が重い負担や遠くへの出征を命じられ、

富裕は物は軽い負担や近くへの出征を許される。


郡守や縣令の運用がこのようであれば、

民を労わる心などあったものではなく、

彼らは王政の罪人に過ぎないのですね。


というあたりで「六條詔書」は終わっています。

たぶん、そんなワケない。


蘇綽さんなら厳しく規定を考えていたはずですので、

抄録じゃないかなーと言ったのはそういうことです。


抄録はつまり部分収録ですね。


さて、この「六條詔書」ですが、

マジメで細かい宇文泰には大好評だったようです。




太祖甚重之、常置諸座右。

又令百司習誦之。

其牧守令長、非通六條及計帳者、

不得居官。


太祖は甚だ之を重んじ、常に諸を座右に置く。

又た百司をして習いて之を誦えさしむ。

其の牧守・令長、六條及び計帳に通ずる者にあらずんば、

官に居るを得ず。



「常に座右に置いた」というのですから

お気に入りぶりはまあハンパないです。


当然、官吏となる者は暗記していて当然、

地方官はさらに計帳にも通じないとダメ。


このように、

西魏の地方官は「虐待かよ」ってくらいに厳しく

「六條詔書」により詰められていたわけなのです。

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