蘇綽⑦六條詔書その五「獄訟を卹う」を読む。

キョーレツな「善人推し」だったその四に対し、

その五「獄訟ごくしょううれう」は冷静です。


獄訟とはつまり裁判ですね。

漢の高祖こうそ劉邦りゅうほうに仕えた曹参そうしん

「統治のキモは市と獄」と言っておりますように

裁判の重要性はよく知られるところです。


当然、蘇綽さんも一家言いっかげんあり、

それが縷々るると述べられておるわけです。




其五、卹獄訟、曰、

人受陰陽之氣以生、有情有性。

性則為善、情則為惡。

善惡既分、而賞罰隨焉。

賞罰得中、則惡止而善勸。

賞罰不中、則民無所措手足。

民無所措手足、則怨叛之心生。

是以先王重之、特加戒慎。


其の五「獄訟を卹う」に曰わく、

人は陰陽の氣を受けて以て生じ、情あり性あり。

性は則ち善たり、情は則ち惡たり。

善惡は既に分かれ、而して賞罰はこれに隨う。

賞罰に中を得れば、則ち惡は止みて善は勸む。

賞罰の中たらざれば、則ち民は手足の措くところなし。

民の手足の措くところなくんば、則ち怨叛の心は生ず。

是れ以て先王は之を重んじ、特に戒慎を加う。



蘇綽さんは『仏性論』という著作があり、

これは仏教関連の著作のようですけども、

題名に「性」が含まれていますように、

独特の人間観を磨いた人でもありました。


著作の内容は不明なんですけどね。


ここで蘇綽さんの人間観は、

人間は陰陽より形作られて性情を持ち、

性は善、情は悪とその両方を兼備する、

と捉えております。


その性情=善悪に対応する形で賞罰があり、

賞罰が正しく行われれば悪事は行われない。

賞罰を誤れば民は何が正しいか分からない。


そうなると、怨みの心が生じてしまう。

ゆえに先王は厳しく戒めたわけですね。


それが蘇綽さんの論旨です。

賞罰大事。




夫戒慎者、欲使治獄之官、

精心悉意、推究事源。

先之以五聽、

參之以證驗、

妙覩情狀、窮鑒隱伏、

使姦無所容、

罪人必得。

然後隨事加刑、

輕重皆當、赦過矜愚、

得情勿喜。

又能消息情理、斟酌禮律、

無不曲盡人心、

遠明大教、

使獲罪者如歸。

此則善之上也。


夫れ戒慎は、治獄の官をして

心を精に意を悉くして事源を推究せしめんと欲す。

之に先んずるに五聽を以てし、

之に參じるに證驗を以てし、

情狀を妙覩し、隱伏を窮め鑒み、

姦をして容るところなからしめ、

罪人は必ず得る。

然る後に事に隨いて刑を加うれば、

輕重は皆な當り、赦の矜愚を過り、

情を得て喜ぶなし。

又た能く情理を消息して禮律を斟酌し、

曲げて人心を盡くさざるなく、

遠く大教を明らかにし、

罪を獲る者をして歸するが如からしむ。

此れ則ち善の上なるものなり。



次に先王が何を戒めたのかというお話です。


先王の戒めはシンプルでして、

治獄の官=裁判に関わる官吏が慎重に審議し、

事実に基づいて犯罪の軽重を定めて刑を行い、

情理を尽くすに加えて礼と律を詳しく調査し、

民の支持を得るだけでなく人の道を明らかにし、

罪された者までが喜ぶような裁判をせよ、と。


これが最善の裁判であるとします。


そうですね、できるならやっとるわ。




然宰守非一、

不可人人皆有通識、推理求情、

時或難盡。

唯當率至公之心、去阿枉之志、

務求曲直、念盡平當。

聽察之理、必窮所見、

然後栲訊以法、

不苛不暴、有疑則從輕、

未審不妄罰、

隨事斷理、獄無停滯。

此亦其次。


然れど宰守は一にあらず、

人人に皆な通識あり、理を推して情を求むべからず、

時に或いは盡くし難し。

唯だ當に至公の心を率いて阿枉の志を去り、

務めて曲直を求め、平當を盡くすを念うべし。

聽察の理、必ず見るところを窮め、

然る後に栲訊するに法を以てし、

苛ならず暴ならず、疑あらば則ち輕きに從い、

未だ審かならざれば妄りに罰せず、

事に隨いて理を斷ずれば、獄に停滯なし。

此れ亦た其の次なり。



そこは蘇綽さんも把握しておりまして、

全員にそんなことはできるわけない、と。


なもんで次善を用意しておりますが、

これまたなかなかハードル高めです。


公に奉じる心をもって私心を去り、

理非曲直の追求を旨に公平を尽くす。

調査の際は見るべきを見落とさず、

事情聴取は法に基づいて厳格に過ぎず、

審判に疑義があれば罪の軽い方に従う。

審判に不明があるうちは結審させない。


こうすれば裁判の滞留もなかろうよ、と。

けっこうムチャ振りという気もしますが。


気持ちとしてはそうあれ、ということですかね。

これくらいのお気持ちで裁判してもらわないと

裁かれる側としてはたまったものではないです。


なんというか、裁判って大変なんですね。


だから、

宋の包拯ほうじょうや日本の大岡越前みたく

名裁判官モノは民衆に人気だったのでしょうね。


生活に身近ですし。




若乃不仁恕而肆其殘暴、

同民木石、專任捶楚。

巧詐者雖事彰而獲免、

辭弱者乃無罪而被罰。

有如此者、斯則下矣、

非共治所寄。


若し乃ち仁恕ならずして其の殘暴を肆にし、

民を木石と同じうして專ら捶楚に任ずれば、

巧詐なる者は事は彰らかと雖も免ざらるを獲て、

辭の弱き者は乃ち罪なくして罰を被らん。

此の如き者あらば、斯く則ち下せ。

共に寄る所を治むものにあらず。



目指すところを示す一方でここでは悪例です。


思いやりの心がなくて残虐をほしいままにし、

民を木石のように見なしてただブッ叩けば、

口が巧みな者は罪が明らかでもそれを逃れ、

そうではない者は罪なくして刑罰に陥ります。


そんなヤツとは統治をともに行うなどできない。

ボツだよ、ということですね。


ボトムラインをキッチリ示してみせるあたり、

さすが蘇綽さんですね、濡れる(何がか




今之宰守、當勤於中科、

而慕其上善。

如在下條、則刑所不赦。

又當深思遠大、

念存德教。

先王之制曰、

「與殺無辜、寧赦有罪。

與其害善、寧其利淫」。

明必不得中、

寧濫捨有罪、

不謬害善人也。


今の宰守は、當に中科に勤むべく、

而して其の上善を慕う。

如し下條にあらば、

則ち刑の赦さざるところなり。

又た當に深く遠大なるを思い、

念を德教に存つべし。

先王の制に曰わく、

「無辜を殺すより寧ろ罪あるを赦せ。

其の善を害すより寧ろ其の淫なるを利せよ」と。

明にして必ずしも中るを得ざれば、

寧ろ濫りに罪あるを捨つるも、

謬りて善人を害さざるなり。



ここまで、

上善

次善

ボトムライン

の3つを示した上で蘇綽さん、

地方官のみなさんに迫ります。


「上善を目指して次善に努めよ、ボトムはこの世からボツだ」


分かりやすいですね。

できるかどうかはともかく、、、ううっ。


最後に一応の救済措置もあります。


「無罪の人を殺すより有罪の者を逃せ。

善人を害するよりは悪人を利する方がマシ」


裁判って向き不向きがありそうですよね。

農政で有能でも裁判も有能とは限りません。

やはり人情の機微なども必要になりますし。


そういうわけで、そういう人たちには、

「とにかく悪人逃しても善人を損なうな」

と申し伝えておるわけであります。


実務どっぷりのお方だけに懇切丁寧ですね。




今之從政者則不然。

深文巧劾、寧致善人於法、

不免有罪於刑。

所以然者、

皆非好殺人也、

但云

為吏寧酷、可免後患。

此則情存自便、不念至公、

奉法如此、皆姦人也。


今の政に從う者は則ち然らず。

深文巧劾、寧ろ善人を法に致し、

罪あるを刑より免ぜざるなり。

然る所以は、

皆な人を殺すを好むにあらざるなり。

但だ云えらく、

「吏と為りて寧ろ酷なれば、後患を免ずべし」と。

此れ則ち情は自らに便なるに存ち、至公を念わず。

法を奉ずること此の如くんば、皆な姦人なり。



何ゆえにそう言わねばならないか。

西魏は裁判が厳酷だったようです。


とにかく無罪を刑罰に陥れても罪人を逃さない。


その理由は、

「官吏は厳酷である方が後患にかからない」

だったようです。


おそらく官吏が離任した後に元の赴任先から

告発されることが多かったのかも知れません。


それなら在任中に目ぼしい輩をやっちまえ、と。

そういう悪循環があったように見受けられます。


なもんで、身を守るために法を厳酷に運用した。


蘇綽さんは、

これは保身であって公を忘れた行いであり、

そんな運用をする連中は全員罪人じゃい、と。


西魏の問題が透けて見えるようですね。




夫人者、天地之貴物、

一死不可復生。

然楚毒之下、以痛自誣、

不被申理、遂陷刑戮者、

將恐往往而有。

是以自古以來、設五聽三宥之法、

著明慎庶獄之典、

此皆愛民甚也。


夫れ人は天地の貴物、

一たび死せば復た生まるべからず。

然して楚毒の下、痛を以て自ら誣し、

申理を被らず、遂に刑戮に陷るは

將に往往にしてあらんと恐る。

是れ以て古より以來、五聽三宥の法を設け、

著明に庶獄の典を慎むは、

此れ皆な民を愛するの甚しきなり。



西魏は人口が少なく、人は貴重です。

刑罰を濫用して減らしてはダメです。


蘇綽さんは淳淳と説きます。


人は天地の間にあって尊く、

死んだら再びは生まれません。


それが苛政の下で拷問で無実の罪を認めさせられ、

審理も経ずに刑罰で命を失っている恐れがある、と。


かつてはこれを避けるべく、

五聴三宥ごちょうさんゆうの法が定められた、と。


五聴三宥は「五聴」と「三宥」に分かれまして、

五聴は『漢書』刑法志に

「五聽は、一に辭聽を曰い、二に色聽を曰い、三に氣聽を曰い、四に耳聽を曰い、五に目聽を曰う」

とありますので「よく罪人を観ろ」の意です。

三宥は罪にあたらない三要件、過失・遺忘・不知です。


このように治獄の官が縛られた理由は、

むやみな裁判で無辜の罪人を出さない、

そのことに尽きるのでありまして、

これが民を愛するということなのですね、はい。




凡伐木殺草、田獵不順、

尚違時令、而虧帝道。

況刑罰不中、濫害善人、

寧不傷天心、犯和氣也。

天心傷、和氣損、

而欲陰陽調適、四時順序、

萬物阜安、蒼生悅樂者、

不可得也。

故語曰、

「一夫吁嗟、王道為之傾覆」。

正謂此也。

凡百宰守、可無慎乎。


凡そ木を伐りて草を殺し、田獵して順わざれば、

尚お時令を違えて帝道を虧く。

況んや刑罰の中らず、濫りに善人を害さば、

寧んぞ天心を傷ないて和氣を犯さざらん。

天心の傷ないて和氣の損ずれば、

陰陽の調適、四時の順序、

萬物の阜安、蒼生の悅樂なるを欲するとも、

得べからざるなり。

故に語に曰わく、

「一夫の吁嗟、王道は之が為に傾覆す」と。

正に此を謂うなり。

凡百の宰守は、慎みなかるべけんや。



当時の人は人の行いが天候に影響する、

そのように考えておったわけです。


そのため、この時期にはアレはダメ、

という時令が定められていました。


獣が子どもを育てる時期などはなるべく

猟を避けるように定められているなど、

合理的な一面もあったりします。


その禁を破ると、天候が乱れるとされます。

つまり、干ばつや大水が起こるわけですね。


そういう時代でありましたので、

むやみな殺人など言うに及ばず、

和気を損なって天を乱すものと

見なされるわけです。


無論「そんなの関係ねえ」とばかりに

厳酷な法で人を殺す地方官も多数です。


しかし、それでは国家が安定しない。

「一夫の吁嗟、王道は之が為に傾覆す」

これはつまり、

「一人の恨みが国家を覆す」の意です。


そういうことは往々にして起こりますので、

地方官は法の濫用を慎まねばならぬのです。




若有深姦巨猾、

傷化敗俗、

悖亂人倫、不忠不孝、

故為背道者、

殺一利百、以清王化、

重刑可也。

識此二途、則刑政盡矣。


若し深姦巨猾ありて、

化を傷ないて俗を敗り、

人倫を悖亂して不忠不孝、

故に背道を為す者あらば、

一を殺して百を利し、以て王化を清うすに

重刑も可なり。

此の二途を識らば、則ち刑政は盡くせん。



それでは地方官にとっての法とは何ぞや?

という疑問の回答を蘇綽さん最後に記します。


「深姦巨猾」つまり大悪人を誅するためにあるわけです。


そういう者が民を乱して不忠不孝であるなら、

その一人を殺して戒めとし、教化を深める。


そのためであれば重刑も可としています。


つまり、蘇綽さんの考える刑政は、

善人を害さない

大悪人は必ず殺して戒めとする

先に述べられておりました、

「教化の手段」として考えられていたわけです。

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