爾朱榮⑪皇太后・皇帝・百官まとめてヒャッハー河陰の変part1

▼次の皇帝とナシをつけるべく従兄弟を洛陽に向かわせました。


霊太后は爾朱榮の上表を読み、

洛陽に駐在する爾朱一族の世隆を

晋陽に遣わして爾朱榮をなだめます。


ただ、

爾朱榮はそれに応じませんでした。

なお、

爾朱世隆は晋陽に留まることなく、

洛陽に戻っています。


爾朱榮の中では洛陽への出兵は既決事項、

爾朱世隆を晋陽に留めようとしましたが、

世隆がそれを断って帰ったようです。


これは、洛陽を油断させるためでした。


霊太后の顔面に手袋を投げつけて

ケンカを売った形の爾朱榮ですが、

その裏では仕込みを始めています。




『魏書』爾朱榮伝


榮抗表之始,

遣從子天光、親信奚毅

及倉頭王相入洛,

與從弟世隆密議廢立。

 榮の抗表の始め、

 從子の天光、親信の奚毅、

 及び倉頭の王相を遣りて洛に入らしめ、

 從弟の世隆と密かに廢立を議さしむ。


天光乃見莊帝,

具論榮心,帝許之。

 天光は乃ち莊帝に見え、

 具に榮の心を論じ、帝は之を許す。




爾朱世隆は爾朱榮の従弟ですが、

祖父は爾朱侯眞、

父は爾朱買珍

と『魏書』に記録されていますから、

世代が同じだとすると、祖父の代、

爾朱侯眞が爾朱代勤の弟だったのかな。


そうなると、従祖弟ですよねえ。

省略しているだけなのかなあ。


ちなみに、世隆は五人兄弟で、

 爾朱彦伯:事なかれ彦伯

 爾朱仲遠:銭ゲバの仲遠

 爾朱世隆:ビビリの世隆

 爾朱世承

 爾朱弼

という兄弟順になっております。

上から三人が爾朱榮の腹心です。


下二人は激しくザコいので省略。

上三人もザコ臭いけど気にしない。


ここからは爾朱氏祭りです。


爾朱に次ぐ爾朱のゲシュタルト崩壊、

誰が誰だか分からなくなること請け合い。


そこで、

爾朱氏の中核メンバーにはあだ名をつけます。


それが上の通りです。

ロクでもないですが、

まあそんな感じです。


洛陽に派遣されたのは、

爾朱天光という人です。


爾朱天光は爾朱榮の従祖兄の子、

とされています。


世代は一つ下ですが、

年はそれほど離れていなさそう。

でも、爾朱榮よりは年下クサイ。


爾朱榮の字の天寶と同じく、

天の字を与えられているので、

一族内での立ち位置は爾朱榮に

近かったのかも知れませんねえ。


仲は良かったようなのですが、

メッチャ見下されている模様。


パシリ感が否めません。


また、

イカれたメンバー揃いの爾朱氏にあって、

一番まともだったと評されております。

だから、

あだ名は「パシリ」となります。


で、

ビビリの世隆ですが、

孝明帝末年に兼直閤、前将軍となり、

洛陽に派遣されているようです。


つまり、

爾朱榮が山西で暴れはじめる頃です。


要するに、

爾朱榮が秀容に帰る代わりに、

ビビリの世隆が洛陽に入った、

と考えていいかも知れません。


直閤は宮殿の門を守る武官ですから、

直寝の代わりに相応しいっちゃあ、

相応しい。


そのビビリ世隆のところに

パシリ天光が行かされました。


文字通りのパシリ。


お供は

爾朱榮の側近の奚毅と奴隷の王相。


お忍びであることは確実なので、

護衛の奚毅、お世話係の王相ですね。


これは、

世隆が晋陽に遣わされた後なのかな。


これより前、

爾朱榮と元天穆の義兄弟の間では、

元子攸という人を皇帝に擁立する、

という方針が固まっていたらしい。


パシリの役割は元子攸と通じること。

ビビリの世隆は仲介役でしょうねえ。


とはいえ、

訴えられた場合は大逆、

族滅待ったなしです。


パシリ天光は元子攸に面会し、

爾朱榮の計画を話したようです。


元子攸から見れば、

聞かされた時点で辞退は不可能。


他に洩れた場合は刑場直行ですから、

さすがのパシリ天光であっても、

断られたら殺るくらいの覚悟のはず。


ただ、

元子攸は孝明帝に礼遇されており、

さらに、兄の元劭も霊太后の執政に

反発していたことが知られています。


また、

元子攸と元劭の父の元勰は、

孝文帝の弟にあたります。


元釗は孝文帝の曾孫なので、

世代的にも優位にありそう。


この辺を見越していたとすると、

爾朱榮&元天穆もなかなかです。


結果として、

元子攸は申し出を受け入れ、

爾朱氏は元子攸を擁立する、

そういう手筈となりました。




▼占い大好きッコ★爾朱榮、誰を皇帝に立てるか占いで決める。


洛陽にて、

パシリ天光「ボクと契約して皇帝になってよ!」

元子攸「そこまで言うなら仕方ない」

そういう遣り取りがあり、

パシリ天光は晋陽に還ります。




『魏書』爾朱榮伝


天光等還北,榮發晉陽。

 天光らの北に還るに、榮は晉陽を發せり。




爾朱榮はパシリの戻りを待っており、

入れ替わりに軍勢を発したのですね。


時系列としては、

・ビビリの世隆が晋陽に来る

・ビビリの世隆が洛陽に帰る

 (パシリ天光も洛陽に行く)

・パシリ天光が晋陽に帰る

・爾朱榮が晋陽を発つ

そういう流れのようですね。


つまり、

爾朱榮の出兵は暴発とは違います。

わりと計画的。


さて、

晋陽を発する爾朱榮の軍勢ですが、

爾朱一族からの参加が少ないです。


一族から参加していたのは、

爾朱兆:脳筋(脳ミソ筋肉)

くらいですか。


爾朱兆は爾朱榮の従子、

爾朱榮亡き後、

悪い意味で大活躍します。


逆に、

爾朱榮の腹心は多く参加しています。

 慕容紹宗:朝臣の殺戮を諫止

 高歓:簒奪を唆す

 劉霊助:簒奪に反対

 賀抜岳:高歓の誅殺を求める

主だったメンツはこんな感じでしょうか。


いきなり仲が悪そうですが、

たぶん気のせいです。


さらに、

軍勢は一万を超えなかったと言います。


けっこう無謀な賭けでもありましたね。


この寡兵であるという点は、

虐殺の発生に深く関係します。


一方、

爾朱榮は元子攸でよいか、

まだ疑っていたようです。


陽キャのわりにキモが小さい。


で、

占ってみることにしました。

週刊誌かよ。。。




『魏書』爾朱榮伝


猶疑所立,

乃以銅鑄高祖

及咸陽王禧等六王子孫像,

成者當奉為主,

惟莊帝獨就。

 猶お立つる所を疑い、

 乃ち銅を以て高祖、

 及び咸陽王禧ら六王の子孫の像を鑄て、

 成らば當に奉じて主と為さんとするに、

 惟だ莊帝のみ獨り就く。




当時、

人を選ぶ際にその人の像を鋳造し、

キレイにできれば吉という占いが

一般に行われていたようです。


分かりやすい。


それで、

高祖=孝文帝やその弟の咸陽王の元禧を

含む六王の子孫の像を造ってみたらしい。


結局、

出来上がったのは元子攸の像だけ、

占いで爾朱榮も納得したようです。


この占いが爾朱榮に利くというのは、

後でちょっと意味を持つのですけど。


いよいよ肚も決まりました。


霊太后と幼い皇帝を除き、

元子攸を皇帝に擁立する。


そのために、

爾朱軍団は山西を南に抜け、

洛陽を目指したわけですね。

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