爾朱榮④ムスコを洛陽に放り込んだアトムハート・ファーザー爾朱新興の狙いを読み解いてみます。

▼狩猟大好き爾朱榮、オマエもサイコパスやんけ。


いよいよ、

パパン=爾朱新興は爵位を爾朱榮に譲り、

爾朱榮が家長として振舞う日が参ります。


その前に列伝の記述に倣い、

爾朱榮のご様子を窺ってみましょう。




『魏書』爾朱榮伝


榮潔白,美容貌,

幼而神機明決。

 榮は潔白にして容貌美し、

 幼くして神機明決たり


及長,好射獵,

每設圍誓眾,

便為軍陳之法,

號令嚴肅,眾莫敢犯。

 長ずるに及び、射獵を好み、

 每に圍を設けて眾に誓うに

 便ち軍陳の法を為し、

 號令は嚴肅にして眾は敢えて犯すなし。




爾朱榮の容貌は、

「潔白」とされております。

この潔白は容色のお話ですね。


色白で清潔感があった、

とでも解すればよい感じでしょうか。


で、

神機明決ですから、

機を観るに敏で明晰、決断力に富む、

と解しておきましょう。


その一方、

成長すると狩猟を好んだようです。


後の文章より推して、

これは巻き狩りでしょうね。


要するに、

兵士が囲みを作ってそれを締める。

迫られて飛び立つ鳥や逃げる獣を

矢で仕留める猟だと思われます。


兵士のみなさんは

獣が向かってきても逃げちゃダメだ!


そのため、

囲みを作るたびに兵士と誓い、

軍陣と同じ法によって厳粛に

号令を行ったと読めます。


まあ、

巻き狩りは集団行動の基本でして、

軍事訓練の一種でもありましたが。


訓練であっても実戦なみに厳しく

兵士に号令したと見るのがよさげ。


当然、

違反した場合の罰則も軍令に従い、

ヨユーのヨッチャンで死刑あり、

くらいの勢いだったんでしょうね。


臭えー!

ブラック企業の臭いがプンプンするゼ!


趣味に軍事訓練を持ち込むあたり、

香ばしいサイコパス臭を感じます。


棟梁の貫禄十分って感じですよねー(棒)




▼爾朱榮の人生にはムスコLOVEのパパン=爾朱新興からの影響がメチャデカそう、というお話。


さて、短い文章から

爾朱氏はブラック企業、

爾朱榮はサイコパス

という雰囲気を堪能しましたが、

一方、

爾朱一族での爾朱榮は期待のホープ。

微笑ましい逸話も残っておりますよ。




『魏書』爾朱榮伝


秀容界有池三所,

在高山之上,清深不測,

相傳曰祁連池,

魏言天池也。

 秀容の界に池三所あり、

 高山の上に在り、清にして深は測らず,

 相い傳えて祁連池と曰い、

 魏は天池と言うなり。


父新興,曾與榮遊池上,

忽聞簫鼓之音。

 父の新興は曾て榮と池上に遊び、

 忽ち簫鼓の音を聞けり。


新興謂榮曰:

「古老相傳,

凡聞此聲皆至公輔。

吾今年已衰暮,

當為汝耳。

汝其勉之。」

 新興は榮に謂いて曰わく、

「古老の相い傳うるに、

 凡そ此の聲を聞かば皆な公輔に至ると。

 吾は今や年已に衰暮なり。

 當に汝が為なるのみ。

 汝、其れ之に勉めよ」と。




秀容の北には燕京山えんけいさんがあり、

その山頂には池が三つございました。


池は土地の古老たちから

祁連池きれんち

と呼ばれており、魏人は

天池てんち

と呼んでいたそうです。


これはまあ、

鮮卑語で祁連=天ということらしい。


ホントにそうかは知りませんけどね。


その天池、

水は清く、深さは測り知れません。


ちなみに、

北齊の皇帝でもこの池に遊んだ人があり、

なかなかの行楽地であったようであります。


一日、

パパン=爾朱新興は爾朱榮とともに、

この天池に遊んだそうです。


船を浮かべて遊覧したのでしょう。


その時、

二人は船上で簫鼓の声、

ひちりきと鼓ですから、

雅楽みたいな感じの音楽ですね。


それを聞いたらしい。


ここで、

爾朱新興の親バカが炸裂します。


「古老に聞くところ、この音楽を聴いた者は皇帝を輔佐する役に登ると言う。わしはもはや老境にある。この音楽はお前のために鳴ったのであろうよ。ますます励むがよかろう」


音楽は爾朱榮も爾朱新興も聴いたわけです。

そうなると、これは幻聴ではありません。


要するに、

古老からそういう話を聞いた爾朱新興、

ムスコを焚きつけるために人を遣い、

遊覧している船に聞こえるように

音楽を演奏させたってわけですよね。


なんと激しい親バカであることよ。


こういう次第もあり、

爾朱榮の字の「天寶」も

この溺愛系パパンの仕業かと疑われます。


そういうわけでして、列伝を読む限り

爾朱氏の親子に相克のようなものはなく、

ただただパパンが爾朱榮を愛するだけ、

スクスク育ちの坊ちゃんが想像されます。


爾朱榮、間違いなく陽キャですよ。




▼爾朱榮に爵位を譲った後も、後ろでパパン=爾朱新興が糸を操っていたっぽい。


ウェーイ系陽キャに育った爾朱榮、

宣武帝の治世に入ると

パパンから爵位を譲られ、

いよいよ一人立ちとなります。




『魏書』爾朱榮伝


榮襲爵後,

除直寢、游擊將軍。

 榮は爵を襲うの後、

 直寢、游擊將軍に除せられる。




さて、

爵位を継いだのはよいとして、

将軍号もよいとして、

問題は「直寝ちょくしん」という官ですね。


この直寝は、

要するに皇帝の寝所を護衛する官です。


皇帝を護衛する官はどこにいるべきか。

当然、国都である洛陽ということです。


爾朱新興は雁臣として、

夏は部落、冬だけ洛陽で暮らすという

セミリタイアした大橋巨泉の如き生活を

許されておりましたが、

これは官位が無任所の

光祿大夫こうろくたいふ散騎常侍さんきじょうじ

なので可能だったわけです。


一方、

直寝ではそういうわけには参りません。

年がら年中洛陽で暮らすことになります。


この直寝という官、

たとえば羊靈という人なんかは、

皇帝に命じられて出征した、

という記事が残っていたりします。


他の人もだいたいが上級国民、

そういう官なのですよね。


そして、

朝廷の王公、貴人と通じていた上に

我が子を溺愛していたパパンが

朝廷に根回ししなかったはずもなく。


要するに、

洛陽の朝廷にブチ込んで修行させた、

というのがこの任官の実状でしょう。


秀容には爾朱新興がいるので問題なく、

爾朱榮はひたすら洛陽で顔を売り、

朝廷にパパン並みの人脈を築いていく。


しかも、

皇帝に近い直寝という官職に置いて。


実にスマートなやり方と言えましょう。


パパン=爾朱新興は相当の切れ者だった、

そう考えざるを得ないわけであります。


そして、

実際にこのことが爾朱氏の将来に

大きな影響を与えたと考えられます。


スゴイよ、パパン!

パパンの愛についてのお話はさらにつづく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る