韋孝寛⑬東魏軍が撤退したので高歓にイヤガラセをしてみました。

▼東魏軍がついに撤退しました。


玉壁の包囲は50日を過ぎました。


必勝を期して大軍を投入した高歓ですが、

ついに次の手を打てずに終わります。



『周書』韋孝寬伝

神武苦戰六旬,

傷及病死者十四五,

智力俱困,因而發疾。

其夜遁去。


 神武は苦戰すること六旬、

 傷つき、及び病死せる者は十に四、五あり。

 智力は俱に困しみ、因して疾を發す。

 其の夜に遁去せり。



東魏兵のうち、

戦傷または病に斃れた者は40~50%にのぼり、

高歓も苦慮してついに病に倒れます。


ストレスではないかと思いますが、

九月から50日だと時は仲冬十一月、

寒さもばかにはできません。


そもそも、

前年から高歓の体調が十全であったとは

考えにくく、当然の帰結ではあります。



十一月の末、東魏軍は撤退を始めました。



高歓が倒れなければ、玉壁を包囲して軍勢を先に進めるなどの策も考えられたと思うのです。河東を押さえてしまえば、いつでも蒲坂から関中に攻め込めますし、黄河を南に渡って潼関も襲えます。


しかし、

総帥の高歓を欠いた東魏の軍勢は動けません。


当時、河北の東魏軍は高歓というワントップに従っており、高歓が倒れた際に全軍を指揮できるナンバーツーを欠いたのです。


オーベルシュタイン元帥なら

「組織の安定上、けっこうなことだ」

とでも言うでしょうが、

東魏軍は撤退を選ぶよりありませんでした。


宇宙大将軍=侯景がいればいたで、

一悶着あったんでしょうけど。




▼晋陽に帰った高歓を追撃しました。(非物理)


晋陽に還った高歓は、

二ヵ月後に世を去りました。



『周書』韋孝寬伝

後因此忿恚,遂殂。

魏文帝嘉孝寬功,

令殿中尚書長孫紹遠、左丞王悅

至玉壁勞問,

授驃騎大將軍、開府儀同三司,

進爵建忠郡公。


 後に此の忿恚に因りて遂に殂せり。

 魏の文帝は孝寬の功を嘉し、

 殿中尚書の長孫紹遠、左丞の王悅をして

 玉壁に至りて勞問せしめ、

 驃騎大將軍、開府儀同三司を授け、

 爵を建忠郡公に進めらる。



史書は玉壁を抜けなかった怒りが原因とします。


しかし、

一因にはなっても原因とは言えないでしょう。


ただ、

韋孝寛が流言を撒いて高歓を追い込んだ

とも思われる記録があります。


東魏の軍中では、

「韋孝寛が弩で丞相(高歓)を射殺したらしい」

という噂が流れていたようです。


それを知った西魏の間諜は、

「勁弩の一たび発すれば、身に凶して自ら隕る」

という流言を撒いたようです。


要するに、

「高歓は玉壁で弩を食らって死にかけとんで」

という流言ですね。


それを否定するため、

高歓は病身を推して人と謁見したようです。


これで寿命を縮めた可能性があります。


韋孝寛という人は、宜陽で牛道恆に離間の計を仕掛けた時にも見られるように、間諜を巧みに遣った人です。当然、晋陽には無数の間諜を送り込んでいたでしょう。


その情報網を活用して流言を撒かなかったとは、

ちょっと考えにくいですよね。


しかし、

高歓の体調不良を知りつつ、

人前に出ざるを得ないよう

「弩をブチあてたった」

と流言を撒くとはヒドイ。


なかなかヨイ性格をしておいでですね。



▼名将、というか、むしろ奇術師かも。


韋孝寛の特殊スキルは史書にも明記されています。



『周書』韋孝寬伝

孝寬善於撫御,

能得人心。

所遣間諜入齊者,

皆為盡力。

亦有齊人得孝寬金貨,

遙通書疏。

故齊動靜,朝廷皆先知。


 孝寬は撫御を善くし、

 能く人心を得る。

 遣る所の間諜の齊に入る者は、

 皆な為に力を盡くせり。

 亦た齊人に孝寬の金貨を得て、

 遙かに書疏を通ずるあり。

 故に齊の動靜、朝廷は皆な先に知れり。



韋孝寛は人を遣うのが上手く、

巧みに人心を得たそうです。


齊=東魏に送り込まれた間諜たちは、

韋孝寛のために尽力したとされています。


間諜網を作るに適した人物だったわけです。


さらに、

齊人=東魏人には金で飼われている者もあり、

内情を書状で伝えてきていました。


そのため、

齊=東魏の動静を西魏=周の朝廷は

すべて先刻ご承知だった、というわけです。


これはもう、

あからさまにそういう任務を与えられていた、

ということなんでしょうねえ。


正統派の王思政とは異なり、

韋孝寛は東魏の情報収集と調略をも担いました。


そんな韋孝寛の恐ろしさを

余すところなく伝える記事もあります。



時有主帥許盆,

孝寬托以心膂,

令守一戍。

盆乃以城東入。

孝寬怒,遣諜取之,

俄而斬首而還。

其能致物情如此。


 時に主帥の許盆なるものあり、

 孝寬は托するに心膂を以てし、

 一戍を守らしむ。

 盆は乃ち城を以て東に入る。

 孝寬は怒り、諜を遣りて之を取り、

 俄に斬首して還る。

 其の能く物情を致せること、此の如し。



韋孝寛の部下に許盆きょぼんという人があり、

信頼して一戍いちじゅつ

つまり、

東魏の侵攻などに備える要塞を任せていました。


その許盆が韋孝寛を裏切り、

要塞ごと東魏に投降します。


怒った韋孝寛、

間諜を遣わして許盆を擒え、

斬首して軍勢を返したそうです。


おそらく、

要塞を取り返すべく出兵し、

要塞を包囲した上で

間諜を忍び込ませたのでしょう。


ほぼ兵を失うこともなかったでしょうから、

水際立った手並みと言えます。


こうなってくると名将というより、

ほとんど奇術師ですけど。


とりあえず、こんな上司はイヤだ。


高歓を退けた勲功により韋孝寛は

驃騎大將軍、

開府儀同三司

に任じられ、

建忠郡公に封じられましたが、

玉壁の重要性に変わりはなく、

以降も鎮守を続けることとなります。


転任とかはなかったわけですね。

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