韋孝寛⑫玉壁争奪戦Round3
▼高歓は口ゲンカを挑み、韋孝寛は大見得を切る。
万策尽きたらしい高歓は、
韋孝寛に口ゲンカを挑みます。
そういえばこの人、
華州でも王羆さんに口ゲンカを挑んでいたなあ。
そういう風習だったのか、
高歓という人のクセなのか、
なかなか興味深いですね。
『周書』韋孝寬伝
神武無如之何,
乃遣倉曹參軍祖孝徵謂曰:
「未聞救兵,何不降也?」
神武は之を如何ともするなく、
乃ち倉曹參軍の祖孝徵を遣りて謂わしめて曰わく、
「未だ救兵を聞かず、何ぞ降らざらんや?」と。
高歓は
城下に向かわせて口ゲンカを挑ませます。
この祖孝徴という人もとっぱずれた感じで
オモシロイのですが、そのあたりは割愛。
祖孝徴「援軍も来ねえじゃねえか。さっさと降っちまいなYO!」
それに対し、韋孝寛はマジレスします。
孝寬報云:
「我城池嚴固,兵食有餘,
攻者自勞,守者常逸。
豈有旬朔之間,已須救援。
適憂爾眾有不反之危。
孝寬關西男子,必不為降將軍也。」
孝寬は報いて云えらく、
「我が城池は嚴固にして兵食に餘あり。
攻める者は自ら勞し、守る者は常に逸なり。
豈に旬朔之間ありて已に救援を須たんや。
適に爾が眾に反らざるの危きあるを憂えよ。
孝寬は關西男子なり、必ず降將軍とならざるなり」と。
韋孝寛「ワシの城は堅固やし兵糧も余っとんで。攻めるんはしんどいけど守るんは楽やし、こんな一月くらいで援軍なんかいらんわ。ヨソ様の心配よりも、家に帰られへんのんちゃうかって自分らの心配しとき。この孝寛は関西の男子や、負け将軍になんかならへんで、アホ」
以上、ネイティブ関西弁でお送りしました。
韋孝寛の決意を見た祖孝徴は諦めず、
城内の兵に呼びかけます。
俄而孝徵復謂城中人曰:
「韋城主受彼榮祿,或復可爾,自外軍士,何事相隨入湯火中耶。」
俄にして孝徵は復た城中の人に謂いて曰わく、
「韋城主は彼の榮祿を受け、
或いは復た爾すべし。
自外の軍士は何の事ありて
相い隨いて湯火の中に入らんや」と。
祖孝徴「城主は身分も高いしゼニも貰ってっから好きにすりゃいい。それ以外の兵には付き合う義理もねえだろ」
さらに、矢文を射こみました。
乃射募格於城中云:
「能斬城主降者,
拜太尉,封開國郡公,邑萬戶,
賞帛萬疋。」
乃ち募格を城中に射て云わく、
「能く城主を斬りて降らば、
太尉を拜し、開國郡公、邑萬戶に封じ,
帛萬疋を賞とせん」と。
「城主を斬って投降すれば、太尉に任じて開国郡公に封じ、万戸の邑からの税収を与える。さらに万匹の布帛を授けよう」
要するに、
韋孝寛を斬って城を明け渡せば、
三公の一つである太尉に任じて公爵に封じ、
一万戸からの税収を与え、
さらに賞として万匹の布帛を与える
ってわけです。
なかなか豪勢なものですが、
逆に、
どれだけ攻めあぐねていたかも伝わってきます。
さて、
矢文を見た韋孝寛ですが、
すみやかに味なマネをします。
孝寬手題書背,反射城外云:
「若有斬高歡者,一依此賞。」
孝寬は手ずから書背に題し、
反って城外に射て云えらく、
「若し高歡を斬る者あらば、
一に此の賞に依らん」と。
筆を求めると、
「高歓を斬ったらこの矢文に従って賞したるで」
と裏側に書きなぐり、城外に射返したのです。
これは、居並ぶ将兵も痺れたでしょうねえ。
韋孝寛カッコイイ!
▼カッコワルイ断られ方。
ここまでカッコ良く返されてしまいますと、
祖孝徴もスゴスゴと退かざるを得ません。
城内の士気は逆に上がったんじゃないですかね。
やはり、上がカッコイイと下も燃えます。
ついに、
高歓は最後の手段とばかりに奇策に出ます。
これはねえ、カッコワルイ。
一番やってはイカンというか、
評判が下がるというか。
一か八かだったんでしょうけど。
窮して判断力が鈍っていた
とも考えられますね。
孝寬弟子遷,先在山東,
又鎖至城下,
臨以白刃云:
「若不早降,
便行大戮。」
孝寬慷慨激揚,略無顧意。
士卒莫不感勵,人有死難之心。
孝寬の弟の子の遷は先に山東に在り、
又た鎖して城下に至らしめ、
臨むに白刃を以ってして云えらく、
「若し早く降らざれば、
便ち大戮を行わん」と。
孝寬は慷慨激揚するも、
略々顧みるの意なし。
士卒は感勵せざるなく、
人々は難に死するの心あり。
史書には残っておりませんが、
韋孝寛には弟がいたそうです。
その弟は山東にありました。
このあたりからも、
父の韋旭が爾朱政権に関与していた疑い濃厚です。
韋孝寛は変則的な任用だったので、
爾朱政権に関わっておらず、
兄の
しかし、
韋孝寛とそれほど歳が離れていなかったであろう
弟が山東にいたわけです。
推測するに、
韋旭の死後、韋孝寛の弟が父に代わり、
爾朱政権に従っていたのでしょう。
その弟は洛陽にいて孝武帝の長安逃亡に従わず、
洛陽に残って高歓に従った。
結果、鄴に移住したものと見られます。
おそらく、
弟は早くに亡くなり、
その子の
年の頃は十代半ばでしょうか。
その韋遷を縛って城下に連れ出し、
白刃を突きつけて投降を促したわけですね。
「すみやかに降らねば、コヤツの命はないぞ」
まったくまるっとコンプリートにワルモノです。
大丈夫か、東魏軍。
当時の人々が人生の基盤を一族に置いていたことは散々に触れたとおりです。当然、韋孝寛としても弟の子を見殺しにできるはずはございません。
しかし、
心を鬼にして韋遷の命を顧みず、
呼びかけには応じなかったそうです。
一連の遣り取りは衆人環視の中でしょうから、
玉壁城の将兵には周知のことだったはずです。
勇将の下に弱卒なし、と申します。
一族の者を捨てても玉壁城を守り抜くという韋孝寛の決意に将兵の士気はいやが応にも高まらざるを得ず、ついにこの戦で死んでもよいと思うまでになったと史書は伝えます。
こうなると、
ちょっとやそっとのことで城は落ちません。
まして、
高歓は万策が尽きており、
もはや打ち手も残されていなかったのです。
まさに、
高歓のライフはほとんどゼロ
になっていたわけです。
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