韋孝寬⑦遊侠出身者とはちょっとソリが合いませんでした。

以下は余談になります。


韋孝寛が弘農太守だった頃、

洛陽の南の伊闕あたりに

李長壽りちょうじゅという人がありました。

その娘婿は韋祐いゆう、字を法保ほうほといいます。


韋祐の出自は同じ京兆でも山北さんほく

杜陵ではありませんが、

おそらく遠縁ではないかと思います。


この人と韋孝寛の絡みがちょっと面白いので、

ご紹介します。



『周書』韋祐伝

及長壽被害,

其子延孫收長壽餘眾,

守禦東境。

朝廷恐延孫兵少

不能自固,

乃除法保東洛州刺史,

配兵數百人,以援延孫。

法保至潼關,

弘農郡守韋孝寬謂法保曰:

「恐子此役,難以吉還也。」

法保曰:

「古人稱不入虎穴,不得虎子。

安危之事,未可預量。

縱為國殞身,亦非所恨。」

遂倍道兼行。


 長壽の害を被るに及び、

 其の子の延孫は長壽の餘眾を收め、

 東境を守り禦げり。

 朝廷は延孫の兵少なく

 自ら固める能わざるを恐れ、

 乃ち法保を東洛州刺史に除して

 兵數百人を配し、以て延孫を援けしむ。

 法保の潼關に至るに、

 弘農郡守の韋孝寬は法保に謂いて曰わく、

「恐るらく、

 子は此役に吉を以て還り難きなり」と。

 法保は曰わく、

「古人は虎穴に入らずんば虎子を得ず

 と稱す。

 安危の事は未だ預め量るべからず、

 縱しんば國の為に身を殞とすも、

 亦た恨む所にあらず」と。

 遂に道を倍して兼ねて行く。



東魏の侯景の軍勢に抗った李長壽が殺害され

子の李延孫りえんそんという人が跡を継ぎ、

東魏に抵抗を続けていました。


何をしていたかと言うと、

洛陽から長安に逃れる皇族や貴人、

それにその妻子を受け入れ、

おそらく藍田関を抜けて

関中まで送り届けていたようです。


要するに、

長安の朝廷に身を投じる人のための

通路になっていたのです。


東魏としてはけっこうジャマに

感じていたらしく、

今度は慕容紹宗や劉貴りゅうきたちを

平定のために遣わします。


当然、

李延孫は抵抗を続け、

西魏の朝廷も韋祐を東洛州とうらくしゅう刺史に任じ、

加勢に向かわせたようです。


韋祐は李長壽の娘を娶っていますからね。

人選としてはぴったりです。


この人も豪族の出自ながらけっこう型破りで、

亡命者やヤクザ者と交友していたようです。


そのため、

度々官に追われる身となりながら、

行いを改めなかったと史書に記されています。


いわゆる、遊侠というヤツだったのですね。


その韋祐が潼関に入った際、

迎えた韋孝寛と次のような会話をしています。


韋孝寛

「この度の出征で無事に帰るのは難しかろう」

韋祐

「虎穴に入らずんば虎子を得ずという。

帰れるかはやってみなくては分からない。

もし国事に命を落としたとしても、

恨むところはない」


韋祐は国家の命を受けて出征するのですが、

韋孝寛は冷ややかな言葉をかけています。


これが、

韋祐の身を心配してなのか、

情勢を判断してなのかは分かりません。


いずれにせよ、

韋孝寛は命令を唯々諾々と

承るタイプの人ではなかったのでしょう。


そういえば、

ちょっと官僚肌の韋孝寛は遊侠の韋祐と

ソリが合わなさそうな気もします。


それにしても、

出征前の人になんつーことを言うんだろう。


出征した韋祐は劉貴の兵を破って

李延孫の軍勢と会し、

無事に引き揚げました。


しかし、

以降も東魏との戦を繰り返し、

李延孫ともども陣没することとなります。


韋孝寛と話したのも、

おそらくは

これが最初で最後だったでしょう。

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