韋孝寛⑤風流人で客好きなのにニートな兄上=韋敻、登場。
韋孝寛が官途に就いた経緯は変則的です。
韋氏のような豪族であれば、
朝廷や州郡にスカウトされるのが通常です。
王羆さんも王思政さんもそう。
それでは、
朝廷は杜陵の韋氏をスカウトしなかったか
と言えば、そんなはずもありません。
最初にちょろっと触れましたけど、
韋孝寛には兄があります。
姓名を
長子だったようですので、
韋氏の家長はこの人ということになります。
ただこの人、
少々困った人でもあったようですよ。
『周書』韋敻伝
韋敻字敬遠。
志尚夷簡,澹於榮利。
弱冠,
被召拜雍州中從事,
非其好也,
遂謝疾去職。
韋敻、字は敬遠。
志は夷簡を尚び、榮利に澹し。
弱冠にして
召を被りて雍州の中從事を拜するも、
其の好みにあらざるなり。
遂に疾を謝して職を去る。
字を敬遠と名乗っております。
何を敬遠したのかという話ですが。
老荘チックな思想にカブれ、
名誉や利益への関心が薄かったようです。
要するに、
なので、
世塵を嫌って「敬遠」したのでしょう。
隠遁思想とは、
世俗を離れて深山幽谷で清らかに暮らしたい
という、
一般の漢人の考え方とは真逆な思想です。
とはいえ、
漢人士大夫は、政治の場では儒教、
日常の暮らしでは老荘
という感じで考え方を切り分けており、
こういう思想にカブれる人は
それほど珍しくありませんでした。
ちょっと不思議な感じもしますけど。
字をつけるのは十代のはずなのですが、
その頃からカブれていたわけですか。
とはいえ豪族ですからね、
当然のように土地もあれば奴僕もおります。
暮らすに困るようなことはありません。
その韋敻、
弱冠の頃に雍州の中從事となり、
官途に就きます。
しかし、
「自分のやりたいことと違う」という
自分探し真っ只中な理由でもって
職を辞してしまいます。
しかも仮病で。おいおい。
さらに、
その後も州郡から十回もスカウトされ、
すべて断ったそうです。
筋金入りのニートとお見受けいたしました。
さて、
韋敻の暮らしぶりを史書が伝えております。
1500年前の暮らしぶりが分かるのですから、
史書もなかなかに便利なものです。
『周書』韋敻伝
所居之宅,枕帶林泉,
敻對翫琴書,
蕭然自樂。
時人號為居士焉。
居る所の宅、林泉に枕帶し、
敻は對して琴書を翫び、
蕭然として自ら樂しむ。
時人は號して居士と為せり。
周囲を林に囲まれた家の庭に泉を引き、
暇があれば庭に面した部屋で
琴を弾いたり
書を読んだり、
楽しんでおったようです。
南朝の風流人のような暮らしぶり
と言えるかも知れません。
杜陵から南にいけば
呼ばれる山々がありますから、
そちらに引っ込んでいたように思われます。
閑静な暮らしを愛したのでしょうけど、
韋氏の家事は家長の仕事です。
土地と奴僕がいるなら、
僮僕に田や菜園を耕作させて収穫したり、
小作人を監督せねばなりません。
そういう仕事もおそらくは
一族の者にやらせていたんだろうなあ。
絶対やりそうにありませんから。
ちなみに、
韋孝寛の舅の楊侃が属する弘農楊氏は
一族100人ほどが同居していたそうです。
南北朝時代、
江南では子が成人すると実家を出て
親と別居する例が多かったようですが、
河北では成人後も同居が多数派らしい。
このあたりは顔之推『顔氏家訓』に
両者を比較して論じられています。
おそらく
杜陵の韋氏も100人までいかずとも、
50人以上は同居していたんじゃないかな。
それなら、
ニートな韋敻を働かせずとも、
実務に秀でた人もいたでしょうから、
その人が溜息でも吐きながら
実務を担っていたのでしょうね。
官途に就かず、
豪族社会にも属さず、
自分の好きなことをして暮らしていた。
NEETの夢。
そういう人なので、
世の人は韋敻を「
この「居士」は仏門に入った人
というわけではなく、
世の枠組みから外れた人を呼んだようです。
用例を見ると、
仏教との関わりも否定できないのですけど、
この人は仏教色はそれほどなさげです。
ただ、
後年に『
論文を著して儒仏道三教を論じてもいます。
韋敻の理解では、
三教はすべて善に帰するものであり、
道筋に深浅があるのみであるとし、
それらに優劣はないとしています。
これ、
実は仏教道教を排斥したいという
朝廷の意向を知りながら、
その命を無視して著したものでもあり、
おそらく本心から出たものと思われます。
ここでウソまで吐いて
朝廷に逆らったところで、
一文の得もありませんからね。
なので、
士大夫ですから儒教は当然として、
仏教や道教の知識も相当であった
と考えてよいのでしょう。
ホントにニートみたいだなあ。
しかし、
それらの知識を蔵しつつもむしろ、
この人を世人に印象づけたのは
客好き&酒好きだったようです。
『周書』韋敻伝
至有慕其閑素者,
或載酒從之,
敻亦為之盡歡,
接對忘倦。
其の閑素を慕う者ありて、
或いは酒を載せて之に從うに至らば、
敻に亦た之が為に歡を盡くし、
接對して倦むを忘る。
韋居士は世との交わりを
絶ったのではありません。
その静謐な暮らしぶりに
憧れて訪問する者があれば、
特に酒を持参で来れば、
一緒に宴会して楽しんでおったようです。
接待して倦むを忘れるってえんですから
けっこうな客好きです。
つまり、
韋孝寛のご実家の当主はこういう人であり、
なんと言うか、
世の名門豪族とは赴きが違ったわけです。
世の枠組みから外れた兄がいたというのも、
韋孝寛の面白いところであります。
以降、
その列伝も差し込んでいきたいと思います。
しかし、
弟が蕭寶寅の叛乱を報せに
洛陽に馬を走らせるにあたり、
兄上は何をしていたんでしょうねえ。
この二人の対比は味わい深いものがあります。
いやー、韋孝寛、なかなかの苦労人ですよね。
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