王思政③デスゲームとしてのチンチロリン
▼王思政、チンチロリンに本気を出すのこと
マジメな人はコワイ。
あるキッカケがあると、
破滅的行動をとる場合があります。
史書に名を遺す人というのは、
その傾向があるとは思います。
そもそも、
自らの命を的に生きている人たちですから。
どうやら王思政にも
そういう一面があったらしいです。
しかも、
キッカケはチンチロリン。賭博。
▽
『周書』
大統之後,思政雖被任委,
自以非相府之舊,
每不自安。
太祖曾在同州,與羣公宴集,
出錦𦋺及雜綾絹數段,
命諸將樗蒱取之。
物既盡,
太祖又解所服金帶,
令諸人遍擲,
曰:
「先得盧者,即與之。」
羣公將遍,莫有得者。
次至思政,
乃歛容跪坐而自誓曰:
「王思政羇旅歸朝,
蒙宰相國士之遇,
方願盡心効命,
上報知己。
若此誠有實,
令宰相賜知者,
願擲即為盧;
若內懷不盡,
神靈亦當明之,
使不作也,
便當殺身以謝所奉。」
辭氣慷慨,一坐盡驚。
即拔所佩刀,
橫於膝上,攬樗蒱,
拊髀擲之。
比太祖止之,
已擲為盧矣。
徐乃拜而受。
自此之後,太祖期寄更深。
轉驃騎將軍。
令募精兵,從獨孤信取洛陽,
仍共信鎮之。
大統の後、思政は任委を被ると雖も、
自らの相府の舊にあらざるを以て
毎に自ら安んぜず。
太祖は曾て同州に在りて羣公と宴集し、
錦𦋺及び雜綾絹數段を出し、
諸將に命じて樗蒱して之を取らしむ。
物は既に盡き、
太祖は又た服する所の金帶を解き、
諸人をして遍く擲たしめ、
曰わく、
「先に盧を得れば、即ち之を與えん」と。
羣公は將に遍くせんとするも、得る者あるなし。
次は思政に至り、乃ち容を歛め、
跪坐して自ら誓いて曰わく、
「王思政は羇旅して朝に歸し、
宰相に國士の遇を蒙る。
方に心を盡くして命を効し、
上は知己に報いんと願う。
若し此の誠に實あり、
宰相をして知り賜わしむれば、
擲ちて即ち盧を為すを願う。
若し内に不盡を懷き、
神靈も亦た當に之を明らかにすべくんば、
作なさざらしむるなり。
便ち當に身を殺して以て奉ずる所に謝すべし」と。
辭氣は慷慨にして一坐は盡く驚く。
即ち佩する所の刀を拔き、
膝上に橫たえて樗蒱を攬り、
髀に拊きて之を擲つ。
太祖の之を止むるに比び、
已に擲ちて盧を為せり。
徐に乃ち拜して受く。
此よりの後、太祖の期寄は更に深し。
驃騎將軍に轉ず。
精兵を募らしめ、獨孤信の洛陽を取るに從い、
仍りて信と共に之に鎮ず。
△
廟号は太祖。
なもんで、史書では
太祖とか
呼ばれます。統一しろよ。
すなわち、
宇文泰はここにおりました。
ということは、この頃、
王羆さんは河東に飛ばされていますね。
なんとなくカワイイですが、
リッパな賭博です。
双六みたいなもので、
五枚の板の表を白、裏を黒に塗り、
うち二枚の白面に牛字を書いてます。
そいつをブン投げ、
サイコロの代わりにします。
牛の字二枚に残り三枚が黒の目を指し、
双六では十六マス進んだそうです。
当然、もっとも難しい目です。
六のゾロ目みたいなもん。
ポーカーにおける
ロイヤルストレートフラッシュ
とかそういう感じ。
で、
同州で宴会した際に
宇文泰は興が乗ったのか、
数段の反物を出し、
「樗蒲して勝ったらくれてやる」
と言ったわけです。
ちょっと待て。
数段ってスゲー少ないぞ。
両手で持てるレベル。
そんなんで座が盛り上がるのでしょうか。
ちなみに、
『北史』だと「数千段」です。
しかし、
宇文泰はケチっぽいから数段もアリ。
ってか数段の方が宇文泰っぽい。
座興というか余興というか、
そんな感じです。
遊び遊び。
それで反物がなくなると、
さらに自らが締めていた金帯を解き、
「樗蒲を投げて
とやったわけです。
帯は前あわせの服を締めております。
それを解いた、と。
前がカパッと開きますわね。
お好きな方にはたまりません。
これも座興ですよね。遊びです。
半裸の宇文泰の前ながら、この時期、
マジメな王思政は思いつめていたっぽい。
経緯から分かるとおり、
王思政と
孝武帝の腹心であったわけです。
その孝武帝は大統年間の前に崩御済み。
というか、
長安に遷って次の正月を迎えていない。
宇文泰に
と言っても過言ではありません。
王思政は孝武帝派と目されていました。
その孝武帝はすでにない。
宇文泰に疑われているんじゃないか、
と不安になってもムリありません。
そのため、
エクストリームな行為に出ます。
メンヘラ気味。
マジメな人が思い詰めるとコワイ。
「盧が出たらこの金帯をやるよ」
と言われたにも関わらず、
順番に樗蒲を投げても盧が出ない。
王思政の番となりました。
すると、
いきなり剣を抜いて膝の上に横たえ、
「オレが宰相を思う心が偽りなら
盧は出ない。盧が出なかったら死ぬ」
とか言い出したわけです。
一座が愕いたのは当然でしょう。
つーか、ドン引き。
なんだコイツ。
しかも、
宇文泰が止める間も与えず
樗蒲をブン投げます。
出た目は
黒
黒
黒
牛
牛
すなわち、盧。
事なきを得たわけですが、
盧が出なかったら
自ら首を刎ねていたんでしょうか。
アブナイ。
情緒不安定にもほどがあります。
宴会の席です。
座興です。
空気読め。
それより、
宇文泰は王思政を深く信用しました。
つまり、
孝武帝派のレッテル離脱に大成功。
やったね!
メンヘラ行為もやってみるものです。
しかし、
宇文泰もちょっとおかしい気がします。
そんな情緒不安定を信用していいのか。
どうもこの君臣は何か間違っている。
その後、
沙苑の役の後、
王思政はそれについて行ったようです。
▼王思政、河橋の戦でモ☆ン☆ゼ☆ツ☆するのこと
モ☆ン☆ゼ☆ツ☆に深い意味はない。
文字通りの「悶絶」です。
しかし、
王思政がメンヘラ中年男性であるが、
大武辺モノだったという逸話です。
▽
『北史』
及河橋之戰,思政下馬,
用長矟左右橫擊,一擊踣數人。
時陷陣既深,
從者死盡,
思政被重創悶絕。
會日暮,敵亦收軍。
思政久經軍旅,每戰唯著破衣弊甲,
敵人疑非將帥,故得免。
有帳下督雷五安於戰處哭求思政,
會已蘇,遂相得。
乃割衣裹創,
扶思政上馬,
夜久方得還軍。
仍鎮弘農,除侍中、東道行臺。
河橋の戰に及び、思政は馬を下り、
長矟を用て左右に橫擊し、一擊して數人を踣す。
時に陣を陷れること既に深く、
從う者は死して盡き、
思政は重創を被りて悶絕せり。
會ま日は暮れ、敵も亦た軍を收む。
思政は久しく軍旅を經て、
戰の每に唯だ破衣弊甲を著る。
敵人は將帥にあらざるかと疑い、故に免るを得る。
帳下督の雷五安ありて戰處に哭きて思政を求め、
已に蘇るに會い、遂に相う得る。
乃ち衣を割きて創を裹み、
思政を扶けて馬に上らしめ、
夜久しくして方に軍に還るを得る。
仍りて弘農に鎮し、侍中、東道行臺に除せらる。
△
時は大統四年(538)、
河橋の戦です。
獨孤信が占拠していた洛陽を高歓が攻め、
宇文泰が救援に向かって一進一退の攻防を
繰り返したものの最後は敗れた一戦です。
この時、
河東にいた王羆さんは城門を開き、
「かかってこいやあ」
とやっておりました。
一方、
王思政は洛陽にあり、
戦に参戦しておりました。
どうやって戦ったかと言うと、
馬から下りて長鎗を振るい、
一撃で数人を吹き飛ばした、と。
『花の慶次』かよ。
それで、
敵陣深くまで突撃して周囲を囲まれ、
重傷を負ってモンゼツしたわけです。
つまり、ブッ倒れた。
しかも、従う兵は全滅したくさい。
大将失格や。
戦場ですから周囲は死体ばかり。
その中でモンゼツしていたら、
まあ死体だと思われるでしょう。
しかも、鎧がボロで大将に見えない。
日暮れに東魏の兵は王思政を放置し、
撤収します。
で、
戦死したものと思い込み、
形見の品を捜しにきます。
しかも、大泣きしながら。
あまりのやかましさに
王思政は意識を取り戻し、
助けられて陣に還りました。
めでたしめでたし。
といっても、
河橋の戦は実質的に西魏の敗戦です。
先の
捕虜にした東魏兵が
ご案内のとおり。
それらは平定されますが、
洛陽まで押さえた東魏に対し、
気がついたら隣が東魏やないかい。
王思政はこの敗戦の後、
弘農の鎮守を命じられました。
この時から、
弘農は東魏と西魏の最前線の一つになったのです。
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