第7話 夢と掌
隼人が、死ぬ夢を見る。ずっと昔から何度も、何度も繰り返し、俺はその夢を見ている。
毎日見るわけじゃないし、ずっと見ない事もある。だけど、それでも酷い回数の隼人の死を俺は見ていた。初めて見たのはいつだか覚えていない。ただ、気が付いた時にはもう見ていたんだ。
海に沈んで死ぬ隼人、首を切って死ぬ隼人、ビルから飛び降りて死ぬ隼人、知らない女の子に殺される隼人。隼人は、色々な方法で死んでいく。泣きながら笑って死んでいく。
俺はいつだってそれを見ているだけで、止めることはできない。唯々、目の前で隼人が失われる喪失を、悲壮を、絶望を、恐怖を与えられる。繰り返し、繰り返し。
自殺が多くて、それは特にきつかった。自分で自分を殺そうとする隼人の表情は酷く綺麗で、泣き叫びたくなるほど悲しいものだったから。
幼い頃は訳が分からなかった。だって夢で死ぬ隼人は外見こそ似てたけれど、皆大人だったから自分の親友の隼人だとは思わなかったんだ。いや、思いたくなかったんだと思う。
ただそれでも夢で死んでしまう隼人が可哀想で、起きた時に少し泣いた。ちょっと怖い、悲しい夢。そんな認識だった。
だけど成長するにつれてだんだん夢の中の隼人に近くなっていく自分の親友に、俺は思うようになってしまったのだ。隼人はもしかしたら夢の中の隼人のようにいつか死んでしまうんじゃないかって。
そう思うようになってからは地獄だった。夢を見るたびに心が悲鳴を上げる。耐え難い痛みが、喪失が俺を襲う。
重ねてはいけない、俺の隼人はこんな事をしないと思おうとしても目の前で隼人が死ぬ。そうしたらどうしようもなかった。どうしても親友が命を絶っているように見えて息が、できなくなってしまう。
手を伸ばしても触れられないで、ただ何度も隼人は死ぬ。俺は隼人を助ける事は出来ない。死ぬ直前に隼人は、俺の名前を呼んでいるように見えるのに。どうして。
それでも回数が少ない時はよかった。悪い夢を見たのだと、馬鹿な夢を見たのだとごまかして、朝迎えにきた隼人の姿を見てこっそり安堵のため息を吐くだけで済んでいた。
だけど年を追うごとに、夢の頻度は上がっていった。時には一週間連続で見たりもして、そうなると俺は眠るのが怖くなってしまって寝不足になる日が増えていった。
毎日世界がくらくらしていて、今自分が立っている場所が夢か現実かも危うくなっていた。
夢と現実が混ざる。さっきまで笑って隣にいた隼人が気が付いたら床で血まみれになっていたり、授業を受けていたはずなのにいつの間にか隼人が沈む海を見つめていたりする。
その度に悲鳴を上げてベッドから転がり落ちたり、倒れて保健室に運ばれたりして隼人に酷く心配された。
隼人が悲しそうに大丈夫かと問うてくるのに、俺はお前が夢で死ぬんだなどとは言えずいつも曖昧にごまかしていた。だってあれは、ただの夢なのに。
隼人は弱った俺を心配して、ずっと傍にいてくれる。その顔を見ただけで涙腺が壊れてしまったかのように泣いてしまう事も何度もあった。そんな時、隼人は何も聞くことなく、ただ俺が泣きやむまでそっと抱きしめてくれた。その温度が優しくて、失われるのが怖くて俺も縋るように隼人を抱きしめて泣いた。
眠ってしまうのが怖かった。隼人が死んでしまうのが怖かった。隼人は、俺の親友で大切な人で。失いたくない。誰にも、神様にも渡したくなんかない。どうしたら、隼人は奪われないんだろう。どうしたら、こんなに苦しい日々は終わるんだろう。
夢は、もう毎夜のように見ていた。何度見ても喪失も絶望も鮮やかなまま俺の心を抉っていくんだ。毎日、繰り返し繰り返し、何度も何度も。
隼人を失う痛みに、俺はもう耐えられなくなっていた。もし本当に俺の隼人を失う事になってしまったらと思うと息ができないほど苦しかった。泣き叫びたくなるほど辛かった。
だから、だから俺は隼人をもう誰にも奪わせないようにしようと、そう思ったんだ。
「はっ……あっ……」
俺の両手の下で隼人の白い喉がひゅうと鳴る。ぎゅうと力を込めるたびに、隼人の口からは小さな呻き声が漏れて放課後で誰もいない教室に響いた。
教室の床に押し倒され、俺に首を絞められた時、隼人は驚きに目を見開いたが抵抗はしなかった。ただいつものように静かに笑って俺を受け入れてくれた。
どくり、どくりと指先に触れる皮膚の下から脈拍が伝わる。温かい温度が掌全体から伝わる。その事に、俺は酷く安堵した。
なかなか絞める事ができなくて、必死になって力を込めるたびに隼人は苦しそうに眉根を寄せるが、それでも隼人は笑って俺を見ている。泣きつく俺を見るような、そんな優しい顔で微笑んで俺を見つめている。
気が付いたら俺は泣いていた。ぼろぼろぼろぼろと大粒の涙が降り注ぐ中、隼人は俺の手にそっと自分の手を重ねて、掠れた声で俺の名前を呼んで泣きながら笑った。
「――、すきだよ……だからぼくを、きみのえいえんにして」
それを聞いた後はもうどうしたのか覚えていない。無我夢中で手に力を込めて、気が付いたら隼人は息をしていなかった。青い顔で優しく微笑んだまま、動かなくなっていた。
「はやと、はやと……」
返事が返ってこないのは分かっていた。それなのに、俺は隼人に呼び掛ける。体を揺する。
奪ったのは俺だ。奪われたくないと、隼人を手に入れるにはこれしかないのだと首を絞めて隼人を殺したのは俺だ。これは正しかった。こうしなければならなかった。
それなのに、何故。
「はやと……はやと……」
俺はこんなにも泣いているんだろう。こんな喪失感を感じているんだろう。
ただ、名前を呼んでぼろぼろと涙を零す。息が苦しい。
なんで、なんで。どうしてこうなっちゃったんだ。隼人、隼人。俺は、ただお前を失いたくなかっただけなのに。傍にいて、笑っていて欲しかっただけなのに。どうして。
掌にはまだ隼人の首を絞めた感覚が生々しく残っている。隼人の名残が、まだそこに息づいている。きっとこの感覚を俺は一生忘れる事はないんだろう。
俺は感覚の刻みつけられたその手で隼人の冷たくなってしまった手をそっと握りしめた。
「隼人、これでもうお前は誰にも奪われないよ」
答えが返ってこないのは分かっていて、俺は眠る隼人の首筋へと指を這わす。俺の手の形に赤くなった痕が白い首筋に映えていてとても綺麗だった。
その痕に引き寄せられるように俺は隼人の首筋に顔を寄せ、そっと口付けを落とす。
その瞬間に、俺は気が付いたのだ。隼人へ向ける自らの感情に。気が付いてしまった。気が付いたところで自分を傷つけるだけだったのに。
あまりの滑稽さに俺は泣き笑いながら、隼人の手を抱きしめた。
「隼人、俺もお前が好きだよ……ずっとずっと、愛してたんだ」
回る隼人 鈴音 @kamaboko_rinne
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