第6話 愛の代償

隼人君が死んだ。

誰よりも優しく、儚く、綺麗だった彼は私達の目の前であっけなく死んだ。まるで空でも飛ぶように、高い高いビルの屋上から隼人君は泣きながらも微笑んでその身を空に投げ出した。

「さようなら、ずっとそばにいたかったよ」

そう言って、隼人君は自らを殺したのだ。夢見るように、嘘みたいに綺麗に。彼が叩きつけられたはずのアスファルトは一面に赤い花が咲いているようで、それすら美しかった。

茫然と立ちつくす私の目の前で、隼人君の親友で、私の夫で、私の最愛の人で、隼人君の愛した人ががくりと膝を折る。彼も茫然と見開いた瞳で赤い花を見ていた。嘘だと、こんなのは受け入れられないのだと、その顔には書いてある。

本当に、彼は気が付かなかったのだ。隼人君の愛に、私の浅ましい独占欲が引き起こした罪に。

――隼人君は私が殺してしまったのだと、私達が愛したあなただけが知らない。



隼人君は綺麗な人だった。中性的な顔立ちで、色素の薄い茶色い髪と同じ色の瞳がいつだって優しそうで。その上華奢で肌も白くて、綺麗な紅い唇をしていたからまるでお人形みたいだと私はいつも思っていた。

隼人君に会ったのは大学で、たまたま授業の班が一緒だったから仲良くなった。内気で少し引っ込み思案なところがあるけれどいつだって優しくて、まるで夏の木陰のように穏やかな人だった。いつだってそっと微笑んで、静かに受け入れてくれるような、そんな人。

だから、隼人君と友達になれたのは私にとってとても幸せだった。隼人君と一緒にいる間のゆっくりと、優しい時間が堪らなく好きだったから。ずっとこうして私達は仲の良い友達でいるのだと思っていた。そんな隼人君との毎日を私は愛していたから。

それなのに、私はあなたに出会ってしまったのだ。強い意志を持つ、きらきらと輝いた瞳のあなたに。私は、あなたを好きになってしまった。どうしようもなく惹かれてしまった。

私はあなただけは好きになってはいけなかったのに。どうして好きになってしまったのだろう。だってあなたは、隼人君の好きな人なのに。

隼人君がどれだけあなたを好きなのか、言葉の端々に聞いて私は知っていた。ずっと昔から好きなのだと、きっと隼人君は彼のために生きているのだと知っていた。それでも思いを秘めて、隼人君は彼の幸福だけを願っているのだと私は知っていたのに。それなのに。

なんで、どうして。そう思っても、何度諦めようと思ってもあなたへ心は奪われたままだった。息をするのも苦しいほど、私はあなたを愛してしまっていた。

触れて欲しい、声が聞きたい、笑って、名前を呼んで、私の、私だけの物になって欲しい。

そんな浅ましい独占欲が、執着が私の身を焦がした。気が狂うようなその熱と痛みに負けて、私は罪を犯したのだ。私は、あなたを手に入れてしまった。

それによって隼人君がどれほど苦しむのか、泣くのか分かっていたのに。それなのに、私は自らの欲望に負けたのだ。自分勝手な理由で、隼人君を傷つけた。私の大切な友達だったはずの隼人君を傷つけた。これを罪と呼ばないで、なんと呼べばいいんだろう。

平凡に生きてきた私にこの罪はあまりに重すぎた。だから、出来るだけ見ないようにして、気が付かない馬鹿のふりをして生きてきた。そうやって、私はずっと痛みから逃げていたんだ。



隼人君はそれを許してはくれなかったみたいだ。

私は紅い花に群がる人の群れを、茫然自失の体で地面を見つめるあなたを見ながら思う。

こうやって私に罪を突き付けて、罰を思い出させて。これからの人生すべてを掛けてその罪を償うのだと言うのか。重い、痛いほどの枷が私を縛っている。もう、逃がしてはくれないのだろう。罪を犯して手に入れた愛しいあなたも、今ではその罪の象徴でしかない。

あなたは可哀想な人だと、私は思う。

私はあなたもまた隼人君を愛していたのだと知っていた。あなたは気が付かなかったけれど、あなたは隼人君を愛していた。だから、少し外見が似ているだけの私に好意を持ったのに。本当に、可哀想な人。

あなたはきっとこれから私を見ては隼人君を思い出して苦しむんだろう。私が、あなたを見ては隼人君を思い出して苦しむように。

誰よりも愛しい、可哀想なあなた。そんなあなたが好きで、大好きで、私は罪を犯したの。

私の頬を生ぬるい滴が伝う。嗚咽が喉を震わす。耐えきれなくなってぎゅっと閉じた瞼の裏には、泣き笑いで落ちていく隼人君の姿がこびりついていた。





――ああ、私にとっての世界は今日、贖罪のための地獄になったのだ。

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