第72話 あなたの名前を。私の名前を。

 姉ちゃんが満足して教室から去った後、俺は柏木から事前に言われていた通り、少し早めの休憩をもらった。ただ、服を着替えさせて貰えなかったのは誤算だったが。

 宣伝にもなるからと言われてしまえば、首を横には振れなくなる。宣伝必要ないくらい繁盛してると思うんですけどね。

 そんなこんなで、執事服のまま葵のクラスへ向かう道中。校内にいる生徒や父兄、よそから来た客の誰もが色めき立ち、楽しそうに騒いでいる。年に一度のお祭りだ。そりゃみんな浮かれもするだろう。かく言う俺も、そんな浮かれてしまっている一人なのだが。

 しかし、予想通りというか。この格好だと周囲からの注目を集めてしまう。俺以外にも奇抜な格好をしているやつはいるはずなのだけど、何故か周囲の、特に女子の視線がこっちに刺さる。

 まあ、これも俺がイケメンゆえに致し方ないことなんだろうけどな! そう思わないとやってられねぇわ。

 一度校舎を出ると、外では幾つもの屋台が立ち並んでいる。タピオカだとかクレープだとかかき氷だとか、売っているものは様々。中には射的なんかもあって、マジでそこら辺の祭りとか縁日とかと大差がない。

 しかし、やっていることは変わらずとも、やはりそのノリは学生特有のものだ。楽しければなんでも良し。ちょっとくらいならルールを逸脱しても許されるだろう。なんて、バカな考えが透けて見える。

 そんな屋台を眺めながらも辿り着いたのは、校舎の日陰になりつつも、校舎の中へ入るには必ず通らなければならないと言う絶好の場所に位置している四組の屋台。たしか、焼きそば売ってるんだったか。

 屋台には長蛇の列が出来ており、最後尾には四組の生徒が最後尾札を掲げて持っているほど。文化祭実行委員として配られた資料を思い出してみれば、なるほどこの行列も納得だ。なにせ、今年の文化祭は昼飯になるようなものを売っている屋台が少ない。

 俺たちのような教室で喫茶風にするのなら、基本飲み物だけ。他の屋台もどちらかと言えばスイーツ系が多かったはずだ。成長盛りの学生にはそれだけではキツイだろう。

 あの人はその辺のことも考えて焼きそばの屋台にしたんだろうか。

 なんて思いながら、さてどうやって葵にコンタクトを取ろうか考えていると、屋台の中から出てきた一人の女子と目があった。

 俺も知ってるやつ。葵の友人である古渕舞だ。


「あ、大神くん。もしかして夜露ちゃん迎えにきた?」

「おう。そのつもりだったんだが……」

「どうしたの?」

「いや、四組はクラスティーシャツ作ったんだな、と」


 古渕はいわゆる、クラスティーシャツというやつを着ていた。青いシャツに背中にはクラスメイト全員の名前がプリントされてるやつ。たしか、去年は俺も貰った気がするし、文化祭中も着てた気がする。今どこにいったのかは知らんけど。


「そういう七組は作らなかったんだ?」

「うちはこれに予算回したからな」


 言って、自分の着ている執事服を指差す。本来ならクラスティーシャツ用に割り当てられていた予算を全て使い、この執事服を手配したのだ。

 いや、個人的にはクラスティーシャツ作ってくれても良かったんですよ? でも柏木さんが強行しちゃったから……。


「へー。似合ってるね」

「そりゃどうも」

「あとは伊能くんと柳くん、坂上くんだっけ? イケメンばっかだなー」


 ぐふっ、と。女子が浮かべてはいけない類の笑みを見せる古渕。背筋に悪寒が走った。

 そういえばこいつ、腐ってるんだったな……。


「なあ古渕。つかぬ事を尋ねるんだが」

「なに?」

「後輩女子に、俺と朝陽について変な噂流したり、してないよな?」

「アハハーナンノコトカナー」

「やっぱお前かよ!」

「私、夜露ちゃん呼んでくるね!」


 スタコラサッサと屋台の中へ逃げられた。まさか身近に元凶がいたとは……大丈夫かな、ある日急に葵が腐女子街道突き進んだりとかしないかな……いや、そういう趣味を否定するわけじゃないけど、葵にはまだちょっと早いかなーって。

 恋人の友人関係を割と本気で心配していると、その当人である葵が屋台の中から出てきた。彼女は俺を見て一瞬驚きに目を丸め、しかしすぐに笑顔を浮かべてこちらに駆け寄ってくる。


「真矢くん!」

「よっ。結構繁盛してるな」

「はいっ」


 クラスティーシャツを着た葵は元気よく返事をして、やはりいつもより少しテンションが高く感じる。楽しんでいるようならなにより。

 けれどこの行列を見ていると、葵を連れて行くのは四組の連中に若干申し訳なさを感じてしまう。


「忙しくないのか?」

「丁度もう少しで私も休憩でしたから、気にしなくて大丈夫ですよ。作り方や食材の扱い方は一通りレクチャーしてますから」

「そうか。んじゃ、行くか」


 手を差し出してみたものの、しかし葵はそこに自分の手を乗せず。モジモジチラチラと俺の顔を見ているのみ。不思議に思って首を傾げていれば、あの、と改まったように声を出す。よく見れば、頬も少しだけ朱に染まっていた。


「どうした?」

「いえ、その……」

「あー、もしかして、この服のことか?」


 心当たりなんて服しかなかったので尋ねてみれば、コクリと小さな頷きが。

 この反応を見るに、わざわざ言葉を聞くまでもなさそうだ。が、好きな女の子には意地悪したくなるのが男の性というもので。

 ゴホン、と咳払いを一つして、芝居掛かった口調で聞いてみた。


「いかがでしょうか、お嬢様の好みにあえばよろしいのですが」

「お、お嬢様って……も、もうっ、真矢くん、からかってますよね!」

「滅相もございません」

「だったらその口調やめてください!」

「今の私はお嬢様の執事、その様なことは出来ませんよ」

「むぅ……真矢くんなんて知りません!」

「ちょっ、悪かったって葵!」


 わざとらしく頬を膨らませ、ちゃっかり俺の手を掴んでから葵はズンズンと足を進めていった。引っ張られるようにしてその後について行く俺は、怒られてるっていうのに、なぜか笑みが浮かんでいた。

 それはきっと、前を行く彼女も同じで。

 こうして、最初にして最後の、文化祭デートが幕を開けた。





 とりあえずいい時間なので、なにかご飯になるものを食べようということになった。

 しかし、先ほども言ったように今年の文化祭ではそのような類の屋台が少ない。葵たち四組の焼きそばを除けば、後は二年二組のたこ焼きか三年六組のフランクフルトだけだ。

 というわけで、比較的近くにあった三年六組の屋台へ向かうことに。


「なんだか、本当のお祭りみたいですね」

「だな。たこ焼きとかフランクフルトとか、夏祭りやら縁日やらとなんも変わんねえし」

「この辺りはお祭りもあまりありませんから、それも関係してるんじゃないですか?」

「あんま関係ないとは思うけどなぁ」


 高校生にもなれば、遠出してどこぞの大きな花火大会なりなんなりに行ったりするだろう。俺たちは行かなかったけど。

 六組の屋台に並んでフランクフルトを二本購入。ケチャップとマスタードはしっかりつけてもらった。


「んっ、おいひいでふね」

「……そだな」

「でも、ちょっとおおきいでふ」


 はむはむと大きなフランクフルトを小さな口で精一杯頬張る葵。なんだろう、ただの食事シーンだし、小動物じみてて可愛いとも思うんだけど、見てはいけないものを見ている気になってしまう。男の子な自分が悲しい。

 一度フランクフルトから離れた葵の口には、しっかりとケチャップがついていた。ベタだなぁと思いつつも、胸ポケットからハンカチを取り出す。


「葵、口にケチャップついてる」

「あっ……ん……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ハンカチで口元を優しく拭ってやれば、お礼の言葉の後にジトッとした視線が。なに、もしかして俺、またなんかやらかしました?


「……なんだか、本当に真矢くんが執事になっちゃったみたいです」

「葵が望むならなってやろうか?」

「それは、ヤです……」


 おっと意外な返事だ。葵のことだから、それもありかなーなんて考えていたりするもんだと思っていたのだけど。

 だが続けて発せられたのは、予想の斜め上から来る完全な不意打ちで。


「真矢くんは執事じゃなくて、私の恋人ですから……」

「……ああ、うん。そうだな……」

「はい……」


 葵さん顔真っ赤ですよ。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。まあ俺も似たような顔色だけどさ。

 その後お互いに熟れたトマトみたいな顔をしながらも、なんとかフランクフルトを食べ終えて移動したのだが。なんか、さっき一人でいた時よりも視線を感じる。主に男子連中から。なんだお前ら、嫉妬か? すみませんねぇ可愛い彼女と文化祭デート楽しんじゃってて。

 昔は俺もそっち側だったが、いざその視線を向けられるとなると、これは中々気持ちのいいものではない。せっかくの文化祭くらい、イチャついてるカップルなんて放っといて楽しんだらいいのに。俺が言えた義理でもないけど。


「真矢くん、真矢くん」

「どした?」

「私、次はあそこに行ってみたいです」


 葵が指差した先にあるのは、一年七組のタピオカの屋台だ。

 お嬢様がご所望とあらば、と二人で列に並び、最近巷で流行りのタピオカミルクティなるものをそれぞれ購入。


「俺、タピオカとか初めてだわ」

「私もです。凪ちゃんとか世奈ちゃんが行列に並んで買ってきたってこの前言ってたので、気になってたんですよ」

「あいつらすげぇな……」


 さすがは華の女子高生。流行は取り逃がさないってか。あいつらもインスタ映えやら意識してんだろうか。あんまりイメージ湧かないけど。陽キャのリア充なのにインスタのイメージが湧かないってのも珍しいな。あいつら、そういうの興味なさそうだもんなぁ。

 でもちゃっかりタピってるあたりは女子高生って感じだ。

 とまあ、やつらの話はどうでもよくて。

 いざ、初めてのタピオカチャレンジ。


「ん、んん……? なんか……なんだこれ……?」

「もちもちしてますね」

「……美味いか?」

「私は好きですよ?」


 そうか、葵はこれ、好きなのか……。

 正直、個人的には微妙なところ。特別美味いってわけでもないし、でも不味いってこともない。もちもちしてて食感は楽しめるかもしれないが、それなら餅でよくね? ってなる。

 あともちもち具合なら葵のほっぺたの方がもちもちしてる。ソースは俺。


「真矢くんはあまり好きじゃないですか?」

「可もなく不可もなく、ってとこだな」


 これが流行ってる理由がよく分からんが、まあ分かる人には分かるのだろう。俺は分からない側の人間だった。それだけの話。

 タピオカを完食、完飲? した後は、校舎の中へ向かうことに。外が屋台で食べ物や飲み物がメインだとすれば、校舎内はアトラクション系がメインになっている。うちのクラスみたいなのもあるが、どちらかと言えば少数派だ。


「さて、まずはどこ行く?」

「真矢くんはどこか行きたいところとかありますか?」

「葵に任せるよ」

「むぅ、それだと真矢くんが楽しくないじゃないですか」

「俺はお前が楽しんでたら、それで十分だからな」

「そ、そうですか?」


 えへへ、と笑いながら校舎の入り口に置いてあったパンフレットを手に取り、どこに行こうかと悩み出す葵。可愛い。若干クサいセリフかと思ったが、この可愛い笑顔が見れるなら言ってみるもんだな。


「あ、じゃあここはどうですか? 映画研究会の、十五分の短編映画上映会!」

「悪い葵、やっぱり一緒に考えようか。とりあえずそこは無しで」

「えー」


 映画研究会なる部活には悪いが、地雷臭がプンプンする。俺の休憩時間も有限ではない。一時間ちょっとしかないのだから、無駄な時間は使っていられないのだ。


「ほら、映画ならまた今度観に行こうぜ」

「分かりました……」


 渋々と言った様子ではあるが、なんとか頷いてくれた。

 くッ、そんな表情されたら行かせてあげたくなるだろ……! おのれ映画研究会、葵にこんな顔をさせるとは許すまじ。


「とりあえず、歩きながら考えようぜ。見て回ってるだけでも楽しいもんだろ、こういうのは」

「そうですね。そうしましょうか」


 笑顔で頷いてくれた葵を引き連れ、校舎内を練り歩くことに。

 その後俺たちが入ったクラスは二つ。一年一組のお化け屋敷と、二年八組のミラーハウス、鏡の迷路だ。

 正直どちらも学生クオリティではあったのだけど、お化け屋敷で驚いて俺の腕にしがみついてくる葵は可愛かったし、ミラーハウスで何度も鏡にぶつかって涙目になってる葵も可愛かったので良しとする。

 特にお化け屋敷。思わずお化け役のやつらにありがとうと言いたくなるレベル。

 その二つ以外にも目の惹かれるものがあったみたいだが、俺の休憩時間的に少々厳しかったので、今は中庭のベンチで一休み中だ。


「楽しかったですね」


 ほぅ、と息を漏らした葵は、校舎の中から未だ聞こえてくる喧騒に耳を傾けている。

 高校最後の文化祭。俺みたいなやつとは違い、葵は高校生活三年間を存分に楽しんでいたはずだ。なら、最後というその事実にも、思うところがあるのかもしれない。

 中庭にいるのは俺たちのみ。校舎の中にいる連中も、各々が文化祭を楽しんでいて、誰も俺たちのことなんて見向きもしていなかった。その中を歩いていた時には注目されていたというのに。


「一昨年よりも、去年よりも。ずっと楽しかったです」

「文化祭はまだ終わってないんだから、それを言うのはちょっと早いんじゃないか?」

「そんなことないですよ」


 こちらに振り返った葵は、やはり笑顔を浮かべていて。

 さっきまでの、元気で明るい笑顔とは違う。柔らかくて、慈しみに溢れた。ともすれば、儚さすら感じてしまうほどに、綺麗な笑みだった。

 周囲の喧騒が遠く聞こえる。まるで世界に俺たち二人しかいないようだ、なんて言うと陳腐に聞こえるだろうか。でも、本当にそう錯覚してしまうほどに、綺麗だったから。

 だから、なんだろう。

 付き合い始めて、恋人になって、お互いの家を行き来したり、なんなら一度彼女の家で一夜を過ごしたことだってあるのに。それでも、僅かに空いている距離を、更に詰めようと思えたのは。


「なあ、夜露」

「はい。……はい?」


 笑顔が一転。まるで鳩が豆鉄砲を食ったようなキョトン顔。まあ、そんな反応にもなるよな。


「あの、真矢くん? いま、なんて……」

「なんてもなにも、名前を呼んだだけだよ。ほら、いつまでも俺だけ苗字で呼んでるのもおかしいからさ」

「それは、そうですけど……でも、急すぎます……」


 見る見るうちに赤く染まっていく彼女の、夜露の顔は、けれど嬉しそうに頬を緩ませている。そこまで嬉しそうにされると、なんだか小っ恥ずかしくなるのだけど。

 それでも、羞恥心を押し殺して、言う。伝えたいことを、伝える。


「夜露のお陰で、俺も楽しかったよ。だから、ありがとな」


 言い慣れない綺麗な響き。美しくも愛おしい名前を、噛みしめるように言葉へと変換する。

 名前なんてのは所詮、ただの符号でしかない。個々人を区別するためのデータの一つにしか過ぎない。

 ああ、それでも。それでも、きっと。

 俺はこれから、彼女の名前を呼び続ける。そこにたしかな感情を込めて。


「えへへ……私の方こそ、ありがとう、です。真矢くん」


 そして、出来ることなら。

 彼女から呼ばれ続けたい。他の誰でもない、たしかな感情が込められた、俺の名前を。

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