第71話 執事喫茶オープン

 午前十時。高校生活最後の文化祭は、なんだかぬるっと始まった。元より開会式なんてものもなく、ただアナウンス一つで始まるお祭りだ。

 それなりの盛り上がりの中始まりはしたけれど、しかし個人的にはイマイチ始まった実感が持てない中。


「あはははははっ!! な、なんだよ真矢くん、以外とに、似合ってるじゃないか!! ぷっ、ふふっ、くっ、ははははははっ!!!」


 やって来た記念すべきお客様第一号は、ひーひー言いながら腹を抱えて笑っている。

 なにがツボに入ったのか、開会のアナウンスがしてから数分後にやってきたまひるさんは、なんの比喩も抜きに笑い死にしそうなほど笑っている。


「けほっ、けほっ、くっ、ふふふっ、くくっ、けほけほっ」

「あーもう、落ち着いてくださいよ。また体調崩しますよ」

「元凶にそんなこと言われたくない、な……ふっ……あー、ダメだ真矢くん、今はボクに近づかないでくれ。予想以上に面白いから」


 笑うという行為は、思いの外体力を使う。割と筋肉を使うし、肺活量だって。だから自他共に認める病弱なまひるさんには、笑うということ一つとっても非常にしんどいことなのだ。

 全く、病弱なまひるさんをこんな酷い目に遭わせるなんて、酷い奴がいたもんだ。


「はいはい、んじゃ俺が変わりますよ」

「ああ、頼むよ朝陽。真矢くんと違って普通に似合いすぎていてなんの面白みもない君なら大丈夫だ」

「褒めてんのか貶してんのかどっちなんすか」


 苦笑しながらもまひるさんを窓際の席へと案内する朝陽。なんだか出鼻を挫かれた感じだ。

 まひるさんが爆笑したお陰で、本来なら言うべき歓迎の言葉は言っていなかったが、次からはしっかり言わなければならないだろう。あの、悪魔のセリフを。正直恥ずかしいことこの上ないから言いたくないのだけど、そうは問屋が、いや柏木が卸さない。


「今からでも逃げれねぇかな……」

「諦めなって大神。逃げたところで、柏木にもっと酷い目に遭わされるだけだよ」

「そうだな。ここは仲良く一緒に地獄へ行こうぜ?」

「お前ら……」


 項垂れながら言う俺の両肩に、柳と坂上の手が置かれる。柳はなんだかんだでノリノリみたいだし、坂上はもう色々と諦めてやがる。

 まあ、やる事は普段のバイトと変わらない。客を案内して、注文をとって、受けた注文を客に出す。うん、変わらない変わらない。ただ言葉遣いが違うだけで、やる事は一緒だ。そういうことにしておこう。てかそうでも思わないとやってらんねぇよ。


「次のお客さん来るよー」


 受付をやっているクラスメイトの女子から声が掛かった。柳と坂上が、掴んだままだった俺の肩を押す。え、俺? 俺が行くの?

 振り向いてみるものの、柳はにっこりと、坂上はニヤリと笑うのみ。こいつら、ハメやがったな……! トップバッターが嫌だからって……!

 後ろの二人を睨むものの、しかし無情にも時間が止まる事はない。教室に入ってきたのは、二人の女子生徒。上履きの色を見るに二年生、後輩のようだ。

 そんな歳下女子二人に向けて、俺はこの一ヶ月近くの準備期間で会得した精一杯の爽やか笑顔を浮かべながら、深くお辞儀した。


「おかえりなさいませ、お嬢様。お席にご案内いたします」


 背後からぶふっ! と吹き出すような声が聞こえたが、そんなものは無視。

 きゃあきゃあ黄色い声を上げている後輩二人を伴い、出来るだけまひるさんのとこから離れた席へと案内した。


「やばい、この先輩めっちゃイケメンじゃん! こんな人いたんだ!」

「ねー! あ、でも私はやっぱり伊能先輩の方が良かったかなー」

「そんなの私だって伊能先輩の方がよかったに決まってるじゃん! でもほら、今はあっちの美人さんのお相手してるみたいだし」

「はー、絵になるなー。めっちゃ美男美女って感じじゃん!」


 朝陽じゃなくてすみませんでしたねぇ……。

 心に若干のダメージを受けながらも、後輩女子二人の椅子を順番に引いて上げて座らせる。まあ、イケメンって言われたし許してやろうじゃないか。


「紅茶、コーヒー、オレンジジュースとございますが、いかがなさいましょうか」

「私紅茶で!」

「私はオレンジジュース!」

「かしこまりました」


 注文を聞いて、一度パーテーションの裏へと引っ込む。調理スペース、というほど調理をする場所ではないが、一応ここで飲み物を入れたりすることになっている。

 そもそも、メニューが紅茶とコーヒーとオレンジジュースだけで、食べ物は一つもないのだ。他クラスで買ってきた食べ物を持ち込んでもいいことにはなっているから、正直文化祭が始まって初っ端に来るような場所ではない。このタイミングで来るやつらは、殆どが朝陽目当てだろう。


「中々様になってるじゃない」

「うっせぇ……」


 紅茶とオレンジジュースをグラスに入れて持ってきた広瀬が、口元に笑みを浮かべながらもそれらを渡してきた。今はそんな褒め言葉聞いても皮肉にしか聞こえねぇよ。


「それにしたって、まひるさんは笑いすぎだと思うけどね。大丈夫なの、あれ?」

「あの人の体調的な意味なら、まあ大丈夫じゃねぇの? やばかったらとっくに帰ってるだろ。俺の精神的ダメージな意味なら、正直もう帰りたい」

「あんたのダメージとかどうでもいいわよ」

「酷くね?」

「ま、大丈夫ならいいけど。そうじゃなさそうなら、直ぐ保健室連れて行かないとだし」

「つっても、あの人も一頻り笑って飲み物飲んだら帰るだろ」

「でしょうね。はい、さっさと仕事してきなさい」


 広瀬からグラス二つを受け取り、パーテーションの外に出る。窓際の席には、未だまひるさんの姿が。朝陽となにやら談笑してる。

 そしていつの間にか増えていた客の女子生徒達は、みな一様にその光景を眺めていた。

 恐らくはその全員が朝陽を目的にやってきただろうに。すみませんね、なんか専属みたいになっちゃってて。







 一時間は経過しただろうか。慣れない笑顔を浮かべながらも、やって来たお嬢様どもを捌き始めてから。

 最初のうちは羞恥心が勝ってはいたものの、慣れてしまえばなんてことはない。本当にいつものバイトとやることは変わらないし、それどころか幾分楽なまである。

 文化祭は十五時半まで。そのうち休憩が十二時から一時間くらい貰えるから、それまでの辛抱だ。それまで頑張ったら、葵と文化祭デートが出来る!


「あれ、坂上は?」

「休憩行ったよー。梨花子とデートじゃない?」


 パーテーションから出ると坂上の姿が見えなかったので、近くの柏木に尋ねたところそんな答えが。なんだよ、あいつもちゃっかりデートとか誘ってたんだな。いや、小鳥遊に誘われたのか? どっちでもいいや。

 一人抜けたとなれば、俺と朝陽、柳の三人で回さなければならないか。さっきも言った通り、結構慣れてきたので出来ないことはないけれど、それでも朝陽目当ての女子が大量に押しかけて来てるのでちょっとしんどいことには変わりない。

 今も、朝陽は客の女子生徒やよそから来た女性のお客さん達に笑顔を振りまいている。写真撮るやつまでいる始末。人気者は大変ですね。

 因みにまひるさんは十分もしないうちに帰った。あの人本当なにしに来たんだ。俺を笑いに来ただけかよ。

 ともあれ、まだまだ頑張らなければならないことに変わりはない。さてもう一踏ん張り、と気合を入れ直したところで、新しい客がやって来た。


「おかえりなさいませ、お嬢さ──」

「真矢がホントに執事になってるー! 写真撮ってお母さんに送らなきゃ!」


 姉ちゃんだった。

 年甲斐もなく弟の執事姿を見てはしゃぐ、不肖の姉だった。


「お、加奈さん来てたんすか」

「やっほー朝陽。夜露ちゃんから執事喫茶のこと聞いたから来ちゃったんだー。ついでにまひるちゃんとも会いたかったしねー」

「会えましたか?」

「さっき会ってきたよ。まひるちゃんと夜露ちゃんと。二人とも頑張ってたよー」


 教室内にいる客の視線が、入り口付近で和気藹々と会話する朝陽と姉ちゃんに集中する。

 執事姿の爽やかイケメンと、見てくれだけは美人な姉ちゃん。二人が会話していたら、そりゃ注目も集めるだろう。まひるさんの時とは違い、姉ちゃんには近づけないような雰囲気もない。ある意味、まひるさんの時よりお似合いに見える。


「ほら真矢、さっさとお嬢様をご案内しろよ」

「これをお嬢様とか、なんの冗談だよ……」

「大神くん? 言葉遣いには気をつけてって、練習の時も言ったよね?」

「……すぐにご案内致します、お嬢様」

「はーい」


 柏木に脅され、結局俺が姉ちゃんを案内することに。くそッ、なんだって俺がこんなことを……。


「今日の真矢は弟じゃなくて私の執事だからねー。ちゃんと尽くしてよ?」

「お言葉ですがお嬢様、それは常日頃となんら変わらないように思えるのですが」

「気のせい気のせい」

「ではそこで見惚れてる馬鹿なクラスメイトに、お嬢様が日頃どれだけだらしない格好をしているのか暴露致しましょうか?」

「夜露ちゃんに泣きつくよ?」

「申し訳ありませんでしたお嬢様」


 そんなことをされれば、葵から説教されるに決まってる。頬を膨らませてプンプンと怒られる。なにそれ可愛いじゃん。ありよりのありだわ。


「ところでお嬢様、本日のお飲み物はいかが致しましょうか」

「コーヒーをお願いしようかなー」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 パーテーションの裏に引っ込み、受けた注文を他の奴に告げてから大きなため息を一つ。なにが悲しくて実の姉をお嬢様扱いしなければならないのか。家でのぐうたらな本性を知っているから、なおさらその気持ちが強い。

 教室の外からは、楽しそうな喧騒が僅かに聞こえてくる。文化祭が始まってからと言うもの、ずっと教室の中にいるから、他のクラスや今の校内の様子なんてなにも分からないのだ。文化祭を楽しむとは決めたものの、ここまでクラスに拘束されてしまっていてはそれも叶わない。


「お疲れ様、大神くん。ちょっと早いけど、加奈さんが帰ったら夜露のとこ行ってきていいよ」

「いいのか?」


 そんな俺を見兼ねたのか、柏木が声をかけてきた。ありがたい申し出ではあるけれど、しかしそれは逆に、姉ちゃんがいる間は姉ちゃんの相手をしろということに違いない。

 こいつ、やっぱり楽しんでやがるな……。


「出来れば今すぐに休憩行きたいんだが?」

「それはダメ。日頃お世話になってるお姉ちゃんに、ちゃんと尽くしてあげなきゃだもんねー?」

「世話してんの殆ど俺なんだけどな……」


 姉ちゃんの本性をぶつまけてやろうかとも思ったが、本当に葵に泣きつかれても困る。

 取り敢えず観念して、姉ちゃんが帰るまでは頑張ることにした。の、だが。


「ええ⁉︎ あのイケメンさんのお姉さんなんですか⁉︎」

「そうなのー。あの子、私の弟なんだー。みんなよろしくねー」

「あの、弟さんのご趣味は⁉︎」

「彼女とかいらっしゃるんですか⁉︎」

「大神先輩と伊能先輩ってデキてるって噂本当なんですか⁉︎」


 なんか、とんでもないことになっていた。

 近くの席に座ってる三人組の後輩女子と楽しそうに談笑する姉ちゃん。てかおい、最後。なにその噂、俺聞いたことないんだけど? 誰だよ流したやつ。


「最近の趣味は料理じゃないかなー。真矢の作るご飯、とっても美味しいんだー。残念ながら彼女はいるよ。葵夜露ちゃん。みんなも知ってるんじゃない? 朝陽とは小さい頃からの仲だから、もしかするともしかしちゃうかもねー?」

「おい。なに勝手に個人情報ペラペラ喋ってんだ馬鹿姉」


 さすがに止めた。

 つかもしかしてももしかしねぇよ。後輩ちゃん達きゃーきゃー言って期待してんじゃねぇか。これには近くで聞いてた朝陽も苦笑い。

 いや、聞いてたんなら止めてくれない?


「ちょっと真矢ー? お嬢様に向かってなにその言葉遣いは? 世奈ちゃんにもさっき言われてたでしょー?」

「お嬢様におかれましてはどうやらプライバシー保護という常識がイマイチ分かっていないご様子。まさかそこまで頭が悪くいらっしゃるとは。そのことに気づかなかったなんて執事として失格。これはあなた様の執事を辞退するしかございません」

「どさくさに紛れて逃げようとしないの。あと、丁寧な言い方だからって許されるわけじゃないんだからねー?」


 チッ、ダメだったか。


「あのあの、大神先輩!」

「ん?」


 声をあげたのは、さっきから姉ちゃんと話してた三人組の一人。三人ともいかにもリア充してますよ、みたいな感じの子だ。髪の毛は染めてるし、薄くではあるが化粧もしてる。


「料理が上手ってことは、やっぱり葵先輩のところでバイトしてるんですか⁉︎」

「葵先輩とはいつからお付き合いを⁉︎」

「伊能先輩とは本当になんにもないんですか⁉︎」


 そんな後輩女子に詰め寄られたもんだから、つい後ずさりしてしまった。逃げ道を確認するために後ろをチラッと見れば、逃げるなよ、と言わんばかりの笑顔を浮かべた柏木が。

 逃げたらダメですか、そうですか。

 視線を前に戻せば、目をキラキラと輝かせている可愛い後輩達が。そんな彼女らに対して、なんとか絞り出すように言葉を返す。


「……取り敢えず、朝陽とは本当になんにもないってことだけは分かってください」


 思わず素で敬語になってしまう俺だった。

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